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キャンピングカーで日本一周

5月3日 伊万里市散策①[伊万里焼の里・大川内山を訪ねるの巻](37km)

2019.05.18 07:41


今日も快晴。


道の駅「伊万里」は大型観光バスを迎え、朝から観光客で賑わっている。


 ここは、道の駅の施設ゲート。


駐車場は施設の外側にあるという、観光地にありがちなパターンだが、心置きなく駐車出来る。ゴミ箱も完備。


⭐️おすすめの道の駅認定⭐️ 道の駅「伊万里」





さて、伊万里と言えば、最初に思い浮かぶのは、やはり「伊万里焼」か。


「伊万里牛」も高級ブランドらしいが、我々にはあまり御縁がない。


道の駅に貼ってあるポスターを見ると、GW中ということで伊万里市やお隣の有田市では、それぞれ「やきもの市」を開催中。ここでは、通常より安く購入できるらしい。



伊万里が「伊万里焼」なら、有田は「有田焼」


いろいろあって混乱するが、調べてみると有田焼と伊万里焼は同じ磁器らしい。



江戸時代、伊万里は 有田・波佐見・三川内などの周辺地区の陶磁器の積出港であった。


有田を中心とする肥前国(佐賀県、長崎県)で生産された磁器は、積出港の名から「伊万里焼」(今利、今里)と称され、"Imari"の名は輸出先のヨーロッパにも知られるようになったという。



鉄道が船に代わり、輸送の主力となった近世以降は、有田地区の製品を「有田焼」、伊万里地区の製品を「伊万里焼」と呼び分けるようになったそうである。



そう言えば、佐賀県にはもうひとつ、唐津市の「唐津焼」というものもあった。


今利(伊万里)が「石もの」(磁器)なら、唐津は「土もの」(陶器)、という分け方ができる。




日本では、中世まで焼き物といえば陶器であり、磁器はすべて輸入品であった。


しかし、17世紀に入り、日本初の国産磁器が有田(佐賀県有田町)で製造され始めた。


そこには、歴史の表舞台には登場しない、一般的に日本人がよく理解していないと思われる、歴史的事実が隠されていた。



佐賀藩(鍋島藩)の藩祖鍋島直茂は、朝鮮出兵(文禄・慶長の役、1592〜1598年)に参加した際、朝鮮から多くの陶工を拉致(「亡命者もいた」との説もあるというが)し、佐賀へ連れ帰った。


その中の一人が、有田の泉山で磁器の原料となる陶石を発見する。


この後、それらの陶工たちによって有田の磁器製造が開始。


1637年、焼き物産業推進方針をとる鍋島藩により、窯場は13箇所に整理。


渡来人陶工を中心とした本格的な有田焼産業が発達していくことに。


初期の磁器は、窯焼き時に製品同士の熔着を防ぐために砂を挟む「砂目積み」という技法で、中国製の磁器にはみられない朝鮮独特の技法である。  


一方、当時の朝鮮の磁器は器面に文様のない白磁。呉須(コバルトを主原料とする絵具)で文様を描く染付の技法は中国由来(中国出身の陶工作)のものと考えられるという。


つまり、初期の伊万里焼は、朝鮮・中国からの渡来人の手により製造され出したものであり、産地は日本の伊万里であったとしても、日本初の磁器製作者は、残念ながら日本人ではなかったということになる。




さて、ここが世界的に有名な焼き物の産地ということがわかったところで、せっかくなので、今日は、陶器市見学へ向かうことに。


「有田陶器市焼」の方が規模も大きく、人出も多いらしいが、我々は地元伊万里市の方に行くことに決め、道の駅から20分ほどの所にある「秘窯の里・大川内山」まで車を走らせる。


昨日から佐賀県に入っているが、山がちで平野がほとんどない長崎県に比べ、ここ伊万里市は平地が多く、キャンピングカーで走る我々にとっては何だかホッとするエリアである。




大川内山集落に到着すると、駐車場はかなり埋まっていた。



来てからわかったのだが、ここ「大川内山」は、伊万里焼の中でも「鍋島焼」と呼ばれ、鍋島藩の直轄の窯元として、天皇家や幕府要人、大名などに献上するための、伊万里焼の中でも最高級品を扱う窯元が多数軒を連ねる集落であった。


明治以降、鍋島藩直轄の窯元としての使命は終わったが、その伝統を引き継ぎ、今でも多くの窯元が、幅広い客層へ向けて製作を続けている。




ここは、橋桁も伊万里焼。


所々に、伊万里焼の作品が埋め込まれている。



細かい絵柄に見えたのは、焼物の破片を埋め尽くしたもの。



大川内山には沢山のの窯元があるが、制作の現場を見るというよりは、アンテナショップ巡りのような場所である。




これだけの数の磁器を一度に見ることができるというのは、とても貴重だ。



お祝いの品を贈る際には、ここでじっくりと気に入った品を選んでみたいものだ。



そんなことを話しながら、ここの窯元のお店を見学していたら、サッカー元日本代表の中田英寿さんが、取材クルーと共に店に入ってきた。


至近距離から写真を撮るのは失礼なので、通りに出るのを待って記念にパシャリ。


中田さん、遠い。




写真に作品を収めることが出来ないので残念だが、各窯元毎に、それぞれ違ったフォームや絵柄、スタイルを持っていて、鑑賞するだけでも楽しい。



焼物に興味がなくても、山に囲まれたのどかな環境の中、芸術品をのんびり見て回るのは、悪くない時間の使い方だと思う。



KY夫婦も、キャンピングカー生活でなければ、記念の品を購入するところだが、今回は断念。



道端には、こんな可愛らしいお花が咲いていて、目を楽しませてくれる。




おおっと、これは花ではなく、磁器で作ったかのような質感の果肉植物。




こんな小さな小川にかかる橋の欄干まで、お手製の焼物で装飾。



塀には、こんな歌碑も。



煙突に草が生えているということは、ここは廃業された窯元ということか。



坂道を登ったり、下ったりして一時間半。


目の保養をしながら、良い感じに疲れて運動にもなり、とても充実した時間を過ごすことが出来た。


窯元の皆さま、冷やかしでごめんなさい🙏。