霊魂をめぐるE・B・タイラーの議論
ハンス・G・キッペンベルク『宗教史の発見―宗教学と近代』(詳細については下のリンクを参照)の第四章「近代文明における原始宗教の現存」を読んだ。解説の対象とされているのは、「アニミズム」(自然界の存在物のそれぞれに霊魂が宿っている、という考え)をめぐる議論で知られるイギリスの人類学者、E・B・タイラー(Edward Burnett Tylor、1832~1917)だ。
とくに面白いと思ったのは、ヴィクトリア時代の「自然科学至上主義」にたいするタイラーの立場を論じた部分である。キッペンベルクは、当時の学問的状況を次のようにまとめている。
タイラーは、イギリスにおいて、学問の業績に対する正反対の期待が互いにぶつかり合っていた時代に著作に勤しんでいた。一八五〇年から一九〇〇年の間には、人間精神を含めてすべてを原則的に自然法則によって説明しようとした学者たちが存在していた。…それに対する反論は、そこからだけというわけではないが、多くの場合、教会の陣営から寄せられた。そこに自然科学と宗教の間の闘いを見るのは誤りであろう。それはむしろ、自然科学的な絶対性要求を肯定する者と、それに反対する者の間の闘いだったのである。そのような過剰な要求に反対する者は、人間精神が他のすべてのものと同じように自然法則の支配のもとに置かれている、という主張に対して精力的に反対した。(96頁)
19世紀後半のヨーロッパにおける「科学」をめぐる対立の説明だが、これは西洋思想史(学問史)の常識といえるだろう。
キッペンベルクは、この対立におけるタイラーの立場は、肯定派とも否定派ともいえる「両義的」(96頁)なものだったと述べる。タイラーは、主著の『原始文化』(Primitive Culture、1871年)のなかで、原始社会の霊魂崇拝の意義を強調したわけなので、その意味では「否定派」に属しているといえる。ただ、タイラーの見方では、霊魂観念は、「未開文化においては自然現象の説明手段であった」のであり、いいかえれば「霊魂観念と自然科学的な説明は、このような人類の初期の段階では同一であった」(96頁)ので、彼は「肯定派」に立っていたともみなせるわけである。タイラーにとっては、霊魂観念と自然科学は矛盾しないので、彼の立場は「両義的」なのだ。
これより細かいことでもうひとつ僕が興味深く思った記述がある。ドイツの古典学者エルヴィン・ローデ(Erwin Rohde、1845~1898)が、タイラーの『原始文化』のドイツ語訳(1873年に出版)を熱心に読んだというのだ(85頁)。キッペンベルクはそれ以上のことは述べていないが、ローデがタイラー書に強く惹かれたというのは十分理解できる。というのも、彼は、『プシューケー―ギリシア人の霊魂崇拝と不死性信仰』(Psyche: Seelencult und Unsterblichkeitsglaube der Griechen、1894年)という、まさに「霊魂」の概念を主題とした大著を発表しているからだ。ちょうどローデにかんする大きな仕事を進めているところなので、タイラーの影響についてはきちんとした調査をしようと思う。
今日はこれから「現代神話学」の授業でタイラーの話をする。キッペンベルクの議論も紹介できればと思っている。