Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

keiko_osakaの隠れ家

母の日というよりも~追記

2019.05.12 14:59

かいたあとに、あー長かったなぁと思い返していたところ、

私の性格形成や人生に関わるとても大事なことを

かいていなかったことを思い出し、今更ながら追記します(笑)


ひつこいなと思う方は別に読まなくても問題はありません。

(だったらなぜ書く(笑)


高校生活が非常に希薄になった原因はバイトと書きましたが、

実は高校2年のとき、私は顎の手術のため半年間、

話すことができず、学校へいっても誰とも

話さないということがありました。

いや、別にそれまでは話していたので、

周りもみんなわかってくれてたんですが。


あと母が足の手術のためまたまた半年間、家事とバイトにおわれ、

学校に行けなかったことがあります。

姉はまだ看護師になりたてで、寮から病院へ勤務していたため

家には帰れず、洗濯物を実家に持って帰る状態だったので

それをせっせと洗い、父はもちろん現役の市役所勤めだったので

家事全部を放棄。私がするしかなくなり、料理、掃除、洗濯をし、

学校へ行くと休み時間に宿題をすませて、夜はバイトへ。

苦学生のような生活をしておりました(笑)


また姉の勤めている病院に母が入院していたので、

母の洗濯ものをもって帰ることはしていた姉ですが、

たぶん家族全員誰も母の元へはあまり行かなかったと思います。

私はバイトが休みの日だけですが、料理を作り、

味気ない病院食以外のものを食べさせようと

通っていた記憶があります。


実は父も人でなしではないので(笑)

何も家のことをしない姉を一度怒鳴りつけたことがありましたが、

看護師になりたての彼女にこれ以上の苦行は絶対無理です(笑)


私も誰も恨むこともないし、逆にしんどくても楽しかった思い出もあります。

家族の役にたつことなんて、生まれて初めてだったから。

しかし高校2年のとき、出席日数が足らず、赤点のまま

体育は進級・・・これだけは出席しないと点数がもらえない。

テストでなんとか稼ぐというわけにいかず、どうにもならなかったのです。

だから本当はちゃんと勉強すればそれなりにできた(うそつけ

と自分では信じてます(笑)


そんな高校生活をへて、短大にいったら、今度は

姉と母にうとまれるという流れがあり、私がもう家にはかえりたくない~~と

尾崎ばりに思った経緯をここに記しておきたいと思います(笑)


くだらない話をよんでいただいてありがとうございました。