旧北陸本線隧道群 前編
JR北陸本線
福井県のみならず、北陸に住む人間にとって切っても切れない重要な路線であることに疑いの余地のない、日本海側は代表する鉄道です。
1913年に米原、直江津間という現在の北陸本線の起点、終点が定まって以来、
線形改良の為、様々な路線変更が採られてきました。
特に新潟県の「親知らず子知らず」を走る区間と今回ご紹介する「山中峠」区間は、
線形改良の難しさから、永く国鉄職員たちを苦しめてきました。
(ただしこれほどの難ルートにも関わらず、無事故営業であったことはここに特記しておきたい。)
そんな中、1962年に敦賀、南今庄間にこれまでにない超大トンネルが掘削され、これが完成しました。
それが今回の主役たちである隧道群を、表舞台から引きずりおろした張本人。
北陸トンネル
建設当時日本一の長さを誇った超大トンネル。(狭軌レールでは現在も日本一)
これにより時間、距離数の大幅短縮に成功したのです。
お役御免となった山中峠の隧道たちは現在、県道や市道に姿を変え現存しています。
その姿を今、皆さんにご紹介したい!
今回は今庄から敦賀に向かって旧北陸本線をなぞってみたいと思います。
ここは旧道と新道の接合地点から西に進んだ、地点の交差点。
ここを今回のスタート地点とします。
そしてここは国道と県道の交差点でもあります。
そしてしばらく同じ道を進むこととなる福井県道207号今庄杉津線です。
この県道207号、旧北陸本線跡を後継した路線として、道マニアや鉄道マニアの間ではちょっと有名。
まぁあくまで一部でですが・・・。
そして現役ルートと並行しながら走っていると南今庄駅につきます。
見てのとおり今も現役です。
位置的に考えても旧駅舎も同じ場所にあったのでしょう。
(レポ公開後に南今庄駅は当該区間廃止後に新設された駅という情報を頂きました。考察編に詳しいです。
以下そのまま南今庄駅の記述も散見していますが、自分の恥をさらす意味で放置してありますのでお気を付け下さい)
そして南今庄駅を離れるとすぐ、新線は例の「北陸トンネル」に吸い込まれます。
旧線は前方の山並みを避けるように、谷に沿って進んでいきます。
直線と緩やかなカーブを多用した線形。
これが旧線跡を利用した道路の特徴です。
ある意味、写真にも映っている高速道路のような特徴を有しているとも言えますね。
まぁ目的は全然違いますが。
そうこうしているうちに大桐駅に着きます。
今庄-南今庄-大桐
ここまで現在見えてきましたね。
花壇のようなコンクリートはもちろんホームの跡。
基本的に僕は鉄道にはほとんど興味無いんですが、
こういうのには惹かれますね。
旧線というのも道路になって無ければ惹かれてなかったと思いますけど、
こういうの見るといいなとか思っちゃいます。
これが旧線跡を最もわかりやすく示した一枚。
道路ならば本来、家並みと同じ高さにあってしかるべきですが、
築堤されて一段高い所を走っています。
これは急勾配に耐えられない鉄道ならではの努力の跡。
このようにしてじわじわと標高をあげているのです。
これはちょっと・・・いいな・・・。
そしていかにも年代物のロックシェッド。
道幅的にも北陸本線由来のものでしょう。
短いけれど味があります。
そして山中信号場に着きました。
今庄-南今庄-大桐-山中信号場
以上のような流れが見えてきましたね。
ちなみにここから林道が分岐しています。
名は・・・
広域基幹林道栃ノ木山中線
ちなみにこの林道、僕の心の傷を開いたあの峠の近くも通ります。
この林道、熱い!
こんな看板もありました。
隧道ではない山中峠もなかなか素敵なところです。
ちなみにここでもう見えてるんですよねぇ。
この前編のハイライトともいえる主役が・・・。
ではご登場!
山中隧道(やまなかずいどう)
まさに単線の鉄道トンネルそのままの雰囲気。
洞内にまで浸食した緑の勢力が時代を感じさせます。
明治時代の隧道らしく赤い煉瓦での施行。
かっこいい・・・。
道路隧道なら本来扁額があるべき位置は崩壊していました。
ここだけ見ると廃隧道みたい。
よく現役でいることを許されてるなと言うのが率直な感想です。
崩壊が起こったと聞いても何ら不思議じゃない光景にしばし見とれます。
いやぁしかし良い雰囲気の隧道です。
コンクリート製の隧道が武骨だとしたら、煉瓦製はスタイリッシュ。
道を通すという目的以上の何かを感じます。
この隧道を設計した人物のドヤ顔が目に浮かぶようです。
さぁここからまだ先は長い。
さっさと隧道くぐっていきましょう!
え?
ちょっと待て?
何かやり残したこと無いかって??
え?左?
あ!
あああああ!!
ず、ず、ず、隧道がもう一本!!!
ってわざとらしいですか。そうですか。
しかし僕は探索当日までこの隧道の存在をマジで知りませんでした。
身近すぎて調べなかったことを後悔しましたよ・・・。
この隧道の素性
それは実は・・・、
すれ違い用退避所
つまりこの隧道は単線トンネルならでは、
そして信号場ならではの設備なのです。
つまり下り線が敦賀側から発車してきた場合、トンネル内ですれ違うことは当然不可能。
信号場の出番となります。
しかしこの山中隧道周辺には長い列車を停車させておくだけの広い土地がありませんでした。
そこで編み出されたのがこの裏技!
土地がないなら
掘っちまえ!
う~ん。
まさにコロンブスの卵的発想。
この隧道はわずか50m程度で行き止まりとなっていて、
まさに車両格納庫のようにして使われていたのです。
乗客は真っ暗(客車に電気ってついてたのかな?)な隧道の中で、
反対車線から来る列車を待っていたのです。
今日では考えられないですが、
それが昭和初期の北陸本線の姿でした。
閉塞隧道ならではの
真の闇
皆さんも体感してみたければ、ぜひ山中隧道へお越しください。
さて後編はいよいよ、隧道祭り!