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ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~全国の姥神像行脚(その6)~「梵字川の赤い橋は、あの世とこの世の分かれ道⁉」  出羽三山の総奥の院を訪ねて・・・【寄稿文】 廣谷知行

2019.05.25 09:55

はじめに 記事をお届けするに当たり、先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


姥神とは

姥神の定義の説明の前にまず、奪衣婆の説明をさせていただきたい。
奪衣婆とは、死後にあの世へ渡るための三途の川の岸辺にいて、亡者の衣を脱がせる存在である。なぜ脱がせるのかと言うと、その衣を衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる木の枝にかけるためである。そうすると生前の罪の大きい者は枝が大きく下がり、小さい者はほとんど動かない。亡者の罪はその衣に重さとなって染み込んでいることになる。衣領樹は罪を量るはかりであり、それを審査するのが奪衣婆である。


この奪衣婆の姿は、目をらんらんと開き、耳まで裂けた口には牙を生やしたいわゆる鬼婆の顔。そして片足を立てて座り、はだけた上着からは垂れた胸をあらわにしている。


この奪衣婆に対しその像容が一緒であり、しかしながら単独で祀られているものがある。富山県立山芦峅寺の姥堂に祀られていたものなどは、奪衣婆と同じ姿の像をおんば様と呼び、奪衣婆とは別のものとして信仰していた。これに似たような信仰が今も全国に残っている。これら像容が奪衣婆と同じで、それ単独で祀られているものを奪衣婆とは区別し、ここでは姥の神、姥神と呼ぶこととする。
  

冬の山間に立つ湯殿山大鳥居

三途の川を彷彿させる梵字川にかかる赤い橋から奥を眺めて・・・ 


出羽三山の総奥の院として

山形県鶴岡市にある湯殿山は、605年開山とされ、大日如来を本地仏とし、大山祇(オオヤマツミ)、大己貴(オオナムチ)、少彦名(スクナヒコナ)を祀っています。出羽三山の総奥の院として古くから厚く信仰されてきました。


まず、山間の道を奥に向かって進むと開けた場所に大きな赤い鳥居がその神秘性を醸し出しています。この鳥居からさらに山奥に上った場所に神社があるのですが、途中にある梵字川が、この世とあの世を分けている三途の川を彷彿させ、真下の瀧により轟々と水の落ちる叫びを聞きながら赤い橋を渡る時、山中異界へ踏み出すのだと張り詰めた気持ちになるのは私だけでしょうか。


大鳥居のある入り口から神社まではバスも出ているのですが、姥神像を拝むためにも是非歩いて登ることをお勧めします。


そして湯殿山神社にある、その見るからに霊験あらたかな御神体は、「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められ、入り口でお祓いを受けてからでないと参拝できないという厳しさです。


「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」 松尾芭蕉 (奥の細道より)


湯殿山の姥神像

これまで、湯殿山に関係すると考えられる姥神を紹介してきましたが、それでは湯殿山自体はどうなのでしょうか。

「出羽三山絵日記」に掲載されている装束場での以前の姥神像

壊れて修復された以前の姥神像


湯殿山神社への途中、梵字川にかかる橋を渡って少し先、岩清水小屋跡に姥神像が祀られています。現在のものとは違いますが、もともと石跳川登山道の先にある装束場にあったものを現在の場所、湯殿山神社参道へ下ろし、祀っていました。しかし、残念ながら雪などで壊れてしまい、有志により平成二十四年に新しくなりました。

姥神像の祀られた岩清水小屋跡(現在)

現在の姥神像

平成24年の新姥神像奉納記念碑


湯殿山と姥神の関係性

湯殿山と姥神が密接に関係していたという確証はありませんが、湯殿山神社と月山への通り道となる石跳川周辺などには、他にも姥神像があった形跡があります。昔は出羽三山の総奥宮としての湯殿山に参拝するため、月山に登る前、または登った後に湯殿山神社の御宝前に向かっていました。その中途に、つまり湯殿山神社参拝の手前に姥神を配置する風習があったと思われます。


これは、内藤正敏『鬼と修験のフォークロア』のなかで、「湯殿山近くの大網、長坊山に湯殿山御宝前に似た霊地を見つけた。(中略)天狗沢一帯を湯殿山仙人沢になぞらえて諸仏を勧請し、入り口には姥神を配して霊地を作った」という、郷土史家の渡部留次氏からの聞き書きからも推し量られます。


これまで紹介してきた、山形県山辺町作谷沢、茨城県日立市御岩山、栃木県茶臼岳と男体山、福島県吾妻山の姥神像の例と合わせてみれば、湯殿山神社と姥神は関係が深く、女人禁制の結界の意味で姥神像が配置されていたのではないかと考えらます。


参考文献
内藤正敏「鬼と修験のフォークロア」、法政大学出版局、二〇〇七年。
渡辺幸任「出羽三山絵日記」、杏林堂、二〇〇六年。


続く・・・



寄稿文 廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家



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