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おうちフリースクールでぃありす

不登校で将来どうするの?

2019.05.09 09:22

先日、ネット上で次のような言葉を見かけました。


”我が子の不登校の話をすると「そんなんで将来どうするの?」とか言われる。”

不登校のお子さんをお持ちの女性による投稿です。


「そんなんで将来どうするの?」


この言葉が誰からのものなのかによって、受け止め方は変わるかもしれません。

近しい親族からの言葉なのか、はたまた同年代のお子さんを持つ近所のお友達からの言葉なのか。

しかしいずれにしてみても、言われたご本人は大変に辛い思いをされたはずです。


でも、私は思うのです。

「不登校なんかで将来どうするの?」ーこんな言葉を発してしまった人のほうが「あの人ちょっと古いわね」と言われてしまう日が、割と近い将来やってくるのではないかと。  


長い人生の中のほんの数年間休んだって別に悪いことじゃないですし、休んだ方がいい、あるいは休まなくてはいけないケースだってある。


それに今の時代、実に様々な選択肢があります。

ちょっと休んで元気が出たら、通信教育なりフリースクールなり、再スタートを切るために利用できる手立てはいくらでもあります。

ひとくちにフリースクールと言っても最近ではその特性も様々ですし、このような多様な学びにご理解を示して下さる公立学校さんも増えてきました。

現在では、在籍する学校の校長先生のご判断で、FSへの出席日を要録上出席扱いにできるようにもなりました。


どうせ同じ時間を生きるなら、1分1秒でもその子本人にとって安心できて、充実した時間が過ごせたほうが良いんじゃないかなと私は思います。

そのほうが学習効率も上がります。

そのうち生徒が自発的に、もっと言うと、ある種の目的をもってフリースクールを「選択」する時代も近いのでは。


私にも、学校を休みがちだった時期がありました。

小学校3.4年生の頃です。

わからない授業、口ごたえできない子を標的にして吊るし上げる担任のK先生…

ある朝登校したら、教室の私の机の中身が、K先生によって全部引っくり返されていたこともありました。

先生は私の机から引っ張り出した持ち物を手に、クラス全員の前で「ノートの字が雑~」「汚い定規、貧乏くさ~」「何このヘタクソな絵」とけなしました。

今考えると、よくそんな先生がいたもんだ!と思いますが、まだ子どもだった当時は「字も絵もヘタで貧乏な自分がいけないんだ…」と自分を責めていました。

自分の事を恥ずかしい存在だと思っていたので、親にも相談しませんでした。


この2年間は毎日おなかが痛くて、ひどい肩こりと頭痛で夜眠れなくて、自分のことも大嫌いでした。

当時でいう「登校拒否」とまではいかずとも、3日程連続して学校を欠席する事が何度もありました。


ところが高学年になって、私は学校が大好きになりました。

担任がおじさん先生のM先生に変わり、父親のいない私を「サヤコサヤコ」とまるで本当のお父さんのように毎日かわいがって下さいました。

かわいがるだけでなく、心から私を心配して、真剣に向き合ってくれる存在でもありました。

4年生まではさっぱりわからなかった勉強も、高学年になってからは見違えるほど理解できるようになりました。

体調もすっかり良くなり、珍しく風邪をひいても「学校に行きたい!」と言って登校しようとするほどでした。


以上はいずれも、同じ一人の女の子が、同じ一つの学校の中で経験した事実です。

この2つのエピソードは、自分が教師になってからも、ずっと忘れないようにしています。

同じ一人の子どもでも、学習環境やそこで待っている教師の存在ひとつで、キラキラと前向きな気持ちで登校するようにもなるし、毎日不安でふさぎ込んだ気持ちにもなる。

教師や学校にはそれだけの責任があるのだという事を肝に銘じて、子どもと接するようにしていました。

教室の環境ひとつ違うだけで、簡単に不登校にもなるし、学校が大好きにもなります。


よく「家庭が甘すぎるから不登校になるんだ」とか、「気持ちが弱いから学校にいけないんだ」という人がいますが、そういう人たちは多分、割と安心できる環境の中で子ども時代を過ごせていたのではと思います。

私はたまたま運よく(?)両方経験しているので、どちらの気持ちも考えられるようになりました。


子どもが不登校になるのは全部学校が悪い、先生が悪い、ということではありません。


今の教育現場にも、K先生のような残念な教師も少なからずいるのが事実です。

けれども多くの先生方は、世の中の方が思っている以上に真剣な気持ちと愛情をもって生徒と関わっています。

誇張抜きに、それこそご自身が倒れるまで子ども達と向き合っている先生、あるいは向き合わざるを得ない先生もたくさんいます。

だから、「教師はみんなロクでもない」「日本の学校はダメだ」「全部学校のせい」とひとくくりにする言葉を耳にすると、それも違うなと思うのです。


子どもの心が折れる時には、学校、教師、友達関係、発達段階、はたまたその日の気分と、複数かつ複雑な理由が、それぞれにあります。


ただ、自分の経験だけをもとに人を責めるのではなく、

相手にしかわからない苦しみや過去を理解しようと努めたり、

人の感じ方や選択に、もっともっと寛容になる事が大切だと思うのです。


私とあなたの子ども時代は違う。

出会った教師も違うし、過ごした教室の風景も違う。

私は運が良かった。でもその経験をあなたに押し付けることはしない。

あなたは恵まれていた。だからといって、私も一緒だと思わないで。

私は私。あなたはあなた。

私の場所は私が選ぶし、あなたの場所はあなたが選べばいい。


そんな考え方が当たり前になったら、「そんなんで将来どうするの?」「なんで学校行けって言わないの?」なんて心ない言葉を言う必要もなくなるし、傷つく人もいなくなると思うのです。


これだけあらゆる分野で多様性が認められている時代。

教育こそ、まっさきにその変化に対応しなくてはいけない分野だと思うのです。

子どもはみんな、誰もが幸せになる権利を持っているのだから。


そんな社会の変化を創り出す仕事がしたい。

そう思って、私は大好きだった公立学校を辞めました。

確かに、学校は行けた方が「お得」だと思います。

比較的少ない金銭負担で、勉強も人生も学べるし、たくさんの出会いが待っていますから。

進路選択の幅も広い。


でも、みんながみんな、いいご縁と出会えるとは限らない。

そいう場合には、人と違う選択をしても問題ないと思います。

学校に行ってなくても、立派で素敵な大人になった人、たくさんいます。


一人ひとりがそれぞれ違う選択をすること自体があたり前になる日が早くやってきますように。


見ず知らずの方の投稿をきっかけに深く考えさせられた1週間でした。

心無い言葉に傷つけられたこの投稿者さんのお気持ちが、今は穏やかになっていますように。

心から願っています。