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悟りへの階梯は、確実に現れ続けてい​る!   左藤滋光

2019.05.12 11:00

痛ましい交通事故は後を絶たず、

つい先日大津市で、

散歩途中の保育園児たちの信号待ちの中に、

そこへ目掛けて、車が突っ込んだ。

恐るべき惨事です。

ひとたまりもないではありませんか!

園児2名の命は奪われ、

多数の負傷者を出したのです。

事故現場では、

花を手向ける人が後を絶ちません。

慰霊を捧げ、怪我からの回復を祈らずにはおれません。

私は昨日東京の集いで、

この事故について詳しくお話し致しました。

そしてこうして、

私達が出会えているのは、

命あってのことなのです!

生かされているのです!

このように訴えたのです。

理由があるのです。

私は、

38年前に命を失っていてもおかしくない、

即死の交通事故で絶命したとしてもおかしくない、

戦慄の出来事を持っているからです。

これからお伝えしたいと思います。

38年前、

その当時私はミニカ360という、

本当に小さな軽自動車で、

滋賀県から長野県牟礼のお寺に遠出していたのです。

そのお寺に滞在していた夜の6時頃でしょうか?

滋賀県の地元の村から、電話がかかってくるのです。

用件は在所出身の方が、嫁ぎ先で亡くなった。

葬儀については、

習わしとして出身の在所の寺の住職は出ることになっている、明日の昼にある、と。

お願いなのです。

私は滋賀に来てまだ半年ほどでした。

何も分かりません。

ここで最大限貢献しなければと、

即、受諾の返答をしたのです。

ところがその時—

大型台風の接近が予報されていた。

間もなく来るわけだ。

台風の前の静けさ—

まだ雨は降り出してはいない。

よぎる不安—

だが、

若さにまかせ、

長野県の山奥を夜8時頃出発した。

出発するなら今しかない、と。

今思えば、

無謀きわまりない。

出発して途中までは順調—

だが案の定、

風雨は強くなる一方、

大雨は激しくフロントガラスを叩きつけて来る!

暴風雨の真っ只中になってしまった!

ここはどこか!

どこまで来たのか!

前も後ろも右も左も全くわからない!

見えない!

何も見えない!

何一つ見えない!

得体がしれない真っ暗闇—

土砂降り大雨の中にいる。

聞こえるのは叩きつけの音だけだ。

もう車は動かせない。

止めるしかない。

道路のどこらへんに止めるか、

道路なのかさえもわからない。

恐怖のどん底に突き落とされた!

まだ左側に寄せられるのか!

崖から落ちやしないか!

早くしなければ!

交通事故にあったら大変だ、

ギリギリ道路の端に止めたつもり、

本当は分からない。

叩きつける大雨で何も見えないのだ、

分かりようがない。

ここら辺か?

これ以上左に寄せられるのか?

落ちないか!

恐怖の中、疲労はピークとなり、

深夜ウトウトしてしまう—

すると突然!

ゴーッ!!!

飛び起きた、

衝撃音と共に、

激しく小舟のように揺さぶられたのだ!

何だ?

すぐ傍を何か大きなものが突っ走った?

トラックか?

すぐに再び、

漆黒の闇の激しい雨音だけに戻る—

 

 

疲れ果てていた私は、

再びうとうとする。

目が覚めた時、

夜は明け雨は止んでいた。

ドアを開け外へ出る。

昨夜寺を出発して以来だ。

ボンネットに目をやる。

右側のサイドミラーがない?

あれ―どうしたんだ?

まもなく私の頭は動き出し、

深夜の事件を想起した。

戦慄が走る!

あれだ—ッ!

すれすれに走るトラックが、

ミラーだけを引っかけ、

引きちぎって、

突っ走って行ったのだ!

背筋が凍る、

ほんのわずかのハンドル加減、

ほんの何cmかの接近で、

私は即死だった—

車ごと引っかけられるからだ。

一瞬で死亡事故は起きるのだ!

恐ろしい出来事です。

だから、

人と人が出会えるという事は、

お互いが今日まで命があったからなのです!

今日まで生かされて来た命だからこその、出会いなのです!

東京で、

このように訴えた。

集いは夕方5時に終わり、

私は帰途に着いた。

5時18分頃—

参宮橋駅前の踏切を越えた。

私は、道行く人の中にあって、

あーッ!!と大声を出してしまった。

つい今しがた、

集いで語り明かした恐怖の体験談—

38年前の長野県から出発したその時、

その寺の住職だった H さん—

目の前を歩いて来ている!!

えーッ!

びっくり仰天!

このタイミングで、

出会うこと自体が、

あり得ないではないか!

誰だって、たまげる!

( 受付の伸光さんが私と同行していた。彼が証言してくれるでしょう )

私は教えられた。

この戦慄の体験は、

交通事故の警告として、

行動上の警告として語り継ごう、と。

そして、神足が効験したとも言えるのです。

これは、悟りへの実証です。

タイミング・時とは、

在りようが決まる、最終の決定ではないでしょうか?

自由に働き出すならば、

人生が創造される力、

運命が変わる力ととらえられます。

これは悟りの実証となります。

踏切での不思議は、

時が合ったからです。

このタイミングだから、

不思議として衝撃となり、

人のその後を変える。

その人に関わる人たちをも変えていく。

神足は、

悟りの力を現実に、

現して進んで行く、

こう気付き始めるものです。

今夜も感謝から!

和顔愛語のあなたが、

一番いい。

左藤滋光 合掌