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5月3日 伊万里市散策②[街ブラでオブジェ鑑賞の巻](37km)

2019.05.19 00:09


伊万里には、窯元を訪ねる以外にも、伊万里の街ブラという楽しみ方があるという。


街の要所要所に、伊万里焼のオブジェが飾られているのだ。


さっそく、手に入れた地図を片手に街を散策することに。



例のごとく、この車の車高で通過できる駐車場は限られており、空いていると思ったら、そこは月極め駐車場や、アパートやマンション、店舗や銀行などの専用駐車だったりして、なかなか停めることができない。


ようやく伊万里駅付近にある有料駐車場を見つけ、なんとか車を停める。


時間は3時55分。


あと5分で、からくり時計が動き出すという絶妙なタイミングだ。



迷わず、からくり時計方面へ向けて真っしぐら。



このからくり時計は、ちょうど駅から伊万里川方向へと一直線に伸びる道沿いにある。


相生橋の袂にある銀行の壁面に飾られており、伊万里津の賑わいを表したものだという。



始動時間ギリギリ、息を切らして時計の前に辿り着いたが、なぜか人っ子一人いない。


近づいて、よくよく目を凝らしてみると、近くに「現在故障中」の張り紙が‼︎



わざわざ一時間に一度のタイミングに合わせ、有料駐車場に車を停めてやって来た我々のような観光客にとっては、残念な限り。


壊れているのなら、観光案内のホームページ等で、一言伝えて欲しかった。


お陰で、こちらは駐車場をどの位置に止めるかで、時間ギリギリになって一悶着。


不要な口喧嘩をしてしまったではないか‼︎



とはいっても、この後、伊万里川沿いの相生橋エリアで、多くの伊万里焼と、歴史を辿る資料と出会えたので、自然と怒りも収まり、穏やかな気分で散策を楽しめたので、結果オーライ。





さて、その伊万里川河口付近について。


川沿いには、この辺りの歴史についてや焼物の展示物があり、その資料を中心にまとめてみた。



江戸時代、伊万里川河口にひらけた、この辺り一帯を「伊万里津」と呼んでいたという。


津とは「港町」のこと。


ここ相生橋の袂に船着場があり、肥前一帯で製造された磁器が伊万里津から船で積み出されていたという。




この森永氏は、森永製菓初代会長一郎氏の生家。


つまり、ここは安倍昭恵さんゆかりの地、ということになる。


森永家は、陶磁器の積み出し港として栄えた伊万里屈指の陶器問屋であり、伊万里湾の漁業権を握る網元でもあったという。




伊万里津から積み出された陶磁器は、長崎の出島のオランダ東インド会社によりヨーロッパへと運ばれ、王侯貴族の宮殿を飾った。


最盛期は17世紀の後半、「IMARI」の名は世界に広く知られるようになる。


伊万里津は、まさに東洋と西洋を結ぶセラミックロード(陶磁器の道)の出発点なのであった。





その後、国内向けの陶磁器の積み出しも本格化し、江戸時代中頃には、武士や公家など一部の裕福な人々だけでなく、日本中の庶民の間にも広まっていったという。


江戸時代後期になると、伊万里津は「千軒在所(千軒も家が集まるところ)」と呼ばれるほど、佐賀藩内有数の港町として繁栄し、現在でも白壁土蔵などが軒を連ね、当時の面影を残している。




伊万里津の歴史と焼物を堪能したところで、駐車場方向へと折り返し、駅周辺に点在する伊万里焼のオブジェを鑑賞する。




芸術品と言っても過言ではない、これらの作品で通行人の目を楽しませてくれるとは、なんとも粋な計らいである。




これは、駅前広場にあるオブジェ。


可愛らしい子供がいると思ったら、真ん中の子供の頭がない‼︎



実は、KYがここを訪れた前日の晩、一人の酔っ払い男性が面白半分に蹴りを入れて破壊してしまったのだという。


監視カメラの映像をもとに、この破壊犯は程なく逮捕されたとのこと。


酔った勢いで芸術作品を破壊するとは、許しがたい行為。



からくり時計と併せて、一日も早く修復し、観光の目玉としていただきたいと切に願う。



他にも、この街のいたるところで、伊万里焼の壺が展示されている。


車で走り抜けただけでも、一体いくつの芸術品と出会ったことか。


この街の、文化を大切にする人々の心に触れた一日であった。