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【土曜日のエロ】 普段は見えないものが隙間から垣間見ることの喜びに近い「声優の水着姿」という解釈でよいのか

2019.05.24 22:00

【土曜日のエロ】 普段は見えないものが隙間から垣間見ることの喜びに近い「声優の水着姿」という解釈でよいのか

 土曜日のエロの日になった。いや、この日のブログが最も面白いし、好きなことをかける。あまり不敬とかそういうことを考えないでよいし。まあたまに不謹慎ということはあるが、しっかりとブログを読んでくださる方にとっては、あまりおかしな感覚を持たれないということになるのではないか。あまり大きな批判はない。そもそも「男性が書いたエロ」を「女性が喜んで読んでいる」ということになるのがなかなか面白いのである。

さて、今週は私自身がなんだか疲れていて、あまり様々なことをしなかったような気がする。まあ、今週末にトランプ大統領の来日、今上陛下が初めて国賓を迎えるということになるのであって、その辺のところは注目されるが、それは来週のニュースということになるので、今週は様々ある前の『凪』という感じの一週間ではなかったか。

こういう時はここのブログそのものがなかなか困ったことになる。まあ、前半からエロ全開で話をしてみてもよいかという感じ。

さて、男性のエロといっても様々な趣向がある。ある意味で「性癖」というのであろうか。もちろん男性から見て女性の趣味とか、どういう女性がきれいに見えるなど、様々な感情があるのだが、当然に「エロ」つまり「性的な興奮を感じる状態」も様々であるといえる。初めからオールヌードで、ストリッパーのように女性側から迫られた方がよいというような感じがよいという人もいれば、女性は最後まで恥じらいを持っていて隠してくれている方がよいというものがある。

日本人は女性の「恥じらい」を好む傾向があり、一方で、アメリカ人は即物的な性行為を望むイメージがある。これをアメリカ人は「解放感」とか「健康的」という単語を使っているのである。まあ「健康的なエロ」というのもなかなかおかしな話であるが、実際に「秘め事」と思っている日本人にはなかなか馴染まないのかもしれない。

とそのようなアメリカ人には全く理解できないのが「チラリズム」ではないか

声優の顔出しがイヤだ、という人の声 「アニメにのめり込めない」「女性声優の水着姿とかいる?もう声優関係ないじゃん」

 声優がテレビ番組に出演することは当たり前の光景になった。しかし、声優はあくまで声の仕事。顔を出してテレビに出ることを、快く思っていない人も少なくない。

 ガールズちゃんねるに4月下旬、「声優の顔見たくない人集合」というスレッドが立った。スレ主は、好きな二次元作品はたくさんあるが、「私が好きなのは二次元のキャラであって中の人ではありません」と現状を憂いた。(文:石川祐介)

   「絶対見たくないけど、今の時代避けられない。耐性つけるしかないのか」

「見たくないね。よくイケメンとかのCD?とかあるけど声優がブサイクだと思うと萎える」など、スレ主に共感を示す人は多かった。キャラクターと声優の顔のイメージが大きく違うと、モヤモヤ感を抱いてしまうのだろう。

「見たくない声優の顔を見たらアニメの世界に入りこめなくなる」という意見もある。アニメの世界観を楽しむために声優の顔を視界に入れたくないという人もいた。確かに「このキャラってこの顔の声優が担当してるのか」という意識が少しでもチラついてしまうと、作品のノイズになる恐れがある。

「絶対見たくないけど、今の時代避けられないのが現状。もうこっちが耐性つけるしかないのかとあきらめてる」という声も。声優の顔を見たくない、という人達は、肩身の狭い思いをしているようだ。

   「最近は中の人を知らないといけない雰囲気で、話を合わせるのが面倒」

 アニメが好きな人が声優好きとは限らないが、境が曖昧なせいで、理想の楽しみ方が出来ないという不満も聞かれる。

「最近は中の人を知らないといけないみたいな雰囲気で、話を合わせるのが面倒」

「Twitterだと同じ趣味の人いても、声優も好きだったりな人が多いから合わない!」

 ただ、声優界は今や供給過多であり、あの手この手でセルフプロデュースしなければ生き残れない。そのため、タレントのような振る舞いをさせて声優を売り込む事務所も多いが、そうした戦略を受け入れられない人もいる。

「自分をタレントだと思ってるような活動してる声優もいるよね」

「女性声優の水着姿とかいる?もう声優関係ないじゃん」

「昔は、どんなに顔出しのオファーが来ても、夢を売る仕事だからと絶対顔出ししないプロばかりだったけど」

 黒子として作品の面白さを支えたいと考えている声優もいることだろう。しかし、声優はドル箱コンテンツだ。アイドル路線、タレント路線の売り出し方は今後も続きそうだ。

2019年05月06日 08時00分 キャリコネ

https://news.nifty.com/article/economy/business/12117-11082/


 「チラリズム」というものを理解しない人がいる場合があるので、一応説明しておく。普段隠している場所が、何らかの拍子で「ちらり」と見えてしまうということに、最上の価値を感じることを言う。いちおう「イズム」になっているので、多分民主主義などの訳文と同じ「主義」なのであるから、思考や考え方のことを言っているのであると考えられる。そのような趣向の人のことは「チラリスト」というのであろうか。

さて、日本は古来女性の体の中に黄泉の国につながる道があると思っていた。実際に現在のような科学的知識や生物学的知識がない古代の人々は、子供がどこから出てくるのかということを非常に不思議に思い、そして、黄泉の国に通じる道があって、そこから子供が出てくるというように考えていたのである。

現在の神社でも同じように、「ご神体」はみることはできない。神というのは「見る」つまり「公になる」ということでその力を失ってしまうというように考えられており、神は神々同士でしか姿を現さないとされていた。

平安時代の女性が、十二単を着て、なおかつ扇で常に顔を隠していたのは、「自分の体の中の黄泉の国の世界を、体を通して不特定多数に見られてしまっては、自分の神の国に通じる力がなくなってしまう」ということが信じられていたために、常に殿方の前では顔を隠さなければならなかった。そのために黒髪と和歌でしか女性の美しさを計ることができなかったということになる。まあ、現在と違って「見た目でだまされる」ということはなかったので、和歌などから知性と教養と心で判断できたと思うが、同時に、盗作など様々な意味で女性は男性をだます場合があったのではないか。

この時代に「垣間見る」というような言葉が生まれる。当然に、そのような文化の中で和歌だけで女性を判断するようなことはリスクを伴う。そこで、男性は、「垣根の間から女性の本質を見て付き合う女性を決める」というものである。架空の人物ではあるが、この垣間見るという行為のプロフェッショナルが光源氏であろう。まさに、この光源氏が紫上などを見初めるのは、垣間見によってであり、その中から最上の美人を選ぶ力があった。ある意味で、「垣間見」だけで数年後の将来の美貌をしっかりと見極める「女性に対する審美眼」を持っていたということになる。この「垣間見」こそ「チラリズム」の元祖であるといえる。

さて、現在はどうなのか。もちろん小学校の頃の「スカートめくり」などはまさに「チラリズム」の初期段階であると考えられる。それが「オタク」社会になると、当然に、直接的なコミュニケーションが少なくなり二次元、つまりアニメのキャラクターを好きになるということになる。ある意味でアニメのキャラクターは自分の思い通りに動くのであり、そのために相手が自分の想定外の行動に出ることはない想定外がないということこそ、彼らに取ったは大事なのである。

しかし、アニメの世界は「チラリズム」がない。いや、あるとしても人が書いたものであるから、誰かが予定したチラリズムしかないのである。そこで、彼らが考えたのが「実物の人間」である。

オタクの中から考えれば、我々の現実社会にあるのが「アニメキャラクター」であり、アニメの世界では姿を現さない「神」が、キャラクターに魂を吹き込み、そして、声を発している「声優」なのかもしれない。まあ、我々の世界では天照大御神などに当たる存在が、声優なのではないか。その声優の水着姿というのは、まさに「ご神体の水着姿」ということになる。まあ、見たい場合と見たくない場合があるのではないか。当然にキャラクターを演じている声優は、実物の人間でありながらも、想定外の発言はしないので、そのような存在が彼らオタクの人々には重要なのではないか。

源氏物語で「垣間見」として、生まれたチラリズムが、現代になって「スカートめくり」に発展しそれがアニメ世界になって「声優の水着」に発展するという不思議なことになっているが、それこそ「社会の発展に伴う文化の違い」なのかもしれない。まあ、人前に出なければならない声優も大変だと思うし、そもそもご神体は簡単に人前に出てくるものではないと考えるが、まあ、それが徐々にエロにつながってゆくのではないか。