Cy Twombly展
先週の土曜日、5月23日から品川、原美術館に於いて「cy twombly サイ トゥオンブリー 紙の作品50年の軌跡」展が始まりました。
初日にはジュリーシルヴェスターさん(サイトゥオンブリー財団)と安田篤生さん(原美術館)によるトークがありましたので、早速初日に観覧致しました。
展覧会は全てトゥオンブリーの紙の作品によって構成されています。
最初の部屋には違う年代の作品(50年代、80年代2000年代)が組み合わされて展示されており、そこからは年代を追って、トゥオンブリーの仕事の変遷が見られるように展示されていました。幾つもの画集で何度も見てはいましたが、実物を見るのは4年前にポンピドゥー・センターで見て以来だったので、まずはその作品の情熱的な部分に胸が高鳴りました。
一番最初に展示された作品「Petals of fire 炎の花びら」からして、彼の作品の根底にあるそうした豊かなものを感じずにはいられません。
しかしこうした時に私はいつも、相反する考えを抱いてしまうのですけれど・・。(それは、アーノンクールが著作で書いていたように「・・21世紀の私たちには16世紀の作品の決定的な部分・・それを理解していないかもしれないのだ。私たちはバッハの作品の美しさしか見てはいない。その美しさというものは(そのひとつだけでさえ人生を豊かにするものではあるけれど)バッハの偉大さのほんの一部に過ぎないのである」などと言ったように、表面的な美しさにはいつも疑いを持ってしまうのです)
2つ目の部屋では54年の「暗闇でのドローイング」の作品や「グレイ・ペインティング」の作品などが順に並べられています。この辺りの仕事の流れは「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない 林道郎著」に詳しいです。
トゥオンブリーの作品にはモチーフというかキーワードとなるような、はっきりと挙げられる特徴がいくつかあると思います。例えば言葉(ギリシャ神話、詩)、辿々しい線、消したような跡(しかしそれは消されきってはいない)、繰り返される手の動き、などでしょうか。他にも色々あるとは思うのですが。
バルトが指摘しているように(「美術論集」ロラン・バルト)トゥオンブリーの作品が否応にもこちらにその手の動きを意識させる作家であるというのは非常にわかります。特にそれはグレイ・ペインティングに強く表れていると思われます。
拝聴したトークでもこの作品を説明する時だけ、キュレーターの方が手を大きく動かして描く素振りをしたのは象徴的だったではないでしょうか。この絵を前にした自分も、同じように手を動かしてみたくてウズウズしました。
どのキーワードを掘り下げてみても、それぞれに汲みつくせないほどの豊かさがあるとは思うのですが、自分は美術畑の人間ではなく文芸寄りの人間ですので、やはり気になるのは言葉の扱い方でした。
展示された絵に幾つも見られる辿々しい手つきで書かれた(描かれた?)ギリシャ神話の固有名詞や、幾つかの詩の一節、こういうものに思いを引っ張られるのです。
絵画と言葉、と言うと美術の知識の浅い私にはシュルレアリズムの仕事や、マルセル・デュシャンと言ったものがすぐに思い浮かびます。デュシャンを簡単にこう、と枠に嵌めるのはあまりに危険ですが、それらの言葉と作品の関係は、何というか反転的、鏡像的な関係にあると感じるのですね。でもトゥオンブリーの作品と言葉の関係はあまり、反転的、鏡像的とは感じないのです。何というかもっと、違うずれ方をして繋げられている感触なんですよね。(中にはシュルレアリズム的な感覚を感じる使われ方をしているものもあるのですが、少数だと思います)
トゥオンブリー本人のインタビューでは「言葉は一種の寓意、私の観念です・・・それは一種の美学ですが、その中に入っていける曖昧な形がある時、あるいは自分自身を催眠状態にし、おぼろげな感じにする時に使うのです」(「われらが時代のビッグ・アーティスト」辻川一徳)と言っています。
この本のインタビューには他にも興味深い発言が幾つもありますのでおすすめです。
トゥオンブリーの描く(掻く?)言葉たちははその言葉が意味を発するか、発さないかの境界線上で書かれたような、明滅するような線で書かれているので、不思議な、柔らかい感覚で言葉と絵が繋がっているのを感じます。
二階の展示室には80年以降の作品が多く展示されており、自分が最初に感じたような、情熱的というのでしょうか、ある意味では精神性というか、そういうものが感じられる作品が多いです。この辺りの作品を見ていて不思議なのは、トゥオンブリーの作品の格好良さなんですよね。これは、すごい不思議です。この「ダサくならなさ」って一体なんなのだろう?と頭を抱えてしまいます。構成的、デザイン的にどうというのがあるかもしれませんが、自分にはハッキリとは指摘できません。とにかく何故かどれもこれもが「格好良い」のです。
先程挙げた以外にも、アーモンド型のモチーフが繰り返し現れることや、船のモチーフ、絵の具の垂れ(晩年の作品に顕著ですね)など、考える取っ掛かりが作品の中には幾つもあって、トゥオンブリーの作品を前にして「これは、なんなのだろうなあ」と考え込むのはとても楽しいです。展覧会場を後にしてからも、インタヴューやトゥオンブリー論を読み返して同意して頷いたり、いや、それは違うのではないかな、などと考えるのもまた、絵を見る喜びでもありますね。
展覧会は8月30日まで開催しており、また原美術館アーク(群馬)の方でも5月29日から9月2日まで「サイ トゥオンブリー×東洋の線と空間」展を開催するようなので、是非行って見ては如何でしょうか。
最後に自分が知る限りですが日本語で読めるサイ・トゥオンブリー関連書目を挙げておきます。ご参考までにどうぞ。
「美術論集」ロラン・バルト
「われらが時代のビッグ・アーティスト」辻川一徳
「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない Cy Twombly」林道郎
「水声通信 23号」
「ニンファ その他のイメージ論」ジョルジュ・アガンベン