目標に向かってやってみることの意義。
目標を掲げて、
それに向けて計画を立て、行動する。
私もキャリアデザインの授業の中で伝えるし、
基本的なやり方としては大切な時もある、と思います。
でも、いつもどんな場面でも、
という訳ではないし、
経験が増えれば増えるほど、
個人のやりやすさというものが出てくるので、
それを採用していったらいいと思います。
学生時代や、社会に出て間もない頃は、
そもそもの経験値が少ないわけなので、
まずは目標を掲げて、
それに向かって具体的に行動してみる経験は必要だと、
私個人的には思っています。
でもそこで大事なことは、
目標を達成したかどうかということよりも、
そこまでの行動の中で、
自分にとって何が面白いと感じたのかとか、
どんなことが苦手、難しいと感じたのかとか、
【自分が何にどう反応して、感じているのか】
を、つぶさに観察しながら、
自分という人の特性を知ることなのではないかな?
と思うのです。
ここで、
結果を達成できた = 自分は才能がある(自己肯定感)
結果が達成できなかった = 自分はダメだ(自己否定)
という、
短絡的な自己評価に終始してしまうと、
前者の場合は周りの状況が見えづらくなったり、
後者の場合は何をするにも楽しさを感じられない、
というような状況に陥ってしまいがち。
そういう私自身も、後者のその状況に
長らくはまりっぱなしだったのですが…(笑)
確かに私たちが育ってきた時代の中では、
結果至上主義的に「結果」を求められてきましたから、
そういう意味で目標が達成できないということは、
自分が至らなかったのだ…というところに落ち着きがち。
そしてそれはある意味正しくもあるのですが、
その「至らなさ」というのは決して欠陥や欠如ではなく、
「そのやり方では自分の力が発揮しづらかった」
というだけのこと。
自分が苦手なところが分かったのならば、
自分が得意なところを活かしてやる方法を
別に見出していったらいい。
一日ごとのTODOが決まっていることが
窮屈に感じるのならば、
一週間、一ヶ月の中計画に変えてみる。
どうしてもやりたくないTODOがあるのなら、
他の人に頼めそうか考えてみる。
何の無理もなくノンストレスでできることが見つかったら、
それを他に応用できないか考えてみる。
それを繰り返すことで、
自分の傾向が見えてくるものだし、
そういう自分の傾向をまるっと受け入れることができたら、
それを活かす方法を考えて、やってみたらいい。
目標というのは、
それを達成したかどうかよりも、
そこまでの過程をなんだかんだと楽しめるかどうか。
こうしたら面白いんだ、面白くないんだ、
こういうところに興味があるんだ、興味がないんだ、
こうやったら楽しいんだ、つまらないんだ、
って。
いろいろな自分に出会いながら、
そのいろんな自分に出会っていくことを楽しめるかどうか。
自分探しのプロセス。
そして、自分を癒すプロセス。
場面場面に登場するいろいろな自分に目を向けて、
丁寧に向き合っていくと、
その思いはちゃんと積み重なって、
自分を認めることができていく。
自己肯定感。
これを育めるということが、
目標を立てることの意義なんじゃないかなと、
私は思っています。
目標シリーズ、少し続きそうです。