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非日常を体感すること 広島徒歩旅のきっかけ

2019.05.17 14:39

3月も下旬のことであった。午前2時、気温8度、雨。

YOICHOは広島の山中を歩いていた。

『コンビニはあと10キロないからな。』

こんな過酷な状況の中、なぜYOICHOは歩かなければならなかったのか——。


”非日常を忘れたくても忘れられないのは、人間の常なのでしょうか”


徒歩旅の全体像

長い長い大学生の春休み、広島市の市街地から、岡山県倉敷市児島までの約152km、約6日かけて歩いた。

歩いた距離 152㎞ 歩いた時間 56時間 かかった時間 118時間

※数値は限りなく事実に基づいて記載してありますが、ところどころあやふやです。


なぜ歩いたのか

そんな馬鹿な、目的は?そう思わられる方もいらっしゃるかと思います。

どうして、わざわざ歩いて行ったんだよ。

それは、悔しさとある強烈な感覚からだった。


夏の経験

実は、そのまえの夏休み、YOICHOは静岡県の掛川から大阪までを歩いていた。

しかし、その時YOICHOは、一緒に歩いた友達に、まさにおんぶにだっこ状態。

かわいい赤ちゃんならまだしも、

足の裏には水ぶくれができ、破裂。膝の裏に激痛が走り、1km進むのに何十分と必要とした。

THEお荷物、お荷物中のお荷物。

悔しくて悔しくてたまらねえ。


だけど、

『二度とやるものか!!!!』

そう思ったのは事実である。


強烈な感覚

非日常を忘れたくても忘れられないのは、人間の常なのでしょうか。その記憶が次第に美化されるのは、人間の進化の結果?危機管理ができないのは、退化ではないか?

不思議とあの頃のことが、懐かしく愛おしく思えてきたのである。歩けなくなるほどにまでになった脚も、あの時はつらかったんだよなあ笑。路上に座り込んで、うとうとした時のことも、あんときは寒かったなあ笑、と。まるで遠くを見つめて子供のころを懐かしむおやじのように。

旅が終わり、しばらくすると、

また、あのつらさを、あの悔しさを、また経験したいと思うようになった。

馬鹿なのだろうか。


出会い

久しぶりに中学時代の友達から連絡がきた。春休みに”旅行”しようと約束していた友達だ。

近況報告も兼ねて、その夏の旅の話をすると、彼はこう言ったのである。

『え、俺も興味あるわ。』

記憶が美化される前に言ってほしかった。

『じゃあ、やるか。』


こうしてYOICHOは、くそ寒い中、合羽を着て、山の夜道を歩くことになったのだった。



広島徒歩旅のきっかけとなった、夏の徒歩旅の一枚。天竜川河川敷からパシャリ、川の先は静岡県の浜松市。三本あった橋のどれを渡るのか?

川一つ渡るのも徒歩旅のビッグイベントなのだ。