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Kikuhara Yuri

モロッコに行ってきました.5

2019.05.19 15:39



また明日、と言いながら少し空いてしまいました。本日はベル爺のお話。




メルズーガ砂漠を出てアイトベンハッドゥ、ワルザザード、へ向かいます




自分でもなんでこんなに車酔いするんだろうってくらいもう普通に座ってられなくてずっと車内で横になってた



初めて気を失う前というかふわふわしたというかそんな苦しいものでもなくて


あ、こうやってお迎えってくるのかもしれないってなんとなく思っちゃって


大袈裟とかでもなんでもなくて自然にその言葉が頭の中で、でてきちゃったんですよね


それはすごく一瞬のことでそのあとしばらく移動中寝てたから元気にはなりました






アイトベンハッドゥに着いたらおじいちゃんがふらふらとこちらへ


ここのガイドです。よろしくね。

って言われて握手するんだけど触った瞬間、今までにない感覚で、なんだろうって思ってて


とりあえず着いて行っていろいろ案内してくれるんだけどすんごいおじいちゃんで歯も3本くらいしかないから何言ってるかすらも全然わからない人




アイトベンハッドゥが地元のベルベル人のおじいちゃんだからベル爺って勝手に呼んでた



このアイトベンハッドゥは世界遺産にも登録されている街で今は5世帯くらいしか暮らしてないらしい



おじいちゃんはすごい元気でずっと楽しそうに何か言ってて時々お茶目な動きしたり角砂糖食べだしたり(多分栄養補給)結構衝撃的で



私より先に走りながら登っていくしなんでそんなに体力があるのか、ここで育つとそうなるのか




降りるときにところでベル爺は何歳なの?って聞くと石を持って地面に、1.0.0.って



なるほど、私が握手した時に感じた違和感はこれか、、ベル爺の手はびっくりするほど軽かった



100歳にあったのも話したのも触れたのも初めてでこんな経験はそうできるものではない

ベル爺は毎日アイトベンハッドゥを登ったり降りたりしてて寝てない!って笑いながら言ってた



どこまでいっけもずっと楽しそうな長老さんがすごく印象的


その人がおうちに招待してくれてミントティーをごちそうになったんだけど



行く道の途中で工事中のところがあって、ベル爺が岩につまづいて


私だったらそこに岩があるから気をつけてね、とかいう声がけをしたり、手を貸したり、する



でもベル爺はno good、と言って

20個くらいある重い岩を全部道の端に寄せて




それってすごく当たり前のことなんだけど、

私がそこにいたらしなかった選択をベル爺はしてた




時々自分の選択肢の狭さに嫌になる時がある

なんでこんなに当たり前の考えができないのか、と


心から人の為に生きれる人に


それをするには本当の部分と、素直に、自分の中を見つめなおさなきゃだめで


すごく難しいなってこれは日本に帰ってきてからも感じてる大きな課題の1つ





あるお土産やさんでも似たようなことを思って


お土産を買った後にアラビア語でありがとうって言ったの、シュクランって




そのお土産やさんは

君アラビア語話せるの?って聞いてきて


ううん、話せないよ、シュクラン(ありがとう)アッサラームアレイコム(こんにちは)ブッサラーマ(さよなら)ブニナ(おいしい)くらいだよ。って答えたら



何も言ってくれないより全然いいんだよ!嬉しいよ、ありがとう。って言ってくれた




外に出た途端私はありがとうの量がすごく増えたなって思う


外国でこんなに言えるのに、私は日本でどれだけありがとうが言えてるだろう


実際全然言えてないし、言うのもすごく苦手

周りに感謝を伝えること


なんでそんな当たり前のことが口から出てこないんだろっていつも悔しくて



でもきっとすでに思っちゃってるんだなって


当たり前って


一個も当たり前はなくて誰かが動いてくれてるから自分がいることを理解できてない未熟さを知ってすごく恥ずかしかった



目の前を見ることが一番大切



だから素直にいつだって伝えていきたい

すごく難しいし気づけないことは多いけど

深く、息を吸って生きていけるように






100歳はすごい。100年生きてきた人は違う。




急になんのかわかんないけど映画のシーンみたいなことをしだして何故か捕まる私



このあとベル爺にもらったミントティーでさらに車酔いにやられる