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南江治郎(二郎)のことのは

鷹の泉より

2019.05.17 09:25

イェーツ詩劇集より

「鷹の泉」

昭和三年八月二十日 厚生閣書店発行

装幀 外山卯三郎

題字 野口米次郎

(布をひろける時とたたむ時の歌)

我に來れ  人間(ひとびと)の顏(おも)よ

親しき記憶

我は  憎惡(にくしみ)の眼を

をののかず  潤ひもなき眼を

荒れたる野邊に見出しぬ


痴呆  ひとり  我が胸に育み

我  我が分配(わけまへ)にそれを選ぶ

ただ一口の空氣なれば

我  満足(たら)ひて死なん

我は甘き空氣の一口に過ぎず。

お、悲しき影よ、

爭闘の無明よ、

我は娯(たの)しき生を選ぶ

怠惰なる牧場のうちに、

智は苦き生を營む。


(再びうたひながら彼等は布をたたむ)


空虛(うつろ)なる泉は叫ぶよ

「我が稱賛(めづ)るは

鈴(べる)にかけし手もて

彼(か)の家の樂しき戸口に

乳牛(ミルシユカウ)をよぶ、

かゝる日の總てに生る人をのみ。

泉の乾ける石を賞(ほむ)るは

愚かなるもののみ」と


赤裸々(あらは)なる木は叫ぶよ

「我が稱賛(めづ)るは

娶(めと)り  古き爐邊に止まり

彼(か)の床上(ゆかのへ)の子等と犬の外

何物も願はざる人のみ。

老木をほむるは

愚かなるもののみ」と