過去の嫌な経験を思い出す
本日は暖かいオークランドです。
上着を着たら汗ばみました。
母の日に夫がくれたバラの花。
5ドルだそうです。
値段は伏せてくださいな。
小学生の時に言われたことをときどき思い出します。
あれは、小学校高学年。
習い事についてクラスの子たちと話しているとき。
何を習い始めても長続きしない私に対して一人の子が、何を始めてもすぐに止めるなんてだらしがない、というようなことを言いました。
人見知りが激しかった自分、人と話したくなかった自分、人と接したくなかった自分、人といると疲れる自分。
そんな自分にとって、学校へ行く上にさらに習い事へ行くということは地獄以外の何物でもなかった。
このような子どもは私だけではなく、人に言えないだけで多いと思います。
上のようなことを言われ、私は落ち込みました。
そして、ときどき、その出来事を思い出し、何とも言えない気持ちになります。
そこで、いつまでもそれでは仕方ないので、ランギヌイ神様にどうしたらよいのかをお聞きしました。
「辛かったよね。
結局、他人の気持ちはわからないということだよ。
その子を責めても仕方のないことだというのはわかっているようだし。
あのときの何とも表現し難いあなたの気持ちも私にはよくわかります。
勘違いしないでください。
あなたは怠惰ではありません。
本来、怠惰な人などいないのです。
怠惰なのではなく、怠惰に見えてしまうだけのようです。
何故そのように見えてしまうのかは、人それぞれです。
あのときの同級生の一言であなた自身、また一段と自分を小さくしてしまった。
窮屈でしょう。
その小さい鎧から抜け出ましょうよ。
無限なんですよ。
おわかりのように、その鎧は自分で作った鎧なんです。
自分で取り外す以外に方法はありません。
では、どうやったら取り外せるか。
自分を見つめてください。
あなたはどのような人なのかを理解してください。
どうしたら理解できるかは、自分という存在に集中してみてください。
あなた自身がそこにいることを第三者の目で見てください。
やりやすいでしょう。
まず、そこから始めてください」
と、いうことでした。
自分がどういう人なのかを理解するのは、ハードルが高いような気がしますが、やってみます。
やらなければ、前に進めないだろうし。
早速、取り掛かります。