それでも今日も行き交う自動車を見て考えること。
今日もたくさんの車が走っている。
保育園の会見を見た。
胸が苦しかった。
事件発覚後、おそらくメディアからの取材依頼や会見予定の問い合わせなどについての電話やメールが園に殺到し、あるいは取材陣が園を取り囲むなどして、子どもたちや保護者・地域にさらに甚大な負担・影響が及ぶと考えた結果、園が記者会見をするという判断をしたのではないかと思う。
このタイミングでの会見について賛否があるのはとてもよくわかる。私も正視するのが本当につらかった。
でもきっと、園の先生たちが、あの誠実な人々が、取り返しのつかない惨事に打ちひしがれながらも、あの園とそれに関わる大事な人々をさらなる混乱から守るために「今しよう」と決めたのだと思う。
そのような経緯と決断があったと想像するから、「今必要だったのか」という紛糾の仕方は園の先生方をさらに消耗させてしまうような気がする。
そしてメディア批判もわかるけど、今いちばん大切なのは「惨事を繰り返さないためには」という議論と行動だと思う。あの園の先生方が深い悲しみの中すぐに行動をしたように。
ここ最近、子どもを巻き込む悲しい交通事故が多すぎて私はすっかり心が折れてしまった。それで2ヶ月前に車を手放すことにした。
一生乗らないとかではないけれど、必要なときに借りればいいかなと今は考えている。手近にあるとあまり考えずに乗ってしまうから、今はそれをやめて、必要かどうかを考えて乗ることにしている。
そうすることで、少なくとも自分がハンドルを握る車で事故を起こす確率は下げることができる。
車を持つ人や毎日乗る人を責めるつもりは全くない。移動や流通など、私たちが直接間接に恩恵を受けていることは理解している。
これはあくまでも、私個人の選択についての話だ。
今日もたくさんの車が走っている。
でもきっとみんな、いつもよりも「気をつけよう」って思って運転しているのだと思う。
見た目ではわからないけど、もしかしたら「今日はやめとこう」と思って公共交通機関を使った人もいたのかもしれない。
みんなが当事者として、それぞれが行う選択と行動が、その総体としての社会の変化につながるのだと思う。
主語を「私」あるいは「私たち」に変えて、悲しみを繰り返さない社会にするための努力をしていけたらいいなと思う。