自然暦
これまで、「太古の人類に本当に暦が必要だったのか?」という議論がなされたことはありませんでした。古く「日出而作(ひがいでてつくり)、日入而息(ひがいりていこう)」と言い伝えられ、人は日の出と共に働き、日入りと共に休息し、毎日それを繰り返すことが生きることと同義でした。しかし、自然を相手にすれば、食糧の豊凶という波が生じ、当然ですがその食糧の多少により社会的パワーの格差が生じます。すると、この豊凶や食糧の備蓄コントロールを試みる人間が出て来るのは当然の摂理です。社会的パワーをもたらすモノを大量に、しかも安定的に確保するため、まず、人間は自然を入念に観察することでしょう。自然現象のリズムやサイクル、因果関係を発見し、分析し、活用を試みるのです。このように、自然現象を観察することによって発見された時間に関する規律(暦)が、そのまま自然暦となります。
自然暦は「観象授時暦(かんしょうじゅじれき)」とも言われています。自然現象の観察の日々の積み重ねが1年となり、この現象に関する情報を幾年も蓄積していくことで一つの暦が完成します。これは人類が未来を預測するのに大切な作業です。自然現象を観察、分析することから、時間という流れを概念化し、その時間軸上へ情報をプロットする作業。これこそが自然暦そのものです。言うなれば、これは自然と生活の対応表現であり、特に、自然に大きく左右される農耕社会においては、経験者、年長者、首長、為政者が自然暦に基づき農業指導を施せることから、これがパワーの源となっていた訳です。
人類は文明を発達させながら、狩猟、漁労、農業にそれぞれ最適なタイミングがあることがわかってくるはずです。それは、「無駄なことはしたくない」という合理性を追求するが故の知恵でもあります。否、それだけではなく、一方で人類は自然に生かされていることの意味も汲み取り、さらに、高度文明ですら自然の力に抗しきれない限界にも気づくのです。これらは全うな心をもつ人類の必然の気づきであり、自然に対する信仰心へと繋がっていくのです。このように暦は天体の運行のみならず、少なし精神や意識のような内面的な規律によっても支えられてきたモノであることを認識しなければなりません。
また、自然暦は暦に取り込まれる自然現象がその土地の気候や風土に影響されます。緯度や経度、海洋性や内陸性、植生分布によって暦が異なってくるのです。ですから、暦を利用できる範囲は限定的です。自然暦は、今でも特定の地域(あるいは国)と職域(農業や漁業など)でしか利用されませんが、当該の人たちにとっては重要な暦となるのです。例えば、農事暦は今も日本の一部の農家で用いられて、生活を支えるツールとなっているのですが、一方、外国では使い物にならない暦と言えるのです。
#暦 #こよみ #日出而作 #日入而息 #豊凶 #社会的パワー #備蓄コントロール #摂理 #自然現象 #リズム #サイクル #因果関係 #規律 #自然暦 #観象授時暦 #未来 #預測 #概念化 #時間軸 #パワーの源 #必然の気づき #信仰心 #天体の運行 #精神 #意識 #規律 #気候 #風土 #緯度 #経度 #海洋性 #内陸性 #植生分布 #農事暦