古い人、新しい人
2019年5月19日
森下滋伝道師
士師記16章15-22節
コロサイの信徒への手紙3章5-11節
サムソンは自分の秘密をデリラに明かしてしまった。
神が与えてくれた力の秘密を。
神との間の約束を破る私達も力を失う。
何故秘密を漏らしてしまったのか。
自分の中で一番重要なのは神ではなく女性であった。
コロサイ3:5でのみだらな行い、
ポルネイアンとは1:21での使われ方、
即ち神を知ろうとしない事を悪業と言ったのとは違い、直接的な悪業を指している。
パウロはそれらを死に追いやれと勧める。
現在の世の中を見ると、何かをすれば幸せになれると説く類の事柄がいかに多いことか。
断捨離、パワースポット、風水など。
これらは全て、願う自分、参与する自分が中心であり神が中心ではない。
幸せを願う事が悪いのではなく、貧欲、即ち富に対する過度な欲望を抱く事は偶像礼拝である。
パウロは1コリ10:23で私達には「すべてのことが許されている」と告げ、
続くv24で「他人の利益を追い求めなさい」と語る。
矛盾していないか。
私達は自分の利益と他人の利益が対立する時に選択をしなくてはならない。
私達は神の怒りの対象である事を忘れていないか。
私達は口から出る恥ずべき言葉を捨てるのだ。
それは人を虐待する。
この教会の中にもその様な言葉が飛び交ってはいないか。
私達は古い人を行いとともに脱ぎ捨て新しい人になった。
造り主の姿に倣う新しい人へ。
それは神と共に生きる事。
古い人を主イエスが十字架で裸で恥ずべき死を遂げて作り変えて下さった。
神の力が一番働くのは私達が罪に飲み込まれようとするその瞬間だ。
そして例え罪に飲み込まれても神の力は働き続ける。
サムソンの髪はまた伸び始めた。
私達はまだ神よりも自分を愛するのか。
新しい命の衣が目の前にあるのに、古い衣を着続けるのか。
神の約束を信じるなら私達の中に罪意識はないはず。
「恐れることはない。ただ信じなさい」マルコ5:36