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ZIPANG-3 TOKIO 2020「日本の町 『奧会津』 奥の地  三島町の四季に魅了され・・・桐と霧の里へ」

2019.05.12 09:25

はじめに 記事をお届けするに当たり、先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


「奧会津」深雪の地でのみちづれは心強い。頭上の笠にも雪が積もっているような・・・

雪が解け、いつしか花吹雪も過ぎ往き新緑の頃になると、奧会津の桐は一斉に淡い紫の花をつけて訪れる人々の眼を楽しませてくれます。
中国大陸が原産の桐※は、飛鳥時代に渡来し、北は北海道南部から南は鹿児島県に至るほぼ全国で生育されています。一時期は東南アジアやカナダからも…
中でも日本を代表する桐は、福島県の会津桐、岩手県の南部桐、岡山県から広島県東部にかけて分布する備後桐の三大桐であるといわれています。古から桐はその性質において琴や箪笥の原材料として大変重宝がられてきました。

濃霧に包まれた幻想的なモノクロームの自然風景。

只見川の朝霧の中を余程熟練の船頭さんですね~糸を引くようにゆっくりゆっくりと往く木造の渡し舟であろうか?それとも川漁師の舟かな、はたまた観光船?櫓を漕いだ小さな波だけが木舟のあとからどこまでもついていく・・・まさか木舟の材料まで「桐」ということはないと思うが…スサノオノミコトは舟は杉か楠でと適材適所を宣われていたが、滋賀県・琵琶湖の昔ながらの舟漁や、昨日解禁した岐阜県・長良川の鵜舟や今でも住民のために続けている渡し舟は、木曾五木の一つで腐りに強い槙(通称・高野槙)が使われています。


奧会津では、一体どんな材料で木舟を造っているのか興味深いですね~(ねぇ〜と言われても君〜…普通は渡し舟か?漁の舟か?観光船か?また、その歴史はとか読者はそういうところに興味を惹かれるものでは~と外野席。ソーナンスカ?)

深い緑の中の青い屋根の一軒家も気になりますね、外観の意匠はホテルかペンションまたは、別荘のような感じですが、合わせて現地で尋ねてみますので奧会津シリーズ次号でお知らせいたします。

奧会津の冬「第一只見川橋梁」
シャッターチャンスを捉えるのに何日かけられたんでしょうね~写真家さんお疲れ様です。

奧会津の春「第一只見川橋梁」

只見川の川霧
川霧は水温と気温の差が大きい朝夕や雨上がりに発生します。流域では川霧と緑の木々が醸し出す幻想的な風景が広がります。

奧会津の夏「第一只見川橋梁」
雪解け水が流れ込んでいるせいでしょうか?まるで鏡のような水面ですね~空を飛ぶ鳥まで映り込んでいます。

奧会津の秋「第一只見川橋梁」

三島町は、福島県の西部に位置し、尾瀬を源流とする只見川沿いにある山間の町です。
十八カ所に集落が点在し、冬は積雪が二メートルを超えることもある豪雪地域であります。

古くから「会津桐」の産地として知られ、町内随所に植えられており、春には一斉に薄紫の花を咲かせます。また只見川に沿ってJR只見線が走り、渓谷と鉄道が織り成す四季折々の風景を見ることができます。

雪国ならではの民具作りの知恵や、暮らしに根付く民俗行事が継承され、町民が守り継いできた文化を大切にする町づくりを展開しています。


三島町加盟の「日本で最も美しい村」連合とは

私たちは、失ったら二度と取り戻せない、日本の農山村の景観や文化を守る活動をしています。小さくても輝くオンリーワンを持つ農山村が、自らの町や村に誇りを持って自立し、将来にわたって美しい地域であり続けるのをお手伝いします。自然と人間の営みが長い年月をかけてつくりあげた小さな、本当に美しい日本は、いまならまだ各地に残されています。それらを慈しみ、楽しみ、しっかりと未来に残すために、自らの地域を愛する皆さんにご協力いただきながら活動しています。


三島町は自然が豊かなところです

春~大林ふるさとの山では雪解けとともにカタクリの花が一斉に目を覚まします。

大林ふるさとの山
散策道が整備された里山公園に、数百本のオオヤマザクラが植栽され、その山肌約8ヘクタールにわ たってカタクリが群生しています。厳しい冬を越え、 例年4月下旬の雪解けとともに咲き出します。開花の時期には、お茶や味噌団子、お土産品販売など、 地元のおもてなしを実施します。

夏~夕暮れ時に立ち込めた川霧が涼しさを運んでくれます。

秋~紅葉のはじまる森には山の恵みがあります。

ブナの森散策
手つかずの森を散策しながら樹齢400年以上のブナ、その他トチやサワグルミなどの巨木をご覧いただけます。昭和40年代には、何も考えないでへっちゃらで「ブナ」を住宅や体育館のフローリングや家具として使用していましたが、実は環境にとって大切な木なんですね~

冬~しんしんという音が聞こえるほどに降り続いた雪の後、太陽が顔を出した朝には輝く雪景色を望むことができます。


奧会津「三島町」アクセス


参考

※桐

落葉の高木広葉樹 ゴマノハグサ科(scrophulariaceae)
学名:Paulownia tomentosa(Thunb).)Steud 

樹は狭円柱形、樹高:8~15m、胸高直径50cm程度。 原産地は中国と言われているが牧野富太郎博士の資料ではわかっていないとなっています。あまりにも諸説が多くあって今だにはっきり決まっていない。


しかし古い時代に中国から渡来したことはまちがいないようだ。各地で栽培されてきたため、種子が飛散して自生のように見える植生があります。本州から九州までの山里に多く見られます。


欝陵島や北九州の山中に野生状態も見られ、現在では各地で栽植されています。生長が非常に早い。また栽培も容易で植えておくだけでよい。 今では中国、台湾、米国、フラジルなど、海外諸国で植裁されたものが大量に輸入され、婚礼家具にされている 開花時期:5月、初夏枝の頂きに多数の紫色の花をつけ、つぼみは前の年にでき、翌年の5月葉に先立って枝先の円錐花序に薄紫色の花が多数咲きます。


花冠は5から6センチで、花の先が唇形に五裂に分かれ頂生といって、枝の先にかたまって咲く花が、淡い匂いをかすかながらも含んでいます。樹皮は褐 灰・灰白色で平滑。葉は長柄をもち大きな広卵形(ハート形)で先がとがっていて、全面に粘りけのある短い毛が密生し、長さは20~30cm。果実は先が尖った、卵形。


よく知られている産地は福島県(会津桐)、岩手県(南部桐)、さらに新潟県、茨城県などあるが、全て同一種(ニホンギリ)の生育環境の違いによるものです。また、タイワンギリ(p.kowakamii)、アブラギリ等はニホンギリとは別種のもので、心材は淡褐色で、辺材はそれより淡色な程度で、辺材と心材の区別は不明瞭、材はくすんだ白色からうすい挽褐色、ときに紫色を帯びていることがあります。


材面の肌日はややあらい感しで、年輪の境界に大きい道菅が帯状にまばらに配列する程度なので、年輪はあまり明らかでないが、成長が遅いとかなりはっきりとしてきます。 辺材と心材の区別は不明瞭で、材はくすんだ白色からうすい挽褐色、ときに紫色を帯びていることがあり、日本産の有用材のうちで最も軽軟であって気乾比重0.2~0.4、ふつう0.3くらいです。


切削その他の加工はきわめて容易であり、狂いと割れが少なく、糊付け加工も容易、とくに酢酸ビニル樹脂接着剤による接着性がよいなど寸度安定性が特によい独特の材質をもっています。このことが種々の家具に用いられる理由のひとつで、製品になってからも作った時のままの形を保つので、始めから密閉度の高いものを作ることが出来ます。


表面を研磨すると光沢が出て、狂い割れも少ない。燃えにくい。 日本の木の中で吸湿、 吸水性が著しく小さいことであり、また含水率の変化に伴う収縮率・膨張率の値そのものは国産材では最小であります。また熱伝導度の値が小さい。


材をはじめとしてきわめて多方面の用途があり、キリでなければならないもの、あるいはキリを随一の材料とするものが多い。 家具(箪笥など)、建具、天井板・欄間・箪笥、楽器(琴など)、彫刻、下駄、羽子板など多方面に使われ、キリ灰は研磨用、火薬、絵画材、眉ずみにします。端材を焼いた灰は懐炉灰1に、樹皮は染料に、葉は除虫に用いられています。


984年に編纂された日本最初の「医心方」という医学書の中には、桐の灰と動物の乳を混ぜて作った物は養毛の効果(毛髪が気になる人は一度試してみてはいかがでしょうか)があると書かれており、平安時代から薬として利用されてきました。


番傘とか提灯の塗料キリ油はトウゲイグサ科アブラギリから採る物で、これとは無関係です。 昔は女の子が生まれるとキリを植えて、嫁ぐ時に伐ってタンスを作りました。また炭焼がまの跡にキリを植える習慣もあったのです。和名は「切り」で木を切れば早く生長することからいいます。2年ほどで切ればその株から芽が出て生長の早いところから。 晩秋に枯葉が一枚一枚ゆっくりと落ちてくるさまは、しばしば、俳句の題材として取り上げられています。

「桐一葉 日当たりながら 落ちにけり」 高浜虚子


キリのタンスが重用されるのは、火事にあっても表面が焦げるだけで、中まで熱を通さないためといわれるが、これには諸説があります。


キリには梧の字もあてるが、これはアオギリ科のアオギリ、のことであり、桐はゴマノハグサ科のキリをさします。 大阪城の北側に多数植えられているが開花期は見事。


『ビンからキリまで』という言葉は花札から生まれたと言われていて、始めから終わりまで、最上のものから最悪のものまでを意味する言葉で『ピンからキリまで』という言葉を良く使いますが、ビンはサイコロの一の目やカルタの一の数字のこと。ピンはポルトガル語の(pinta:点)のことで、花札ではピンは一月の松の札、キリは十二月の桐の札のことで『ピンからキリまで』という言葉は一月から十二月までの呼び名が転じてできた言葉なのです。語源からすると、ピンが最悪でキリが最上ですが、現在では逆の意味で使われています。 



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使



協力(順不同・敬称略)

三島町観光協会 〒969-7511福島県大沼郡三島町大字宮下字宮下214-5
「からんころん」内TEL 0241-48-5000

奥会津郷土写真家 星賢孝 氏(毎年「奥会津歳時記カレンダー」を発行し好評販売中。)

世界の樹木



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