Ride in Setouchi & San-in Day 63 (17/5/19) Move to Tsuyama 移動 津山
Maruyama Castle Ruins 丸山城
Chizu Post Town 智頭宿
Tsuyama 津山
- Mimasaka Kokubunnji Temple Ruins 美作国分寺跡
- Mimasaka Kokubunnji Temple 美作国分寺
- Joto Old Town 城東むかしの町並
- Chishin Hall 知新館
今日は峠越えのハードなコース前半はひたすら登り坂で標高583mまで登り、そのあとは下り坂。約75kmの距離。実は日本海側を敦賀まで行くか、岡山方面に中国山脈越えにするか迷ったのだが、見どころの多いこちらを結局選んだ。朝早く出発。
Maruyama Castle Ruins 丸山城
思いがけず、この城が現れた。城跡があるとは書いていたが、天守閣があるとは知らなかった。ここも秀吉の鳥取城攻めで織田軍の拠点となった所。天守閣は当時のものでも復元でもなく、犬山城を模して造られたコンクリートの模擬天守だが、山の上に天守があるかないかで、見栄えは全然違う。遠くからも良く見える。模擬天守は少々馬鹿にしていたが、やはりあった方が様になる。
Chizu Post Town 智頭宿
因幡街道の宿場町で昔の街並みが残っている。鳥取藩の参勤交代で鳥取を出発して最初の宿場町と聞いた。鳥取からは30キロある。昔の人はよく歩いたのだろう。30キロは1日の歩く距離では普通だった。備前街道との合流地点でもあるので宿場町として大いに栄えた。
塩谷 石谷邸
ここで庄屋をやっていた家で、この建物は大正から昭和初期に何年もかけて建てられた近代和風建築。
洋風の建物もあった。昭和16年に建てられた国の有形登録文化財に指定されている智頭消防団本町屯所と大正時代の役場。
智頭は杉の産地で近くには杉の鉄道への積み込み所があった。
多くの家の玄関には杉玉が釣り下がっているが数軒で梟の杉玉が下がっていた。洒落ている。
智頭を出ると峠超えが始まる。ここから峠までは標高では400m程上り坂が続く。何度か休憩を入れて標高583mの峠越えのトンネルに到着。これ以降はほとんど下り。
Tsuyama 津山
津山に到着。朝早く出たせいか、3時前には着いてしまった。時間があるので、津山を散策。
Mimasaka Kokubunnji Temple Ruins 美作国分寺跡
Mimasaka Kokubunnji Temple 美作国分寺
国分寺跡のとなりに新しい国分寺がある。
Joto Old Town 城東むかしの町並
旧街道沿いの家屋は保存地区になっている。多くの家屋が昔の姿を残しているか、昔風に建て替えられている。
街道からは細い路地が何本も走っている。
ここが町人町の西の端。コの字型になっている。敵の侵入をここで食い止める。馬はここで一度速度を抑えなければならない様にしている。東側にも同じようになっている。
町から城へは橋を渡る。渡りきると番所があり、入って来る人々を監視/管理をしていた。城から見て東なので東大番所と呼ばれた。橋からは津山城が見える。
Chishin Hall 知新館
35代総理大臣の平沼騏一郎の生家を復元したもの。