まだまだある?!組織幹細胞を探す
-虹彩にある神経幹細胞の新しい性質-
はじめに
現在の医学・生物学研究の大きなトレンドとして、再生医療を目指す研究を挙げる ことができる。例えばiPS細胞を用いたヒトへの移植実験はすでに臨床試験がおこなわ れているし、また今後も種々の疾患治療に期待が持たれている。マスコミ等の取り扱 いを見ていると、少々過度な期待がかけられているように思うが、今のところまだ治 療戦略としての有用性については不明な部分が多い。一方、同じ細胞移植による治療 戦略として、大きな期待がかけられているアプローチに、患者自身の骨髄性間葉系細 胞から誘導された組織細胞を移植する方法があり、すでに脊髄損傷治療で実施され、良好な成績が多数例得られ、保険適応されるとの報道がある。
いずれも細胞移植による治療法であるが、その考え方には根本的な違いがある。iPS 細胞を用いる方法は、体細胞を全能性幹細胞にもどし、それを目的の性質をもつ組織 幹細胞に誘導した上で、移植する(この過程で膨大な時間と費用がかかる)。一方、組 織幹細胞を用いる方法では、例えば骨髄内の間葉組織に存在する幹細胞を利用する。 この細胞は、iPS細胞の様に全能性ではないが、相当の分化レパートリーをもっており、遺伝子導入する必要もなく、安定した培養方法も確立している。また、移植までに 要する時間も実際的である。骨髄間葉系細胞は1990年代半ばにマウスで発見され、神 経組織へ分化することが実験的に示された。それ以来、種々の臨床応用が試みられたが、およそ20年かけて、実地に移されたわけである。この間のさまざまな研究の詳細 はここでは省くが、動物(マウス)実験の研究成果が、多くの研究努力によって、実際 の治療で成果を上げるようになった過程を顧みると、実に多くのことを教えられる。 要するに、動物の再生研究はいずれ臨床的に(全てとは言わないが)応用可能である、ということであろうか。
さて、この項で一番言いたいことは、我々の体をつくる組織には、まだまだ未知の 幹細胞、あるいは既知のものであっても未知の機能を持つ幹細胞が存在するのではな いか、ということである。この一例として、ここでは、目の虹彩組織にある幹細胞に ついて、我々のラボで明らかにした実験結果を紹介しよう。
虹彩は非神経性の組織で、虹彩上皮組織と結合組織に分かれる。そのいずれにも神 経細胞や視細胞に分化する幹細胞が存在することを始めて明らかにした。虹彩は、図 にあるように、角膜のすぐ裏側にあり、外部から非常にアプローチしやすい組織であ り、人の場合でも容易に採取可能である。また、ブタを使った実験でも、同じ性質を もつ幹細胞の存在を示すことができており、ヒトにおいてもほぼ同様であろうと推測 することに無理はない。
ARAKI LABでの研究の流れ
研究の契機
予期せぬ理由から、修士1年生の石川珠美がニワトリの虹彩上皮組織に存在する神経 幹細胞の研究に取り組むことになった。石川の学部時代の卒研テーマは、「マウス大 脳の神経幹細胞マーカー遺伝子xxxが網膜発生にどのような機能をもつか」であったが 、期待を抱かせた実験結果に再現性がないことがわかり、このテーマを諦めざるを得 なくなった。さて、何をやろうかと思案の結果、以前から気になっていた虹彩組織の 神経幹細胞をターゲットにする事にした。 院生にどのようなテーマを出すかは、しばしば頭を悩ませる問題である。院生とも なれば、やれば必ずポジティブな結果が出るような課題は与えたくない、何が出るか わからない、出すか出さないかは院生次第、そんな課題をだすことを心がけてきたつ もりである。たとえ思うような結果に至らなくても、如何に考え、行動したか、これ が研究の意味であると思う。
実験の進行:培養法の開発と成果
さて、虹彩幹細胞研究はすでに先行研究がいくつも出ており、確固とした勝算があ ったわけではないが、何か面白いぞと直感し、このテーマに目をつけた。石川の度重 なる試行錯誤の末、両生類網膜再生の研究で独自に開発したゲル包埋培養を応用して 、トリの虹彩上皮組織を培養した。従来のスタンダードな組織幹細胞から神経誘導を かけるという培養方法では、うまくいかなかったのである。ゲル包埋法によって、虹 彩上皮細胞を培養に移すと、早いものでは培養開始後24時間以内に神経分化がおこる ことなどが観察された。
これは、従来の虹彩組織幹細胞の実験の結果と比べ、驚くべき結果で、神経細胞誘 導の考え方を根本的に変える結果であると思う(後述)。最近の実験では、神経細胞分 化だけでなく、視細胞(桿状体および錐状体視細胞)も同じく非常に早く分化する事が わかった。
石川に続いて、藤原愛は、虹彩の結合組織にも同様な神経幹細胞が存在し、さらに、 視細胞分化が急速にかつ非常に多数分化することを観察した。以上の成果は、原著論 文として、Experimental Eye Research誌に2014年に公表された。さらに、神経細胞や 視細胞分化の条件を検討するため、16期生の向井春香は卒業研究で、ゲル包埋ではな く、培養プレート上での平面培養法を検討した。
ニワトリ虹彩組織の結果を得て、ブタを用いた実験を企画した。トリで見つかった 現象が、ヒトの器官に近いと言われているブタにおいてもおこるのか、将来の臨床応 用への可能性を考える上では重要なことである。これは、レスター大学からの学部留 学生Lars RoyallおよびDaniel Leaがおこなった。実は、当初あまり期待していなかった が、ニワトリの結果とほぼ同様の結果が得られ、ブタの虹彩組織にも特異な神経幹細 胞が存在する可能性が強く示唆された。
虹彩幹細胞の分化誘導機構
我々が見つけた虹彩幹細胞の特異な性質は何か?それは、先述のように、培養開始 後24時間以内に、神経細胞が分化を開始することである。念のため、再確認しておく が、虹彩は非神経組織であるので、内在する神経細胞が培養条件下で分化発現したわ けではない。
まず、最初期(24時間後)に分化する神経細胞は、細胞分裂を経ていないものがある 。その後は増殖を経て神経細胞が分化する。通常、組織幹細胞から神経細胞が分化す る過程では、例えば(これまでの報告では)、回転培養法で細胞凝集塊をつくらせ、 培養液にFGFなど増殖因子、成長因子などを投与する。約1週間(期間は場合により異 なるが)後に、分化因子を投与する。このようにして神経細胞に分化させるためには 、10日〜3週間の培養期間が必要である。それが、今回の手法では、上皮にせよ結合 組織にせよ、24時間後という時間で分化する。
そこで、一つの仮説として、虹彩組織内の神経幹細胞には分化抑制機構がはたらい ており、培養環境に移すことにより、それが解除され、たちまち神経細胞に分化する 。この仮説に従って、WNTに注目して実験をおこなった。WNTアゴニスト、伝達阻害 剤を用いた薬理学実験をおこなった。一方で、組織内には、虹彩の周辺組織であるレ ンズ組織などは高いWnt合成能が見られる。
以上の研究結果が意味するところを現時点で考えてみる。現在は、虹彩組織の神経 分化や視細胞分化は、従来考えられているような、培養の環境操作による幹細胞から の神経誘導ではなく、幹細胞ニッチからの解放と考えている。もしそうだとするなら ば、これは、幹細胞に新たな光をあてるものとなり、将来的には他の組織細胞をター ゲットにして新たな幹細胞を発見することも可能ではないかと、考えている。
残されたいくつかの重要な問題
また17期生の高橋香奈枝は、ブタの網膜色素上皮と脈絡膜を同様のゲル包埋培養に より神経分化能を検討した。多数の神経細胞分化が確認されたが、これが脈絡膜の細 胞に由来するのか、色素上皮細胞に由来するかは、培養方法を変えて、今も検討中で ある。
この虹彩組織および、毛様体、さらに脈絡膜などの眼組織中に、神経・網膜幹細胞様 の細胞が広く分布している事の意味は、一体何であろうか。今後どのような答えを見 いだすべきなのか、注意深く考えていきたい。今後は、具体的なシグナル分子に注目 して、組織幹細胞の増殖、分化を制御する機構を明らかにしたいと計画している。
—神経細胞分化する幹細胞はどの組織細胞か。
—分化する神経細胞にはどんなタイプの細胞があるのか?また、それは網膜神経細胞と同一の細胞であるか。
—神経細胞や視細胞(桿状体、錐状体)