一人目。“最愛のじいちゃん”
今日から1日1人以上、有名人から一般人まで僕が大好きだったり気になったりする人のことを勝手に、客観的に書いてみようと思います。一人目を誰にしようか考えた時、真っ先に思い浮かんだ人が“最愛のじいちゃん”だったから、じいちゃんについて書いてみようと思います。
最愛のじいちゃん
じいちゃんは101歳になる年の1月に天国へいった。100歳も101歳も数字だけみたら変わらないけど、そのたったの1年は歳をとればとるほど大きく、重みを増すんだと思う。38歳の僕にはまだまだわからない感覚。それでも、年々小さくなっていくあのじいちゃんをみてたらなんとなくだけど伝わってた。朝、外を眺めた時こう思うんだろう「今日も目が覚めたな」って。
僕が物心ついた頃からじいちゃんはそこにいた。小さい頃から僕にいろんなことを諭すように教えてくれた。「靴をそろえなさい」「ご飯粒は残したらだめだ」「ものは大切に扱うんだ」なんだかありふれた言葉で、ありふれたマナー本に書いてありそうなことだし、小さい頃の僕には「なぜそれをしなければいけないのか?」なんていう意義みたいなのはわからなかったけど、僕がただただ言われたことをこなしていたのは、普段ことあるごとに話していた戦争のことが大きかったんだと思う。子供ながらに話を聴くたびに戦争の大変さを想像していた。
漫画のように、ドラマのように、頭の中で想像する世界は、僕には怖くて仕方なかった。怖かったのに大好きだったんだよね。その話が。当たり前が当たり前じゃなかったことを、遠くをみながら、思い出しながら僕に語ってくれていたから。
剣道7段の達人。毎日庭で木刀を振り、自分で作ったゴムチューブを腰に巻いてトレーニングしていた屈強な元軍人も、やっぱり年齢とともに小さくなっていった。小さくなったじいちゃんは、ばあちゃんが先に天国に行った時
「なにもしてやれなかった。ごめんな」って小さな声で呟いた。その時も背中がやけに小さかったんだ。
そんな小さくなっていくじいちゃんをみたくなくて、会いに行かない日々が続いた。
自宅ではなく介護施設のベッドの上。朝目が覚め、外を眺めながら「今日も目が覚めたな」って言うどんな小説にも書いていないような感情で言うあのじいちゃんの一言が、どうしても好きになれなかった。
そんな時、じいちゃんが倒れたんだ。12月の末。寒さも増した年の終わりだった。世間は正月を目前とした師走で賑わっていたけど、どうしようもできない感情が会いたくなかったじいちゃんに気持ちを向かわせた。本当に久しぶりにじいちゃんに会った。天国へいく5日前のことでした。
あんなに強かったじいちゃんが。あんなに威厳のあったじいちゃんが。あの日、僕の前で涙を流したんだ。僕を僕だと認識していたのかわからないけど、あの日じいちゃんは涙を流した。そして僕と一緒に写真を撮った。
僕の中にはじいちゃんがいる。じいちゃんの教えは確実に心に色づいてるんだ。