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Ride in Setouchi & San-in Day 55 (9/5/19) San-in History Museum 山陰歴史資料館

2019.05.10 09:35

San-in History Museum 山陰歴史資料館

今回の旅はすでに1ヶ月半が過ぎた。最近は休暇を入れていなかったので、今日は休暇も兼ねて近場でゆっくりと過ごす。先日行きそびれた山陰歴史資料館に行く。

川沿いの自転車道路を走る。今日も大山が綺麗だ。

San-in History Museum 山陰歴史資料館

米子歴史資料館でなく山陰歴史資料館とあるので幅広い展示がしてあると期待していた。特にこれに興味があった。

現実は期待を相当に裏切るものであった。手の抜き方が顕著に分かる。常設展示と特別展示がある。まずは常設をみた。米子城のことには一切触れていない。インターネットで事前に調べたところ無料で歴史に興味あれば良いところとあったが、常設展示は歴史は昭和以降のものだけ後は写真展のみ。有料の特別展示が米子城に関するもの。お金を払って見学。内容はごく一般的なもの特に特出すべきものはない。会議室に机を並べての展示。パネルもどうみても古い。おそらく以前は常設展示だったものを米子城を切り出して有料にしたのが分かる。しかも米子城関連は少なく、松江城、月山富田城、鳥取城の方が多く。米子歴史資料館でなく山陰歴史資料館とした理由がなんとなく理解できた。全ての展示は撮影禁止となっていたので、ずさんさが紹介できなくて残念。しかし、パンフレット類は立派なものがあった。ちゃんとやればもっと良くなるのにと思った。

米子城が素晴らしかった。特に天守台からの中海の景色は今まで見た城からの景色で一番。米子市役所はこの資産を活かす方法をもっと考えるべき。

米子は山名、尼子、毛利 、吉川広家と領主が変わっていく。関ヶ原で毛利が減封、吉川広家が岩国に転封で去った後、中村一忠 (中村一氏の嫡男)が入り伯耆17万5千石で米子藩となる。(1600年) 中村氏の時代は長く続かず1609年に中村一忠が急死で中村家断絶。その後、伯耆は分割され、米子6万石で加藤貞泰が入封。1617年に加藤貞泰は大洲(愛媛県)に転封となり米子藩は廃藩となり、鳥取藩の管轄となる。一時期は鳥取藩の藩庁を鳥取城から米子城に移す話が出たが、鳥取城改修で藩庁継続となった。鳥取藩は池田氏が藩主だが、鳥取藩特有の「自分手政治」と言うものがあり、次席家老の荒尾但馬家が統治を委任され明治維新に至るまでその体制が続いた。荒尾但馬家はあくまでも城代という立場だったので、米子は城主のいない城であった。米子の人はかつては米子藩で独立しており鳥取と張り合うぐらいであったという自負があるようだ。鳥取県の中でも西の伯耆と東の因幡では気質が違っているようだ。(これは後日、鳥取で地元の人から聞いた。)

帰りにアーケード商店街を通って見る。街の元気さを見るにはアーケード街の賑やかで分かる。残念だが、元気があるとは言い難かった。8割がたの商店はシャッターが閉まっている。人もあまり通っていない。数軒は貸店舗の貼り紙。米子市はどうも手詰まりの感がある。

資料館ではあまり時間をかけなかったので今日はゆっくり出来た。ショッピングモールで昼寝までしてしまった。