Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

©︎ASHiNA’s

僕は、芸人・アパレルをやる為に産まれてきたんじゃない。

2019.05.16 16:02

前澤社長に、RTされた。嬉しかった。

何故なら、ブログを読んだ感想だったから。


「こいつは読んだんだな。」

って認められた気がしたから。



読んだだけなんだけどさ、

前澤社長は、僕のやりたいこと全部やろうとしてんだ。ずるいよね。さっきにやるってずるい。だから、他の道を考えるようになる。




前澤社長の話は、ずっと後に出てきます。



こんだけ見られてても、

「服欲しいです!」は、1件だけ。


単純に広告の仕方が違うんだろうけど、

僕の感覚の何かが違う。


だから、いつも初心に振り返る。

やりたい!を見つめ直す。









僕は、芸人を辞めたくない。

だから、アパレルをやっている。






●何故、芸人を続けたいのか。

それは、好きだから。




小学生の頃、身体が大きいのにスポーツが出来ないし、人とどう接すればいいのか分からなくて、気味悪がられ、勉強も全く出来ない僕は、引くほどいじめられていた。


学校に行くのも嫌いだったけど、

「学校にいかなきゃいけない。」

という家族に与えられた常識を壊せず、仕方なく学校に行き、そこで諦めた分、すぐに家に帰り、TV番組やゲームに没頭していた。


そんな時に、松本人志と中居正広のW主演の

「伝説の教師」というドラマを見た。


借金まみれの男、南波(松本人志)が、

借金取りの悪ノリで、借金を返済する為に、

私立中学の先生として働くお話。


僕は、第1話で、ぶん殴られた。


南波がいじめられっ子を捕まえて、

「なんで笑い取らねーんだよ。」

とキレるシーンがある。


めっちゃくちゃ響いた。


話のオチなんてよく覚えてない。

「いじめられっ子が悪い」

って考え方が僕に勇気をくれた。


「僕が変われば、いいんじゃね?」

って、




次の週の月曜日、国語の授業。

僕の名前は、「芦名秀介」

出席番号の始めから2番目。

音読の時には、必ず当てられる。


僕の教科書は、黒く塗りつぶされていた。

読めない僕を笑う男が、1人。

いじめっ子だ。


「え?お前字読めねーの?ウケる!笑」


クスクス笑ってる他の生徒もいる。

いつもは悔しくて、泣いていたけど、

今日は違う。


僕の番は、飛ばされ、次の人。

そして、次の人。

そして、次の人。

そして、いじめっ子の番になった。


僕は、隣の女子生徒の教科書を見せてもらいながら、いじめっ子の音読に耳をすます。


いじめっ子は、バカだった。

漢字が苦手なのは、知っていた。


その時、ある漢字を読み間違えたのを、

たしかに聞いた。


「えっーーー!?○○だよ!!その漢字は、○○って読むんだよ!!△△って読んじゃったの!?かわいいーーー!!!」


当時の僕が最大に面白いと思う言い方で、

震えながら大声で、言い放った!


すると、奇跡的に、ウケた。

しかも、教室が揺れるほど。


その後、

先生には、めっちゃ怒られたし、

いじめっ子には、いつもの倍殴られた笑



けど、全然良かった。

だって、いじめっ子を倒した気がしたから。



そして、

僕は人を笑わせることに取り憑かれた。


中学、高校の文化祭では、漫才をやった。

大学のダンスサークルの夏合宿でも漫才をした。










けど、僕は、芸人を2回辞めている。

それは、芸人をやる理由をいつの間にか嘘だらけにしていたから。





純粋な”やりたい!”を、

後に知らされる”常識”のせいにして、

芸人でいる理由を自分の中に持てなかった。













1回目に辞めた時の理由は、”仕方なく。”


1年目になる前、

ボケてて判断力がつかない祖母のもとに、大家が立ち退きのサインを押させに来た。


そのサインは、有効となった。

何故なら、祖母がまだ病院で”痴呆”と診断される前だったからだ。


家族みんなが

「それは、おかしい!」

となり、裁判になった。


その途中、祖父が倒れた。

精神的・肉体的な過労と大腸のガンが併発しての事だった。


両親は、既に他界している。

大切な家族は、祖父、祖母、兄の3人だけだった。


そこで、兄に言われた。

「いつまで遊んでるんだ?」


そして、

僕は”お笑い”という遊びを辞めて、就活を始めた。






その状況下において、お笑いを遊びではないと強く言えるほどの行動を僕はしていなかった。


ネタは相方に任せきり、

女の子とは死ぬ程遊び、

親の財産をタクシー代と女の子と遊ぶ金に全額注ぎ込んでいた。


「女遊びと酒とタバコは、芸の肥やし。」

そんな甘い言葉を真に受けて、クズで、カスで、クソな行動・環境に身を置き、自分があの時目指していたお笑い芸人から程遠い

誰かのイメージ上の芸人

になっていた。





就活中、上手くいかない時は、

「芸人に戻りたいな」

とずっと嘆いていた。


楽だったから。



んで、

受けた企業は、テレビ局全部と電通博報堂。

どれも内定は、もらえなかった。


祖父も回復し、実家も取り戻せた。




そこで、兄に

「芸人に戻りたい。」

とお願いし、戻った。


やっぱり楽をしたかった。

芸人でいるのは、楽だった。


“好きな事をやっている”

だけで、生きてて良いような気がした。


そんな訳がないことは、まだ知らない。









2回目に辞めた時の理由は、

”テレビに出られるから。”


3年目の頃、コンビを解散し、ピン芸人にの時に、兄に言われた。


「お前テレビ出たいんだろ?

芸人になっても、テレビに出られない。

けど、アナウンサーになったら、テレビに出れるんだぞ?どー思う?」


僕は、アナウンサーを目指す為に、芸人を簡単に辞めた。


新卒ではない為、キー局は受けられず、

地方のテレビ局を受けまくった。


それと並行して、アナウンサースクールに数十万円支払い、いきなりステーキのバイトでなんとかやりくりしながらアナウンサーを目指した。



鹿児島のテレビ局の最終までは、行けた。

結果、落ちた。



受かったのは、同じアナウンサースクールに通う女の子だった。


その子は、何故か、僕のことを素直で良い人間だと凄く尊敬してくれていて、内定の連絡の電話が来た時も、開口一番

「芦名さんも受かってますよね?」

と言ってくれたそうだ。


そうではない事を人事の人が彼女に伝えると理由を聞きたいと食い下がったらしい。






そこで聞いた僕が落ちた理由は、

滑舌が悪かったから。





何故、最終まで行けたんだ笑笑

真意は、分からない。





その後、アナウンサースクールの先生に、

「芦名くんは、おしゃべりが得意だから、コンサルの仕事についてみて、アナウンサー目指せば?」


言葉の裏を読み取れば

《アナウンサー諦めなさい》ってこと。


僕は、バカだからそんな事にも気付かず、

大手コンサルの人事部長も会っていた。


そいつがクソ生意気だった。

「君は、僕が欲しい答えをくれない。」


具体的にどんな答えなんですか?

と聞いても答えてはくれなかった。


殴りたかった。

壊したかった。

自分を含め、

そこにある全てが許せなかった。




僕は、お笑いをやりたいのに、

僕は、お笑いから離れている。


意味がわからなかった。




気付いたら、その店から飛び出していた。



カッコよくそいつをぶん殴って

「俺は芸人がやりてーんだよ!てめぇみたいな1,000万そこそこしか稼いでない癖に偉そうにしているクソ野郎になんかなりたくねーんだよ!バーカ!」って言い放って飛び出せれば良かった。


実際は、

「あのぉ、オバさんが倒れちゃったみたいなんで帰ります。」


ダサい嘘をついた。



帰り道、よしもとの社員さんに電話した。

芸人に戻りたいという電話。


「どうせまた上手く行かなかったんだろ?

お前は今休んでることになってるから、俺がなんとかするから、色んな人に謝ってから、また芸人始めればいいよ。」


一生、頭が上がらない。



家に帰ると、おばさんが料理を作って待っていた。オバさんが作る野菜炒めはそんなに美味しくないんだけど、おじいちゃんとオバさんは、僕が泣きながら食べる姿に何も言わず、ただ黙って見守っていてくれた。









僕が芸人を続ける理由は、

小学生の時、芸人に救われたからなのかもしれない。それがずっと付き纏っている。


まだ、自分でもよく分かってないんだけど、

ただ、絶対に辞めちゃいけない気がしてる。

だから、辞めない。





そして、

3回目の芸人を始めてから3年後。

僕は今、芸事を疎かにしながら、

アパレルに力を入れている。



何故、こんなにも自分勝手なのか。

丁寧に説明します。











●何故、アパレルをやっているのか。

それは、芸人を辞めたくないから。


芸人に戻ってきて、”週刊プレイボール”というコンビを2年続けた。


初めは、風当たりも強かった。

だって2回も芸人辞めてる半端な奴、誰が受け入れてくれるんだよ。


だから、認めてもらえるように、

死ぬ程、頑張った。


再燃した”お笑いをやりたい!!”

という気持ちも重なって、とてつもなく狂い、ネタを作り、戦った。


劇場の上から2番目のクラスまでは、

なんとか行けた。


けど、周りの芸人には、これっぽっちも勝ててない気がしていた。


いっぱい研究して、漫才に打ち込んでいるのに、何故?


そこで、あるラジオ番組に出演した際、

先輩芸人の人に言われた。


「芦名は、何がオモロいと思っているのが、見えない。誰かがやったオモロいをコピーして発表してるだけ。」

心臓をえぐり取られたのかと思った。

それくらい図星だった。


僕の中に、確固たる”オモロい”がなかった。

だからなのか、M-1は1回戦しか勝てないし、

おもしろ荘も1次選考で落ちまくっていた。




けど、お笑いは続けたい。

だったら、どうあがいてもお笑いで食っていくしかない。


それには、

相方が邪魔に思えてしょうがなかった。


なぜなら、考え方が合わなかったから。


芸歴6年目の僕がもう一度チャレンジするときに、付いてきてくれる信頼関係でもなかった。


これ以上そいつとも、仲悪くなりたくなかったし、本腰入れて自分という人間の面白さを上げられるとこまで、上げたくなった。


だから、2018年11月に解散を告げた。


相方は、その暴挙を受け入れてくれた。














そこで、困った。

俺には、やる気しかない。


コンビのネタを書いたり、意思決定は僕にあったけど、舵を取るのに失敗してきた2年間だった。



どうにか頭の良い奴の意見を聞きたい。


そこで思いついたのが、

オリエンタルラジオの中田さんだった。



解散する時期に、同期から

「中田さんのラジオ聴いてる?」

と言われたのが10月の中旬だった。


何でも、1万円のTシャツを売ってるらしい。


試しに初回放送のラジオを聴いてみると、

ぶん殴られた。


熱量がエグい。

この人は、なんで芸人やってるんだろう?

なんて微塵も思わなかった。


そこには、中田敦彦という1人の人間がやりたい事を叶えていくのに、今まで培ってきた経験全てをぶつけ、チャレンジしている世界があった。


とてつもなく魅力的なで、悪魔的だった。


そのラジオを聴いて僕は、

言われた気がした。



「お前ん中にあるモン

全力でぶつけてこいよ!!!!」

って。


中田さんは、言ってないんだけどね笑笑




次の日、僕は乃木坂の幸福洗脳で借金して4万円分服を買った。単純に欲しくなっていたのもあるが、その先の”ここでバイトをして、中田さんと密な関係になって芸事のアドバイスを聞く”という目的を果たす為だ。


そして、たまたま中田さんに会えた。

んでバイトをしたい事も、その場で告げた。


「DMちょーだーい!」

と返され、その場は終わった。


後から本人から伺ったが、

最初は雇うつもりはなかったらしい。

 

だってそうでしょ?

急に現れた後輩芸人が

「バイトさせてください!」


絶対、痛い奴じゃん笑笑


しかも、僕はDMでこう送った。

痛すぎる。

しかも1万円盛っている。笑


返信は、すぐには返ってこなかった。


けど、僕は諦めず、

幸福洗脳の服を着て、

踊って、ツイッターに動画をあげた。


自分が、その時出来る事を全てやり尽くしてから、散りたかった。


干されても良かった。



上の画像でも、分かる通り、返信は来た。


「1度会って話そう。」


そこから、なんやかんやあって、

僕はバイトを始める事が出来た。







それからは、

驚きというか、喜びの連続だった。


世間のイメージでは、”なんか怖い”という”中田敦彦”という人間は、めっちゃ熱くて、ちょー人間で、ちょーエンターテイナーだった。



近くなり過ぎた。

憧れてしまった。


同時期に、キングコング西野さんの新世界も読んでいたのがいけなかった。


同時期に、FR2の石川涼さんの記事を読んでいたのがいけなかった。




どうしても、

アパレルをやりたくなってしまっていた。



それを中田さんに伝えると、

「オモロいな、芦名は笑」

笑って、応援してくれた。


すごくね?

自分のアパレルで働いてる奴が、アパレル立ち上げたい!つったら、応援してくれんだよ?


やっぱ”中田敦彦”は、凄かった。

自分というどうしようもなく、身勝手な人間を受け入れてくれた。




そして、アドバイスをもらった。


「人の為に尽くせ。」


散々今まで自分の為にやってきたこの人生。

それを人の為に変える事の大切さを教えてくれた。



たまたま立ち寄ったH&Mで、僕と同じ身長くらいの男子高校生が「XLねーや」と言って、立ち去るのを見た。


僕には、その服はXLでも小さい。

彼もそうのはず。

なのに、XLを限界だと思い、求めていた。



だから、190cmで服のサイズがない僕が、

180cm以上の人の為に、XXLの服を販売することにした。


それが8EE(ビー)という僕のブランドだ。




僕1人の頭じゃ一生辿りつけなかった。




その出来事から約4ヶ月後が、今だ。

2019年5月の、今だ。





















僕は、アパレルをやる為に生まれてきたんじゃない。

僕は、芸人をやる為に生まれてきたんじゃない。

僕は、人の為に生まれてきたんじゃない。


何の為に、生まれてきたのか?

そんなの分からない。


けど、アパレルをやりたいし、

芸人をやりたいし、人の為に生きたい。


それが、自分の為になると信じているから。


それを口に出すだけではなく、実際に行動することが、自分の人間力の向上に繋がると信じているから。







前澤社長は、大好きな音楽を続ける為に、

今の会社を立ち上げたらしい。


僕もそう。


お笑いを続ける為に、アパレルをしている。




ただ、勘違いして欲しくないのは、

本気で、人生賭けてアパレルをやっている。


アパレルを一生懸命やること、

服を死ぬ気で売ること、

180cm以上の人の服の悩みを無くし、全く別の悩みに進ませることに、本気だ。



だから、デザインも死ぬ程考えるし、

売り上げで後輩に何十万円も飯をおごる。

そして、無料でTシャツもデザインし、いくら掛かろうが無料提供はやめない。



それは、なぜか。

本気で180cm以上を救いたいからだ。

そして、その奥には、自分の為もある。


だから、利益も取る。

もっと本格的に、具体的に、分かりやすく救う為に。もっとこのアパレルを有名にし、大きくする為に。


そして、

もっと僕が善い人間になる為に。

もっと180cm以上の人が楽しめるように。





だから、僕は売名行為をする。


平気で人気者の名前を使って告知をする。

平気で芸人の方々に服を買ってもらう。


僕が「服を売りたい!広めたい!」

という気持ちが嘘じゃないからだ。


「申し訳ない。」とか

「忙しそうだから。」

とかは、思わない。


だって、真剣に話をしたら分かってくれると、信じているから。


今、聞いてくれる姿勢を取ってくれないなら、もっともっと聞いてくれる人を増やして、善い人間になって、説得力を増してからでいい。




今の僕には、キングコング西野さんやオリラジ中田さんやFR2石川さんやZOZO前澤さんのように”聞いてくれる姿勢を取る人”が少ない。


けど、いる。

ちょーありがたいことだ。



それは、今は増やしていく作業だ。



やりたい事を、自分の為、人の為、自分の為、人の為と、循環させまくる作業だ。








けど、今回の前澤さんのRTで、

8EEの商品を買ってくれた人は、まだ1人もいない。



その原因は、まだ僕が本物じゃないから。

まだ僕が名が売れていて、分かりやすい結果やイケてるアイテムを持っていないから。


僕が皆さんの人生を豊かにする

信頼という説得力がないから。









無理矢理付けますよ。

死ぬほど足掻いて、結果を出します。



今月の借金返済額、残り45万円。

これを残り14日で返せなければ、カードが止まり、アパレルを運営出来なくなります。






絶対に終わらせるかよ。


やりたい事を、絶対にやって、

オモロい人間になって、芸人として売れてやるんだ。そして、その途中でも、その先でも、絶対に人の為に尽くすんだ。


そして、有名になっても、それを繰り返す。


その強さを磨く期間だと思えば、

借金とか上手くいかない事なんてクソみたいなモンだ。




だから、服、買ってください。

それが今皆さんが出来る1番の応援方法です。


こんな事言うと、

また勘違いされちゃうかもですね。


けど、ここまで読んでくれた人は、

わかってくれるはずだと信じています。













毎週金曜21:30〜

明日、金曜日21:30から生配信があります。

アプリを取らなくても、下の画像をタップすれば、見れます。


生配信中しか服は買えません。

絶対見て、買ってください。


配信限定商品も多数取り揃えております。

〜配信商品一覧〜














下記のインスタからも承っております。

一度覗いてみて下さい。

欲しい商品あれば、インスタでも、ツイッターでも連絡ください。




〜商品一覧〜


応援してくれれば幸いです。


楽しませる自信はあります!!

見守ってください!