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新緑の孤独。

2019.05.20 15:00

Naoyaです。

今日は二十四節気の8番目、小満(しょうまん)です。さらに陽気がよくなってきて、万物が成長して天地に満ち始める頃という意味。新緑が美しい時期になりました。

小満という名の由来には、秋に蒔いた穀物の種が穂をつけ始めるのを見て、ホッとひと安心して、ちょっと気持ちが満ち足りるという説もあるらしいです。小満は十二星座の双子座の始まりでもあります。

小満の時期の俳句の季語には、青嵐や万緑、若楓、葉桜、柿若葉など、新緑に関連したものがとても多いのですが、鮮やかな緑は目で見ることはもちろん、風でそよぐ木々の葉音を耳で聞き、その風を肌で感じ、若々しい香りを胸いっぱい吸い込んで、五感すべてで楽しむことができます。

連休明けから京都にしばらく滞在してきました。桜や紅葉の時期の京都も美しいのですが、僕個人としては今のこの時期の京都が一年で一番好きで、ここ何年かは必ず新緑の季節に滞在しています。暑くもなく、寒くもない。そして、桜や紅葉、お祭りシーズンほど混雑していない。自分の中でのベストシーズンです。

今回は特別な場所には出向かず、友達や知人にも率先して会わず、ひとり自転車で鴨川沿いや街中を走ったり、お世話になっているセラピストさんの元で体のメンテナンスをしてもらったり、朝の鴨川でちょっとトレーニングをしたり、ぼんやりと好きな音楽を聴いたりして、旅行というより暮らすような過ごし方をしていました。読まないだろうと思いつつ、本を2冊持参していましたが、やはりスーツケースから出すことはありませんでした。

今回の京都ではある意味、孤独な時間を過ごしました。日本人は孤独というものをネガティヴに捉えがちですが、成長や「満ちる」というものは、外の世界や誰かがもたらしてくれるものではなく、孤独の中から生み出されていくものだと思っています。それはまるで、内なるパワーで自ら新緑を増やして成長していく樹木のような感じです。

昨年末の京都で、今年のテーマとして浮き彫りになった体づくりやメンテナンス。肉体は魂を入れる器であり、魂を乗せる乗り物だと前から思っていますが、その器や乗り物を強靭に整え続けておかなければ、スピリチュアルな領域のことなんて扱えないし、感覚的なものが研ぎ澄まされることもないと痛感しています。何とかごまかしたりやり繰りしつつ、扱い続けることができていても、あるとき確実に破綻してしまうものです。

本を読んで知識を得ることはとても素晴らしいですが、今の自分がさらに成長して満ち足りるためには、体との対話の方が必要だと思っています。新しい知識を詰め込んだり、頭で考えて判断するのではなく、そのとき自分の肉体は何をどう感じて、何を語りかけてくれるのかを丁寧にヒアリングするのです。あるいは、これまで得てきた知識を体に落とし込んで、自分のエッセンスへと変換していく作業です。

「あなたの学びは本を読むことじゃありません」

4年前の秋、清明神社の宮司さんからそう断言されたのですが、お世話になっているセラピストさんからも、違う言葉で同じことを今回言われました。やることをしっかりやっていると、点と点が勝手に繋がっていくんだなぁと実感しました。

外の世界に何か新しいものを求めるより、肉体という自分の小宇宙を内観する孤独な時間を味わって過ごす今日この頃です。