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keiko_osakaの隠れ家

不運や苦労があるから知恵が身に付き工夫して生きられるもの

2019.05.16 02:41

今日の言葉にはぐっときました。私が病気になってから

一番痛切に感じ、そして、まなんだこと。


今思えば、なんて傲慢な人間だったんだろうと思うのですが、

隣の人ができることは自分だって必ずできる、できないのは

努力していないだけだと思い込んでいました。


もちろん自分もそうですが、仕事などで「できない」人をみると

やる気がないんだなって決めつけていました。

資質もあるだろうし、性格も違うとしても、仕事ですることなんて

誰でもができると思ってました。

「やればできる」なんてどこの漫画の世界やねんってことを

本気で信じてました。


病気になってみると、あぁ、できないことってほんとにあるんだなって

実感しました。体も心もできないことを認めることは

本当に悔しかった。もともとの性格が勝気なうえに、

割ときっちりやりたがりやさんだから、もう気が狂いそうになりました(笑)


病気になって最初に私がしたことは

「できない自分を認める」作業でした。

そのうちに人のできないことも認められるようになり、

そして、今度はなんとかしてできる方法はないだろうかと

思うようになりました。


出発点が「できる」ではなく、「できない」になると

何もかもが劇的に変わりました。

いや、できないことはできないままですが(笑)

精神的に「できない」から始めるとたとえ10パーセントでも

できれば、「できた!」ことになっちゃうのですよ(笑)


数え方の違いですよね。できないことを数えるのはやめて

できることを数え始めた。するとどんどん他人にも優しくなれる。

もちろん自分を責めることもなくなった。


そして、今は、とりあえず生きることができてるってだけで

十分自分をほめてやろうと思うのです。

なぜか・・・死んだらって考えたら、めちゃくちゃ面倒じゃないっすか?(笑)

親や兄弟、旦那、みーんなにめちゃくちゃ迷惑かけちゃいますよね。

入退院くりかえしてても、生きてるほうがまだ楽でしょ?(笑)


そこまで思いが至るまでにはずいぶんかかりましたが、

やっぱり2年前に延命措置の話が医師と出たときに

ついにここまできたかと思ったのが大きいかも。

それまでもそれなりに病人ぽくしてたんだけど

そこからはやっぱり坂道を転がり落ちるように

弱り始めたと思います。

クリスマスも正月も病院で過ごすようになり

姉がこういいました。

「医師と延命措置の話まで出てるならいっそ家に帰ったら?」


目からうろことはこのことでした。そして姉がつづけて

「どうせ死ぬならどこで死んでも同じやで」


た、、、たしかに(笑)きつい言い方ととる人もいるでしょうが

私はめちゃくちゃ納得したわけです。

でも自分としてはまだもとに戻れるなんて甘い思いがあり、

「家に帰っても掃除も洗濯もなんもできないし・・・」というと

「しにかけやのに何するきやねん、何もできるかいな」

とばっさり(笑)


もう笑っちゃいました。そうなんだ、私、もうしにかけやのに

今更掃除?洗濯?ふふ、ばかばかしい(笑)

そっか、今の私にできることって、ただ生きることくらいかーって(笑)

それでいいんじゃないかなと姉の言葉で納得しました。


そう、生きてりゃいいんだよって素直に思える。

周りもそう思ってくれてるんだってわかるし。

どんな状況だってとにかく生きよう。苦しくたってつらくたって

そんなもん、今に始まったことじゃないし。

今までだって十分つらかったじゃないかと思うと

笑いがこぼれてくる。そっか、全然平気じゃん!って。

よーしまってろー!これからもぐーたら生きてやるぞー!


あ、ちなみに細々と宝くじ買って、なんとかうまいもん

食べる資金をねりだすぞーっ!おーっ!(馬鹿





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