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MYMINESIGNのたまりば

5/10 自己紹介⑷

2019.05.10 10:00

2016年 神戸ファッション専門学校ファッションビジネス学科に入学した。

まともに学校へ通うのは5年ぶり?くらい

不安だったけど すぐ馴染めた。

幸い 人と接するのはスカイプで連日通話してたので好きだったから。

皆が服が好きっていう共通点があるので

普通に大学より友達は作りやすいと思う。

エディスリマンに身を包んでイキっていた。

服の話がよく会う子がいた、彼はトレンドをよく読んでいたので 当時流行りかけていたデムナの話をよくした。


この時の俺の正義はまだトレンドを読むことだったんだろう。

コレクションは主要ブランドを何回も見て

根底のテーマを探ることをよくやっていた。


しかし半年が過ぎた頃 クリエイター学科とビジネス学科の差が開いている違和感があった。僕達が服に情熱のない先生の講義を聞いている間 ずっとクリエイター学科は手を動かしていたからだ。


学期の切り替えの時期 学科変更できるのを知り すぐクリエイター学科へ編入した。

ミシンは糸の掛け方も知らなかった、服の型紙のことをパターンっていうのも知らなかった、ていうか服ってどうやって作るのかもしらない。

ビジネス学科のみんなと離れるのは寂しかったけど。。


1年の9月。立体裁断の講義にいきなりぶち込まれた。

知識ゼロマンがいていい場所じゃない。

でも、クリエイター学科のR君やJ君がよく教えてくれて

ゼロからの僕をみんな教えてくれたり先生も優しかった。

なにより志 学ぶ理由をもってた僕は皆を抜かす気でがんばった


自分の作りたい服を 自分で作れる。

学べば 作れる そこに魅力を感じない訳がなく

あっという間に服作り大好きマンになった。

口を開けばヨウジヤマモトヨウジヤマモトヨウジヤマモトになったのもこの頃。これについても後日書きます。


一年の最後は学校全体のファッションショーがあって 1年生のショーリーダーをN君と企画練り出してプレゼンして勝ち取った。


ヨウジヤマモト16aw rieギャバストールコートを目指してストールカーディガンを作ったっけ。



2年生になった時 服作りはまだ意味不明で

楽しいよりうまくいかないイライラする!

のほうが強かった。 なのでちょいちょい流してやっていました。

一着つくるのは大変で

ユニクロでシャツが1990円で売られていることの恐ろしさに気づいた 布代でおわるでそれ、、、、 

その頃の僕はシャツ一個作るのに一週間くらいかかっていた。


2年は神戸コンテストでミラノに留学していたエスモードの人が講義に来てくれた。

僕はすぐにその先生が好きになって

積極的に意見をもらったり教えてもらいました。 テーマから服のデザインに落としていく

フランス式の技法もここで学びます。

沢山紙や布を切ったり貼ったりして

偶発生を待つ そんな感じです。


当時のデザインボード

シュールレアリスム 好きです。

どんだけヨージすきなんでしょうか笑



書くだけがデザイン画じゃないです。

2年生はものづくりの奥の深さに気づいた年

3年生は没頭した年 


ちょっと長くなるので明日に分けます。

明日は3年生のことを書きます。

見てくれている方本当にありがとう。