Ride in Setouchi & San-in Day 62 (16/5/19) Tottori Sand Dunes 鳥取砂丘
Tottori Sand Dunes 鳥取砂丘
Tottori Sand Dunes 鳥取砂丘
鳥取砂丘への道を走っていると、たまたま、自転車道にぶち当たった。鳥取砂丘に行けるようだ。と言うことで、この自転車道で行く。砂浜と言うイメージだったのでかなり登らなければならないのは想像していなかった。だから砂丘なのかとやっと理解できた。直接では登れる傾斜ではないので上まで電車のスイッチバックの様にジグザグで上まで登る。自動車道の方はトンネルで距離は半分。
砂丘はただの砂地というわけではなく所によってその様子は変わっている。まずは案内板の西口。砂浜だけでなくブッシュと混雑している。(後でわかったにだが、これが砂丘保存の課題らしい。)
次に西側絶景ポイントと書かれたところ。砂丘らしくなってきた。まだここらは人がちらほら程度。
自転車道から観光バスループコースに入る。道に沿って背の高い木の林があり、砂丘を囲っている。
まずは展望台まで行く。坂道だが、高いところに行った方が砂丘全貌が見えるかも知れない。苦労する価値がある。
と思ったのだが、それほどよく見えない。砂の美術館、土産物店、砂丘へ降りるリフトがある。展望とはこのリフトに乗って見るのだ。何故リフトがあるのかやっとわかった。写真はリフトに乗らず展望台というところから撮ったもの。土産物店にはここでの花形のラクダの人形。しかし、結局ラクダに乗っている人は見かけなかった。ファットバイクやセグウェイも貸し出しやツアー、パラセーリングもあるのだが、平日のせいか見当たらなかった。砂の美術館に行けば砂の芸術作品が見れるのだが、土産物店の砂のオブジェ(砂像)で我慢。(この砂像についてこの後話す機会があった。後述する)
砂丘のメイン会場まで降りる。
砂丘に関する資料館があったのでまずは知識を蓄えてからとする。砂丘の四季を映像で流していた。
パネル展示はわかりやすくなっている。
小高い丘になっている。
すり鉢というが、蟻地獄に様でもある。
小さいけれどオアシス
オアシスの中に川が流れている。地下から突如現れ地下に消える。どうなっているのだろうか。
オアシスの近くには火山灰の跡か溶岩跡か硬い地表が出ている。
色々な砂のアートを見たかったが風紋だけは見れたがその他は残念ながら見ることはできなかった。
鳥取以外にも砂丘は結構あるのだ。
砂丘の維持は大変だ。鳥取県に取り重要な観光資源なので努力されている。砂丘の移り変わりの写真があるが、どんどん小さくなっている。鳥取県、鳥取市にとって死活問題。不謹慎だが、観光資源でなければ、消えていくのも自然の営みと考えれば仕方無いにかも知れない。
外来種は砂丘にも影響を与えている。
その他、この日の写真集
資料館で女性に声を掛けられた。さっき自転車で走っているのを見かけた。どこから来たのか、どこに行くのかで会話が始まる。イギリスのコベントリーに留学していたそうだ。コベントリーは会社勤めしている時に駐在していたところのとなりの市で良く知っている。今は倉吉に移住して福祉関連の活動をしている。イギリスからキリスト教の牧師夫婦が来ているので紹介してくれた。川村さんという。もう35年もイギリスに住んでおり布教活動をしている。奥さんは自分の近所に住んでいたとか、ポルトガルのリスボンの隣町のカスカイスにいたとか (カスカイスはポルトガルの会社の副社長をしていた一時期住んでいた) で話が弾んだ。川村さん一行と話しをしている最中に、鳥取環境大学の教授と学生さんが話しかけてきた。大学で砂像を作るのだが、そのテーマを決めようと色々な人に期待する漠然ととしたキーワードを聞いているとの事。そこから始まり色々な鳥取の課題などを話しあった。この砂像は砂の美術館に多くあるのだが、出展している芸術家は殆どが外国人で日本人は一人だけ、日本人の砂像芸術家を育てたい。札幌の雪祭りの様に鳥取の砂像祭りにしたいと言っていた。これは鳥取を元気にする可能性があると思う。芸術家育成の活動を詳しくは聞かなかったが、私見では芸術家が求めているのは世に自分の作品を見てもらえる機会だと思う。この砂像についても、地道な育成を考えるより砂像コンテストなり、街中に定期的に砂像を展示する機会を作れば、野心的な無名の芸術家は砂像に自己表現として参加する筈だ。やって見るべきと思う。それが鳥取の新しい観光資源となれば良いと思う。鳥取にはまだ埋もれている魅力的なところや物や文化がある。どう引き出して世の中を刺激するかだ。
今日で1週間の鳥取滞在が終わる。もっと滞在すればまだ新しい発見があるだろうが、他の地域も見てみたいので、鳥取はひとまず終了とし、明日は津山を目指す。