漱石山房記念館
こんにちは。朗読便Ramoの青木邦枝です。
ゴールデンウィークは思いがけず、
文豪ウィークとなりました。
先日の田端文士村記念館に続き、
漱石山房記念館を訪れました。
東京メトロ早稲田駅出口から横断歩道を渡り、
漱石山房通りへ入ると、
こんな可愛らしい猫ちゃんの道案内が続きます。
5/6までの企画展「漱石と鈴木三重吉」。
この企画にちなんだ作品の朗読会に
先輩が出演されており、
その会に伺ったのが、記念館を訪れるきっかけでした。
漱石は、子供の頃に「坊ちゃん」や
「吾輩は猫である」を読んだぐらいでしたが、
常設展では多くの作品が解説・紹介されていて、
興味深く拝見しました。
漱石の名言を紹介する展示では、
ひとつひとつの文章に、考えさせられます。
漱石の書斎を再現したお部屋。
田端文士村記念館で知ったのですが、
芥川龍之介が作家として注目されるようになったのは、
漱石が「鼻」を称賛したのがきっかけであり、
自分を見出してくれた漱石を慕っていたそうです。
忙しい漱石は来客の応対は木曜と決め、
芥川もメンバーとなる「木曜会」ができましたが、
芥川はこれを真似て、「来客対応は日曜日」というルールにしたり、
漱石の書斎にあるのと似たような書を、自分の書斎にも飾ったり、
机の材質やペン置きなども漱石を真似て選んでいたのでは・・・
と、記念館の「ココミテシート」に紹介されていました。
展示を見ていると、そのような二人の交流も
頭に浮かびます。
企画展で取り上げられていた鈴木三重吉もまた、
漱石を慕い、見出された作家です。
三重吉は後年、児童雑誌「赤い鳥」を刊行しますが、
これに芥川が「蜘蛛の糸」を寄稿しています。
それぞれにつながり合った作家たちの軌跡を知り、
自分にとって実り多い鑑賞となりました。
芥川も漱石も、20代早々で仕事など様々に悩みながら、
家族を持って、作家という道を見つけ、
短期間で多くの傑作を産みだしています。
今は人生100年時代と言いますが・・・
彼らの時代は、毎日の時間、人生が
今よりもっともっとギュッと凝縮しているような、
そんな印象を持ちました。