帝国対王国4-ハプスブルクは縁談で参戦
2019.05.12 10:40
神聖ローマ皇帝からブルゴーニュへの用事は戦争ではなく縁談だった。皇帝フリードリヒ3世、43歳になってようやく子を授かった。この子こそハプスブルクに栄光をもたらすマクシミリアン1世であった。父といえば弟にウィーンを乗っ取られたり、ハンガリー貴族に反乱されたり苦難の連続。合戦間際に縁談とはKYもいいとこだが、このエピソードから後に「幸福なオーストリアよ、汝は結婚せよ」という有名な格言がつくられることになる。
ブルゴーニュ家シャルルは動いた。子供は一人娘のマリーしかおらず、どの国も縁談を求めていた。しかしシャルルはなんと縁戚になって次期皇帝を狙ったのだ。1473年10月、公と皇帝は古都トリーアで会見した。このとき公は相手を威圧するため3000人の胸甲騎兵、5000人の軽騎兵、6000人の随行員を連れ、ダイヤを付けまくった衣装を着ていったらしい。
贅をつくしまくった宴会で、公が切りだしたのは「ローマ王にしろ」。つまり次期皇帝にしろ、ということだった。押しのシャルルに対して粘りのフリードリヒ、推挙は自分の一存でいかず、選帝侯の承認を得なければならないが自分にその自信がない、と。そして縁談さえまとまると、さっさと11月24日、夜半にトンズラをしてしまった。
そこで、公は会談の結果得たヘルレからドイツ領に向かって軍を進め、74年デュッセルドルフの対岸のノイスに大軍を押しだした。この策はまずく、侵攻されることを怖れたアルザス、スイスの領主達が「低地連合」を組み、ブルゴーニュと戦い出したのだ。それにシャルルが気を取られるうちに、あちこちに巣をめぐらした蜘蛛、ルイ11世がついに動く。
下はカール5世の時代でしょうか?ハプスブルクの婚姻領土を著した絵