やっぱりズレてる話。
モノのスペックが高いことは、『良い物』として識別しやすい指標みたいなもんだ。だから、生地を作る時も、「この編み機は世界に数台の〜」とか、「この糸はスイスの〇〇で〜」なんてのが『価値』として認知されるものと信じて疑わない製造側の視点である。
気持ちはわかる。不特定多数を相手にするのだ。自分がすごく良いと思ったものを作り上げていくことは全く否定しない。僕自身、そういうところもあるからやたらに凝ったそれこそ『全部盛り』みたいな生地を目指したことだって昔あった。昔ね。
やるのは良い。勝手に自分のお金で好きに開発したら良い。ただしそれがお金に変わるかどうかは、また別問題だ。なんども言う、それがお金に変わるかどうかは別問題だ。
もちろんソレが誰かに共鳴して、そこからビジネスチャンスを手に入れることもあるだろう。だから生産者の主観生産は決して間違っている訳ではない。気にしていきたいのは「その打率は果たしてどうか?」ということと、訴求しているその『価値感』が本当に誰かの『価値』になり得るか?ということだと考えている。
ものづくり補助金で新しい編み機を手に入れた某社の生地を合同展示会で見てきたけど、確かにすごい。すごいっていうのは、もう、編み地とは思えない。(すげーなぁ)っていう感動は、まぁある。それは認める。そういう革新的な素材にチャレンジしてモノにしていくデザイナーが出てくることを望む。以上。
それ以上もそれ以下もない。正直、僕は「布帛ライクな〜」を求めるなら、布帛で良いんじゃね?っていうタイプだ。
おそらく設備投資した工場は、基本的に償却したい。それも迅速に。これは経営してたら当たり前に湧く感情。
でも革新的な素材感っていきなり誰にでも受け入れられるもんじゃない。まず誰かがチャレンジして、じわじわと広がって、そんな感じだ。
前職で糸別注の企画をよくやってたけど、サンプル企画から実売で「まぁ売れたかも」となんとなく淡く感じられるまで大体3-4年かかった。
だから機械設備も、完全需要が見込める範囲の方が、償却スピードは圧倒的に早い。これは当たり前だ。
ところがいきなり某大手生地問屋とか狙う。ロットほしいからね。仮にハマったとしても、高額の機種だったらいきなり何台も揃えられない。大手生地問屋でハマって奇跡的に売れてしまったら一台ではパンクしちゃう。対応しきれない。売れたらまだ良いが、問屋で売れなかったら。。。リピートも見込めないから、そもそもその機械自体の需要がなくなってしまう危険性がある。
仮に誰かの価値観と一致して、デザイナーに取り上げてもらえたら、そういうのは大事にしていってもらいたい。償却を焦る余り、異常な工賃を積んだり、小ロットを嫌ったりしてはいけない。
でも工業の営業は、この手の仕事を蔑ろにしがちである。そういう相手こそ、最初は大切にしてほしい。
また、機械のスペックに酔う余り、それが主役になってしまっては本末転倒だ。
デザイナーにとってはあくまで洋服(その服を着て喜んでくれる人たち)の一部である生地の作り方でしかない。嫌な言い方をしたら、方法でしかない。だから機械がその主役になることは、本質とズレている。
そういう主観を押し付けて『この機械は価値がある』と言ってしまったら、やはり僕としては「それは違うんじゃないですかね」と言い返したくなってしまいつつ、脳内でゆってぃがワカチコワカチコをループするのであった。