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キャンピングカーで日本一周

5月1日 長崎市 → 佐世保市 → 平戸市[平戸市生目町博物館、春日集落案内所かたりな](152km)

2019.05.14 05:52


ゴールデンウイークも本番に。


長崎市から大村市を経由して佐世保市へ向かい、こちらも小休止。


二晩ほど、佐世保市内の道の駅「させぼっくす99」でお世話になり、今日は平戸方面へと向かう。



オレンジ色が目に鮮やかな平戸大橋を渡り、ここから平戸島に入る。



平戸島は「橋で繋がった日本最西端の島」である。


平戸市街は、他の長崎県内の街と同様、平地が少なく、駐車場も多くはない。


昨年、平戸の周辺が世界文化遺産登録されたこともあってか、訪れる観光客は多いが、駐車場はどこも満杯で入れない。


仕方なく、市内観光は明日に持ち越すこととし、平戸島のさらに西を目指すことに。




平戸島は平地が少ないとはいえ、山に囲まれた棚田は多く、その多くは荒廃せず苗が植えられているか、あるいは水を張って田植えを待っている。 


畑よりも水田を多く見かけるのは、大きな山はないが、それなりに水源が確保できているということなのだろう。



しばらく走って生月大橋を渡ると、その先は生月島である。




島にある道の駅「生月大橋」は、生月大橋を見上げる絶景ポイント。



だが、残念なことに施設は小ざっぱりとしていて、地元の特産品を多少扱っている程度。

当然、レストランの類は一切ない。


小腹が空いていたので、港近くの「ふるさと村」に移動して昼食をとる。


ランチタイムだけに駐車場そばの店は、どこも満員。


通りを挟んだ向かいに「寺田食堂」の看板を見つけ、暖簾をくぐる。


特に期待もせず、無難に「皿うどん」を注文。


長崎に入ってから何度目かの「皿うどん」であったが、ここが一番美味しかった。



至福のときを過ごしたところで、道の駅から坂を少し登ったところにある「平戸市生月町博物館・島の館」を見学する。




生月島の地元の博物館だが、なかなか立派な建物である。 


入り口前には鯨の親子がお出迎え。


というのも、この島は捕鯨基地として栄えた島であったから。



そして何より、この生月島は、禁教令発布後も「潜伏キリシタン」として密かにキリスト教を信仰し続け、明治に禁教令が解かれた後も、島民の多くが「潜伏キリシタン」時代の信仰の形を変えずにいるという島なのである。




まずは、入り口近くにある映写コーナーで、生月島のかくれキリシタンの歴史や伝統行事などを紹介するビデオを観る。


この島には、かくれキリシタンや農耕文化にまつわる伝統行事が、非常に多く残されていることはよく理解できた。



常設展示室に入ると、伝統的な捕鯨の様子をあらわす巨大なジオラマが現れる。 




一階の展示のほとんどは、生月島を中心とする、日本の捕鯨の歴史・文化を紹介する展示。


生月島は、江戸時代中頃から明治時代初めにかけて、日本最大の鯨組である、益富又左衛門率いる益富組の本拠地の漁場として栄えてきた。



その後、この島で捕鯨は行われなくなるが、遠洋まき網業などが発展し、漁業は今でも島の基幹産業である。


おそらく、捕鯨に特化した展示としては日本で有数のものと思われるが、我々の興味は「かくれキリシタン」の方にあったので、早々に切り上げて、二階の展示室に移動する。



「かくれキリシタン」と「潜伏キリシタン」の言葉の定義を確認すると、


キリシタン禁教令が出されてから、密かにキリスト教を信仰していた人たちを「潜伏キリシタン」


禁教令が廃止されてからも、カトリックに戻ったり、他宗教に改宗することはせず、それまでの信仰のあり方を守り続ける人たちを「かくれキリシタン」と呼び分けているという。


ここ生月島は、そんな「かくれキリシタン」が現存しているという、稀有な存在の島なのである。





ここで、少し「生月島と平戸地方におけるキリスト教の歴史」を振り返ってみたいと思う。



1550年、平戸にポルトガル船が初めて入港。 


                すでに鹿児島に上陸していたザビエル神父が、平戸で布教を始める。



                その後、在来の領主であった籠手田氏、一部氏がキリシタンとなる。


                領地であった生月島や平戸島西岸で、領民の一斉改宗が行われる(すごい話だ‼︎)。



1599年、新たに統治者となった松浦氏が、キリシタン禁教に転じる。


               旧領主は、一部の領民を引き連れて長崎に逃げてしまう(これまた、すごい話だ‼︎)


               しかし、領民の中には、この地に残り、殉教したものも多かったという。


1622年、元和の大殉教で、生月島の信者たちが処刑される。


1624年、信者の家族たちが処刑される。


1865年、国内でのカトリック再布教が始まる。


               生目島では多数の信者が、神棚や仏壇を捨てることへの違和感から、カトリックへの改宗をせず、

             「かくれキリシタン」信仰の形を継続させる。






彼らの守り続けているしきたりに、「お水とり」の行事がある。




これは、聖水を入れる「お水瓶」




「お授け(洗礼)」を行うときに用いる聖水は、必ず生月島の東の海上に浮かぶ「中江ノ島」に渡り、取ってくる。




「中江ノ島」は、前の年表中にも記した、「1622年の元和の大殉教」で生月島の信者たちが処刑され、1624年には信者の家族たちが処刑されたという、聖なる島なのある。


中江ノ島に渡った島民たちは、岸壁の前で「オラショ(祈り)」を唱え、そのあいだに岸壁から滲み出てきた聖水を集めて、持ち帰るという。




「かくれキリシタン」の行事に用いられる道具の展示品としては、他にも、和紙で作った十字架で、魔除けの意味があるという「オマブリ」や、





キリシタンの祭事のときに、道を清めて歩くために用いる「オテンペンシャ」



これは、苦行を与えるムチの形をしているが、それがお祓いの用途に転化したものだという。




また、日本風にアレンジされた「洗礼者ヨハネ」の絵などの宗教画が、多数展示されている。






かくれキリシタンの家の中を再現するコーナーもあり、居間には仏壇や神棚が祀られているが、納戸にはマリア像が密かに掛けられていたが、暗くて写真には映らず。


ネットで検索すると、生目島のかくれキリシタンの方のお宅で、信者の方がお祈りをしている産経新聞の写真記事があった。


仏壇も神棚と、どれも立派。


やはり、これをすべて捨て去るという事に抵抗を感じた、という気持ちはわかる気がした。





博物館を出て、生月大橋を渡って平戸島に戻り、ここから少し南にある「春日集落」をめざす。



途中、左手に「聖なる島・中江ノ島」が望まれる。




細い坂道を登っていくと春日集落に着く。


春日集落と集落を見下ろす安満岳は、2018年に世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成要素、「平戸の聖地と集落」の一部として、世界文化遺産に登録されている。



この集落は、キリシタン禁教後も信仰が続けられたが、安満岳を重要な信仰の対象とするなど、キリスト教が伝わる以前からの山岳信仰も取り入れていたことが知られている。


そして、石垣で囲まれた美しい棚田が有名であり、こうした稲作もまた、キリスト教の信仰同様、古くから続けられてきたものである。


春日集落案内所「かたりな」の駐車場に車を停め、まずは棚田の風景を見に行くことにし、歩いて15分ほどのところにある小高い丘、丸尾山に向かう。




「農作業期間中、農作業車以外は通行止め」の車道を歩いて登り、



イノシシ対策用の柵を開けて、



山道を少し登ると、そこは頂上だった。



頂上に小さな石の祠があり、地元の人から「丸尾さま」と呼ばれ親しまれる丘であるが、かつてキリシタンがここに埋葬されたと考えられている聖なる場所でもある。



そう考えると、気軽に登るような場所でもない気がするが、一応観光スポットの一つになっている。



周囲は見渡す限り、360度の棚田の展望である。



季節的に一番美しい時期とは言えないが、放射状に伸びる美しいラインで組まれた石垣に囲まれた棚田が、満々と水を湛えている光景は、実に見事であった。




春日集落案内所「かたりな」に戻って、ガイドの男性に話を聞く。



「春日集落は17軒の小さな集落」と聞いていたので、あれだけの棚田を維持する苦労について聞いてみる。


ファンドを募り、人の手を借りたりしているのかと思ったが、そういうことではないらしい。


世界文化遺産に登録されたことで補助金が出るので、石垣の補修などは、それで対応できるとのことだが、どこの農家さんも自力で農作業を行なっているという。


「だって、米作りは簡単でしょ♪」と、あっさりとおっしゃる。


穏やかな口調で語る、優しい表情のガイドさんの話を聞いていると、こちも癒される。



最近、どこの博物館でも、ガイドさんが率先して案内をして下さる。


張り切っているところでは、開館に入るやいなや、こちらの興味とは関係なく、有無を言わさず館内ツアーガイドを始められる。


ご自分のペースで展示物の説明をし、写真を撮ったり、活字を読もうとする我々の行為など目もくれず、引っ張るようにして次のコーナーへと進んでいってしまう。


熱心にガイドをされているこの方達が、無給のボランティアの方とわかっているだけに、こちらも相手を気遣いながら「お相手」をさせられる羽目になる。


時間が押している時など、いかに相手を傷つけずに巻く事ができるかを、いろいろと画策しなければならない。


ゆっくりと活字を一つ一つ追いながら展示物を見学し大というKY夫婦にとって、この開館入り口で待ち構える、やる気満々のボランティアガイドさん達の存在は、いささか厄介な存在となりつつある。



これは、洋品店に足を踏み入れたとたん、店員から「何をお探しですか?」と尋ねられた時の迷惑感に通じるものがある、と最近しみじみ感じている。



そんな時期、ここで出会ったガイドさんは、こちらが疑問に感じている間合いを見て、声をかけてくださり、とてもありがたかった。



ガイドさん達も、いろいろと勉強や訓練を重ねてこの場に臨んでいらっしゃるだけに、伝えたい気持ちは山々なのだろうが、やはりここは見学者の立場に立って、押し付けのない存在に徹して頂ければと、心から願う。



その後も、ゆっくりと館内の展示物を拝見し、図書館コーナーで地元に関する資料を閲覧する。


ここには、お茶を飲みながら地元のおばあちゃんと雑談できる施設もあり、心から気持ちが良いと思えるガイダンス施設であった。



出来れば今夜は、ここ平戸で一泊したいところだが、前述した通り、この島には道の駅がない。


やむを得ず、元来た道を戻り、橋を渡って道の駅「昆虫の里たびら」で宿泊する。