report /// vol.3 湊川編:0. 歩く、を振り返る
今回のおもいしワークショップは、湊川という一本の川を巡る道行きだった。川の上流からスタートし、川に沿って、川から逸れて、または川を渡ったり遡ったりしながら、文字通り朝から晩まで歩きつづけた。時間にすると8時間を越える(もちろん途中でお昼休憩をいれて)。このページは、この壮大な道行きの過程を記録しようとしたものだ。
告知文では湊川のことをこのように紹介している。
六甲山系を水源にする湊川は、古くから幾度となく氾濫し、流域に水害を起こしてきました。山から海へとまっすぐに流れていたこの 川は、治水のために付け替え工事がなされ(明治期)、ある地点で大きく曲げられています。海岸と平行して西へと進み、刈藻川と合流して海に流れ込む。現在 「新湊川」と呼ばれるこの新たな川は、天井川として家屋よりも高いところを流れたり、山の中のトンネルを通ったりもしています。
そして、この道行きにこんな期待を寄せていた。
この街歩きでは、流域の歴史を聞いたり、あるテキストを音読したり、また今の都市の地形を身体の感じに置き換えたりしてみます。流れる、分かれる、合わさる、抜ける、止まる、淀む、沁みる、吐くetc... 川に沿ってまた川を巡って歩きながら、見えるものを見、聞こえるものを聞き、そしてできたらこの川の流れとつながっているであろう「どこか」へもアクセスし得たらと思います。
川の流れとつながる「どこか」へ。そこへ至る道のりとはどのようなものか、と思いを巡らせた時、はたと「湊川になる」ことではないか、と思った。「なる」ことで見えてくるもの、聞こえてくるもの、感じるものがきっとある。
esquisse for Minatogawa river ---
水害. 水路. 山. 隧道. 掘削. 合流. 沁みる. etc...
流れる.分かれる.合わさる.抜ける.止まる.淀む.沁みる.吐くetc...
ワークショップ当日、出発地点でも「湊川になる」ことを参加者の前で試みた。企画者の古川(筆者)が湊川の歴史や変遷(水害、水路、山に通した隧道etc…)を、喋りと身振り手振りでやってみた。この映像は、当日やったこととは全く感じがちがうのだけれど、あの日の「踊り」(仮にそう呼ぶならば)が、これを読んでいる誰かへも通ずればとねがって、このようなかたちにうつしかえた。
さて、事後にこうして街歩きの記憶を辿る作業は、長回しでとった映像を見るような、一筆書きの筆跡を辿るような感覚に近い。出来事のみならず時間的、空間的な軌跡すべてを追っているのだろう。歩行という自分の身体におきていることを通して、街に出会う。それゆえ、記憶も断片化できないひとつながりの連続体のようなものなのかもしれない。
歩くという反復と移動をともなう行為は、ある種の流れのなかに身を置いている状態だともいえる。それゆえか、8時間歩き通した末に「終わり」となっても、この街歩きする集団のなかにはあっさりと解散しづらいなにかが漂っていたような気がする。もしかしたら、私たちは流れに身を置いていたのではなく、むしろ流れそのものになっていたのかもしれない。さらに想像を膨らませるならば、そのような曖昧な存在となりうる私たちは、ときに川となり、山となり、あるいは高速道路となって身体の境界を越えることもできるだろう。
または、川の流れに沿って、もしくは対岸を何度も行ったり来りして、時には川から逸れてみて…と歩いた一歩一歩のうちに、なにか個人的な発見や衝動を見いだすこともあるだろう。地を這うようにゆく中で、風景の隙間に見過ごされたものに気づく瞬間もある。時にそれは、自身のうちに違和を残すことさえあるかもしれない。
ワークショップでは、参加者は皆同じ道のりを歩いてはいるが、当然、その道行きで見たり、聞いたり、感じたりするものはそれぞれ異なる。「記録」は矛盾と困難が伴うと思う。だが、その点もひっくるめて、ここでは、まず最初に個人的な感覚と記憶から綴ることにした。
それこそがまさに「おもいし」の要だと思っている。
次からは、当日のワークショップの具体的なレポートがはじまる。
text : furukawa yuki
おもいしワークショップvol.3 湊川編
2019年1月12日(土)
企画・ナビゲート:古川友紀
リサーチ協力:稲津秀樹・富田大介・山﨑達哉