Ride in Setouchi & San-in Day 67 (21/5/19) Bicchu Takamatsu Castle Ruins 備中高松城跡
Kibitsu Shrine 吉備津神社
Bicchu Takamatsu Castle Ruins 備中高松城跡
Kinojo Castle Ruins 鬼ノ城跡
Keizan Castle Ruins 経山城跡
Bicchu Regional Office Ruins 備中国府跡
Bicchu Regional Temple Ruins 備中国分寺跡
Kibitsu Shrine 吉備津神社
備中国の一の宮。立派な神社で敷地も広く、多くの社が立っている。特に神社内にあるそれぞれの祠を結ぶ回廊は見応えがある。本殿も茅葺屋根の大きなものだった。流石に一の宮だけある。
長い回廊
Bicchu Takamatsu Castle Ruins 備中高松城跡
瀬戸内山陰地方を回って、毛利一族やその宿敵であった尼子氏の所縁の地を巡ったが、この備中高松城もその一つだ。秀吉の中国征伐で大きなターニングポイントがこの高松城の水攻め。この水攻めの最中に織田信長が本能寺で討たれ、秀吉の天下取りが始まることになる。高松城は現在の岡山県の総社市にある。今でこそ 総社は人口6万8千人と岡山でも小さな市だが、かつては備中国の国府が置かれて中心の所だった。この前に行った一の宮の真備津神社や国分寺が当時中心都市であった事をうかがわせる。
高松城の攻略は先に落城させた三木城と同じような手順で行っている。高松城の周りにある毛利方の宮路城、冠山城などの支城をまずは攻め落とし高松城を孤立させている。これにて高松城から毛利方への連絡ルートを断ち、同時に毛利援軍や兵站ルートを遮断した。更に瀬戸内海の高畠水軍や塩飽水軍を毛利から離反させて、瀬戸内海の制海権を握った。毛利方へも調略をかけ、いくつかの武将の毛利からの離反に成功している。これで、ほぼ秀吉軍の勝利は確定していたと言っても過言ではない。ここでとった戦法は水攻めというものであった。味方の犠牲を極力0にして相手が降参するまで待つというものだ。この水攻めは秀吉の軍師の黒田官兵衛の策と言われている。高松城は背後を山に囲まれ前面には湿地帯が広がる。湿地帯という事で、城を攻めるに進軍は足を泥濘みに阻まれ機動的に動けない。その為に攻め倦んだ。その苦肉の策としての水攻めだ。高松城として要害になった背後の山と全面の湿地帯を逆手に取った奇抜な策だ。歴史を知っている我々は単に当たり前の事実としての認識しているが、これを考えた官兵衛の発想力は凄い。何かが起こるとそれに対する考察と対応策が直ぐに出てくる。しかも、それを実行する具体的な方策や状況の変化に対応できる修正力は常人には無い才能が備わっていた。会社員などは是非とも官兵衛の戦術や生き方を知り参考に してもらいたいものだ。
高松城の周辺にはこの水攻めに関わる遺構がいくつかある。水を堰き止めた堤の跡や秀吉の本陣跡。両方とも行ってみた。現地に行ってみると、当時の様子が想像でき、なるほどと納得出来る。これは書物を読むだけでは得られない事。
堤は殆どが建設用の土として使われて、今は西の端の蛙が鼻に一部残っているだけで、そこは公園になっている。
この堤跡の西北に石井山があり、ここには持宝院という寺があった。そこに秀吉が本陣を置いていた。本陣跡は高松城側は木が伐採されて城が一望できる。水攻めの際にはここから状況を見ていた。本陣を置く場所としては最適。誰もいく人がいないのか山道は蜘蛛の巣だらけで蜘蛛の巣を払いながら進んだ。
ここには高松城主の清水宗治の首塚があった。宗治が切腹し、その首が本陣まで持ってこられ首実験がされた場所。近くには太閤岩と呼ばれる史跡があったがよく理解できない説明だった。何か無理矢理史跡とした感じがする。
堤のところでおばあさんが草刈りをしていたので、声をかけて、しばし世間話 をした。その後、秀吉本陣跡を見て降りてくると、またそのおばあさんにあった。覚えてくれていて手を振ってくれた。この山道の入り口の家に住んでいた。6月には宗治祭りがあるので機会があれば来てみなさいと言ってくれた。来れないだろうが、そう言ってくれるのはありがたい。ここからやっと城跡に行く。
城は石垣ではなく、土塁で囲まれていたそうだ。城への出入りは小さな橋がいくつかあったらしい。戦闘時は、はずせるような簡単な船橋の様な物だった。今はコンクリートの橋がかかっている。
高松城に入る。現在は公園になっている。城の構成は三の丸、二の丸、本丸となっている。平城で石垣もなく土塁で固められていたこと、早く廃城になった事で、殆ど城の遺構は無い。
本丸 二の丸と本丸は橋で結ばれる。本丸前の公園は沼地で当時はもっと広く深い沼になっていたのだろう。
本丸内には宗治の首塚と少し離れた家中屋敷には胴塚があった。首塚は石井山の秀吉の本陣跡にもあったが、秀吉が供養塔を建てさせて、明治時代にここに移したもの。胴塚の方が少しジーンとさせられる。自刃した宗治の首は秀吉軍の首実験のために差し出され、首のない死体が城内に帰って来た。城内の領民や兵を救う条件としての切腹と言われている。(色々な説がある。安国寺恵瓊がそう仕向けたとの説もある) 首のない死体の帰還は城内の涙を誘っただろう。だからこそ、この地域では未だに宗治に対しては特別の想いを持ち続けている。先にあったおばあさんからも感じられた。
この清水宗治の切腹により、秀吉と毛利で暫定的な和議が結ばれ (正式な和議はこの後、2年かかっている)、秀吉は織田信長を暗殺した明智光秀を打つために「中国大返し」が即座に開始されるのである。
二の丸
三の丸 遺構は無いが宗治が自刃したと言われる場所に慰霊碑、そにすぐ近くにはこうやぶ遺跡と呼ばれている家臣が殉死した場所があった。ここからは秀吉が構えた本陣が見える。宗治が自刃のためにに城から漕ぎ出した小舟からはを秀吉達が見えただろうし、背後には見送る家臣達のすすり泣きも聞こえただろう。何とも痛ましい最期だ。
二の丸と三の丸の境だった所に資料館が建っている。あらゆる資料ををかき集めてきた様な資料館で苦笑する様なものまであるのだが、地元の人たちが一生懸命にこの資料館を維持している努力がわかる。応援したくなる資料館だった。資料の中に水攻めがどの様なものだったのかが想像できる写真があった。近年の洪水でこの地域一帯が水浸しになった時のもの。そういえば、最近も真備町で大きな水害があり未だに復旧作業が続いているという。真備町はこの高松城から数キロの所にある。
これに反して、岡山市のホームページは立派に出来ており、備中高松城の水攻めについては独立したセクションが秀吉のはんじある。面白く作られている。
Kinojo Castle Ruins 鬼ノ城跡
高松城の時代から1200年近く遡った古代城に行く。城のある山が見えてきた。山頂には復元した門も見える。あの山を登る。標高400m。どこまで自転車で登れるか、そのあとは歩きになる。城まで1.7kmの所まで自転車で登った。かなり急な坂でこれ以上は無理と思い、自転車を停めて後は徒歩で登る。
旅行先ではこの古代城をいくつか見てきた。四国の屋島城、九州の大野城、水城、鞠智城。何も朝鮮半島の新羅や唐の侵入を防ぐ為のものだった。この鬼ノ城も同じ目的で同時代に築城された。古代城は殆どが山に造られており、敷地は広大で一周には1〜3時間もかかる。大野城などは大きすぎて、2日に分けて歩いた。この鬼ノ城は2時間とパンフレットには書かれていた。写真やメモを取りながら歩くので、人よりは1.5〜2倍の時間をかける。3時間ぐらいかかるだろう。ここは遊歩道が綺麗に整地されており、道に迷う事なく、見所もしっかりと表示解説がされている。遊歩道の入り口には資料館がある。まずは城の概要を頭に入れる。
古代城の分類
復元された西門
その他3つの門跡
水門
居住地跡、土塁、角楼など
山頂にて
頂上からの景色は素晴らしい。
ここで記念撮影、風が強い
Keizan Castle Ruins 経山城跡
帰り道に近くにもう一つ城跡があった。備中高松城と運命を共にした城だ。経山城は標高372.6mの経山山頂に築かれている。天文年間(1532年~1555年)に大内義隆によって築かれたと云われる。天文12年(1543年)赤松晴政が浦上宗景・宇喜多興家を派遣して経山城を攻めたが、このときは将軍足利義晴から細川氏綱・三好長慶追伐の命が下り陣を引き払った。元亀2年(1571年)尼子再興軍が備中へ押し寄せてくると、城将中島大炊助元行は小勢であったが守りを固め、九州遠征中の小早川隆景に後詰めを求めた。中島元行は尼子陣に忍び込んで火を放ち夜襲を掛けると、尼子勢は多くの兵を失い佐井田城へ退いた。 天正10年(1582年)羽柴秀吉が備中に侵攻し備中国高松城を取り囲むと、中島元行は副将として高松城に籠城。やがて水攻めにより高松城は城主清水宗治の自刃により開城。経山城もそのまま廃城。
Bicchu Regional Office Ruins 備中国府跡
本当にここにあったのかははっきりとしないが、この近辺であったことはほぼ確実な様だ。現地にはそれを説明する案内板が立っているだけだった。
Bicchu Regional Temple Ruins 備中国分寺跡
現在の国分寺の目の前が、国分寺跡で公園になっている。ただ、草が伸び放題でその形状などは分からない。何があったかの標識があるのみだった。現国分寺は立派なもので特に五重の塔は荘厳。数名が夕日を背にした五重の塔の写真を撮っていた。撮影スポットになっている様だった。
備中国分寺跡
見終わった時は既に7時を過ぎていた。ここから15キロ先の宿に戻る。