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「JR只見線 復旧工事状況」 2019年 春

2019.05.25 14:18

再来年度、2021年度の全線復旧に向けて工事が行われているJR只見線。令和最初の只見線の利用は、復旧工事の現状を知りたいと思い、運休区間に向かうことにした。

 

東日本大震災の発生した2011年夏に発生した「平成23年7月新潟福島豪雨」で大きな被害を受けた只見線は、27.6㎞(会津川口~只見)の運休区間で昨年6月から復旧工事が進められている。*下記事出処:福島民友新聞 2019年6月16日付け紙面

 

この区間は、「第五」「第六」「第五」の三本の只見川橋梁の流出、長大な「第八」を含め只見町内の路盤に法面崩壊などの被害を受け、復旧費用は約81億円に上っている。*下図出処:東日本旅客鉄道株式会社「只見線 鉄道復旧について - バス転換について - JR東日本」(2016年11月30日-12月1日)

 

上場企業である東日本旅客鉄道㈱(JR東日本)は赤字ローカル線である只見線の中でも赤字幅の大きい運休区間の復旧に難色を示したが、沿線の自治体と福島県が示した運休区間の「公有民営」(上下分離)方式に賛同し、復旧工事を行う決定をしたという経緯がある。

工事期間は「第六」「第七」の鉄橋が奥会津の渓谷部に再架橋を行うという難工事となるためか、3年と長くなっている。

  

まだ工事は緒に就いたばかりだが、“第二の全線開通”に向けてどのように工事が進められるか確認したいと現地に向かった。

*参考:

・東日本旅客鉄道㈱:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ  ー只見線復旧工事関連ー / ー只見線の春

  



 

 

今朝早く、磐越西線の始発列車に乗るために郡山駅に向かった。今日も真夏のような暑さとの予報通り、空は青空が広がり、空気も蒸し暑かった。

 

駅頭で自転車を折りたたみ、構内に入り改札を通り1番線に停車中の列車に乗り込んだ。

5:55、会津若松行きの列車が出発。

  

切符は土曜日ということで「小さな旅ホリデーパス」を利用した。

郡山~只見間の往復運賃は5,000円を超えてしまう。この切符はとても助かるが、平日は使えない。まずは浜通りの住民を含めた福島県民が乗って只見線を利活用するためには、曜日を問わない“只見線ツーデイパス”を3,000円で用意する必要があると私は思っている。

 

 

中山峠を沼上トンネルで抜け、会津地方に入っても青空は広がっていた。 

猪苗代を過ぎて車窓に対して正面に見えるようになる「磐梯山」は、残雪も僅かで、田植えの終わった畝にも綺麗に全容を映していた。

 

 

  

7:09、会津若松に到着。改札を抜け、外から駅舎を見る。鶴ヶ城に倣った赤瓦は青空に映えていた。

 

再び改札を通り、連絡橋で只見線のホームに向かう。橋上からは「磐梯山」がくっきりと見えた。

7:37、会津川口行きの2両編成の列車が会津若松を出発。

 

私の乗る車両は、土曜日にも関わらず私を含め4人だった。3つの県立高校(大沼、坂下、会津農林)の高校生が居ないと、只見線の現状が露わになる。この現実があっても復旧させる福島県は、覚悟をもって公金を投入し、確実な実りを得るための施策を行わなければならない。

  

 

列車は七日町西若松の市街地の駅を経て、大川(阿賀川)を渡った。

  

会津平野の田園に入り、会津本郷を過ぎると会津美里町になり、会津高田を出発すると列車大きく進路を変え真北に進んだ。

  

田植えを終えた畝越しに「磐梯山」が見えた。

  

 

列車は根岸新鶴を経て、若宮手前で会津坂下町に入り、西に進路を変えて会津坂下に停車する。ここでは客の大半が降り、私の乗る車両は私を含め二人となってしまった。

   

 

列車のすれ違いを行ってから出発すると、まもなく七折峠に向かって登坂を開始した。

  

 

峠の中にある塔寺を過ぎて、第一花笠-第二花笠-元屋敷-大沢の四連のトンネルの途上で下り坂となり、木々の間から自称“坂本の眺め”で未だ冠雪している飯豊連峰を眺めた。

  

会津坂本を過ぎて柳津町に入り、会津柳津で10名近い客を乗せた。

 

郷戸手前の“Myビューポイント”から見る「飯谷山」(783m)の上空は快晴。これから向かう奥会津地域も良い天気だと確信する。

  

 

滝谷を出た直後に滝谷川橋梁を渡り三島町に入った。前回(4月28日)より緑が増え、渓谷の清流が一層美しく見えた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧


 

 

会津桧原を過ぎて桧の原トンネルを潜り抜けると「第一只見川橋梁」を渡った。

 

東北電力㈱柳津発電所・柳津ダムが創る湖面鏡は日差しが強く、映り込みは弱かった。

 

 

会津西方を出発した直後に「第二只見川橋梁」を渡った。

  

 

会津宮下手前で“アーチ3橋(兄)弟”の長男となる大谷川橋梁を渡る。次男の宮下橋を見下ろした。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日)

  

会津宮下で、上り列車とすれ違った。

 

 

出発後まもなく東北電力㈱宮下発電所とその調整池である宮下ダムの直脇を通り抜ける。渓谷のダム湖を取り囲む緑が綺麗に見えた。

  

列車はわずかに只見川と離れ「第三只見川橋梁」で三度目の渡河を行った。両側の車窓から見える風景にはほとんど人工物が見えず、良い景色を楽しめる。

 

 

列車は早戸を経て金山町に入り、細越橋梁(めがね橋、8連コンクリートアーチ橋)を渡った。左(西)側は開放的で、良い風景を見ることができた。

 

 

会津水沼を出発すると「第四只見川橋梁」を渡った。下路式のトラス橋で鋼材の間から景色を眺めた。

   

この後、国道252号線と只見川を眼下に見ながら進む。国道は拡張工事が行われていた。東北電力㈱上田発電所・上田ダム直下となるこの付近は路側帯もほとんどない狭隘な道幅となっている。 *参考:福島県 会津若松建設事務所「国道252号線【水沼工区】」(PDF)

 

 

会津中川を経て、大志集落を右手に見ながら進むと、只見川(上田ダム湖)が接近し、前方に林道の上井草橋が見えてきた。

   

ここで振り返り、大志集落の様子を撮った。青空と青緑の只見川、鏡のような水面は見事だった。

  

列車は速度を落とし川べりを進んでゆく。今日は水面に波は無く、吸い込まれるような湖面鏡だった。

 

 

 

9:39、終点の会津川口に到着。降り立った乗客は10名あまり。

 

ここから先が運休区間。約8年間も列車が通り抜けていない。

しばしホームで景色を見て、駅構内に入った。

  

売店の脇に置かれた“Youはどこから?”ボードを見ると、台湾、タイ、韓国などのアジア圏からのインバウンドが目立った。

   

会津川口駅からは自転車で移動。駅舎を抜けて、輪行バッグから折り畳み自転車を取り出し、組み立てた。この自転車に乗って只見線の運休区間(会津川口~只見、27.6km)に沿っている、国道252号線を進む。

この試みも三度目で、経路、道路形状、所要時間などが分かっているため余裕をもって臨めた。陽射しが強く、気温は高かったが、空気が涼気を帯びていたため大丈夫だろうと思った。

 

駅に接している国道252号線に入り、西南に進みながら復旧工事現場を訪ねた。

  

西谷地区に向かう坂を上り、下りに入ってまもなく、右手に最初の工区「第五ヤード入口」の看板が見えてきた。看板には「只見線災害復旧その他工事(1工区)」と書かれ、橋梁の一部も見えていた。

  

ここは「第五只見川橋梁」の復旧工事が主となる工事ヤードだと思われた。

 

「第五」は会津川口寄りの橋桁と橋脚、それぞれ1つが流出した。そこに、鉄骨の仮設導入路が築かれ、足場が組まれていた。


「第五」の復旧工事費用はJR東日本の資料(以下、同じ)によると3億円。運休前と同じ姿で復旧される。


 

国道を進み只見川に掛かる西谷橋を渡ると、橋上から遠方に東北電力㈱本名発電所・本名ダムが見えた。

  

渡河を終えると橋のたもとに「本名ヤード」があった。「第六只見川橋梁」の復旧工事事務所と資材置場になっているようだった。


ここの道路占用工事許可標示には申請者は「福島県生活環境部生活交通課」となり、請負工事になっていた。復旧工事はJR東日本が行っているため、復旧後の「上下分離」経営を見越したものか、と思った。

 

 

10:10、本名駅に到着。

 

運休区間では運休区間で最も多くの住宅に囲まれている。

 

 

本名ダムの下流側に行き、「第六只見川橋梁」が掛かっていた空間を眺めた。

 

左岸下部では、東北電力による減勢工工事が行われていた。


右岸上部では、只見線の復旧工事が進められていた。

 

本名ダムの天端・本名橋に移動し、橋上から復旧工事の様子を眺めた。


斜面に鉄骨を打ち付け導入路を作っているようだった。

 

「第六」の再架橋と本名トンネルの整備のために使われるのだろう。


第六只見川橋梁」は、約16億円をかけて、まったく新しい橋に生まれ変わる。見晴らし良い上路式から「第四」と同じような下路式トラス橋になる。

  

 

この工事現場の近くでは国道252号線「本名バイパス」トンネル(仮称)の掘削工事が進められている。1,188mまで進んでいた。*参考:福島県 会津若松建設事務所「国道252号線【本名バイパス】」(PDF) 

   

本名ダムの天端から引き返し、未舗装の道路、林道本名室谷線を初めて進んだ。


この道は来週の日曜日(6/2)に山開き登山が行われる本名御神楽と御神楽岳の登山口に繋がっていて、補修工事が行われいる。

 

林道から振り返り本名ダムを見ると、向こう側の山の景色から、ダムが自然に大きな力を加えている事が実感できた。

  

しばらく進むと分岐があり、細い道を下ると前方に全鋼製のつり橋「霧来沢橋」と工事中の本名バイパス“霧来沢橋”(仮称)が並んでいた。


この地点が本名トンネルの出口となっているようで、貫通を待つモルタルで塗られた法面があった。

 

「霧来沢橋」を渡った。自動車も渡れる幅と強度がある。


橋上から霧来沢と只見川(本名ダム湖)の合流点を見る。清流(霧来沢)が青緑の流れに交じり合い、多様な緑と水鏡に目を奪われた。

  

霧来沢の方に目を向けると、大きな鯉が3匹、優雅に泳いでた。

 

 

本名バイパスは“新本名橋”で只見川を渡河するが、大規模な架橋工事が進められていた。

   

湯倉橋から只見川上流を見る。左岸には湯倉温泉共同浴場が見えた。 

 

只見川に注ぐ排湯の析出物が、緑の中で際立っていた。

   

再び国道252号線に入り、南に進んだ。只見線は滝沢架道橋まで、しばらく左側に沿う。

   

中ノ沢橋を渡ると、只見線と国道のスペースに鉄板が敷かれていた。復旧工事に関わるものだと思ったが、掲示物は何もなかった。

  

この先には国道と路盤を行き来できる仮設階段が設置されていた。

  

 11:13、会津越川駅に到着。

 

路盤はしっかりと除草され、レールの錆が無ければ列車が走っていてもおかしくない状態だった。

 

駅の只見寄りからは、未だ冠雪している「浅草岳」が見えた。

  

駅近くの空き地には工事関係者の車両が停まっていて、警備員も居た。聞けば、ここから軌陸車が入り、只見方面にレールを走って、垂れ下がっている枝木の点検を行っているという。

   

駅を後にして国道を進んで行くと、並行する只見線の路盤から何かが動いている音が聞こえた。目を向けると2tダンプ式の軌陸車が作業員を載せて、バッグで移動していた。軌陸車が走られるという事は、この付近の路盤は豪雨被害の影響がほとんどなかったということだろうか。

 

 

国道を進み、東北電力㈱伊南川発電所の前を通る。三本の水圧鉄管をまたぐ只見線の伊南川発電所橋梁が見えた。

 

落水が只見川に勢いよく注ぐ放水口を眺めた。自然エネルギーを実感できる光景だ。

  

 

横田地区に入ると、歓声が聞こえた。横田小学校に入って行くと、運動会が開かれていた。

 

ギャラリーの方が多いという印象を受けたが、子ども達は元気に競技に臨んでいた。

高齢化率が福島県下最高の金山町の現状を考えると、“子供は地域の宝”という真実と切実な現実をしみじみと考えざるを得なかった。

  

11:34、会津横田駅に到着。

 

ここも本線はしっかりと除草され、約8年も休止中の駅には見えなかった。

  

国道に戻り、二本木橋から只見川の上流に目を向けると、これから向かう「第七只見川橋梁」が見えた。

   

 

大塩温泉共同浴場の入口を過ぎ、国道から町道に入り金山町グラウンドゴルフ場の隣に設置された工事ヤードに到着。「第七只見川橋」梁の架橋工事の拠点で、昨年6月に復旧工事起工式典が行われた場所でもある。

   

町道の四季彩橋上に移動し、「第七只見川橋梁」があった空間を眺めた。

  

右岸では橋脚と橋桁が撤去された跡で、新たな橋脚設置が進められていた。

  

只見川の川床の岩盤に大きな穴が開いていた。工事関係者に聞くと深さは10mを超え、難工事だったという。

この付近の只見川は狭隘で、豪雨時は一層水位が上がり水勢も強まるため、強靭な橋脚が必要なのだろうと思った。


「第七」橋梁も生まれ変わる。「第六」同様に下路式トラス橋になる。

   

右岸に渡り、町道から直接導入路が作られた工事の状況を眺めた。この緑に包まれた自然に中で、どのような架橋工事が行われるか興味がわいた。

金山町にはJR東日本の協力を仰ぎ、大規模な架橋工事が行われる「第六」「第七」の様子をライブカメラを設置してWeb上で公開して欲しいと思う。只見線全線復旧の機運を盛り上げるだけでなく、“大自然の中に敷設されている只見線”という認知を広め、“山の只見線”に乗ってみたいという需要を創り出して欲しい。

    

 

12:05、「第七」の最寄となる会津大塩駅に到着。

 

駅名標は錆付き、休止期間の長さが実感できたが、路盤はここもしっかりと除草され、8年もの間、運休しているとは見えなかった。

   

駅の会津若松側の路盤脇には鉄板が敷かれ、工事に備えられていた。

  

 

大塩地区は二つの炭酸場がある。 

井戸からくみ上げる「大塩炭酸場」。

  

湧き水のように流れてくる「滝沢炭酸場」。*参考:拙著「金山町「炭酸水」 2016年 晩夏」(2016年9月2日)

 

 

滝沢地区の田越しに只見線の路盤を見ると、こちらも除草され、鉄道線があると認識できた。

  

国道沿いには金山町が用意した緑基調の幟がなびいていた。今までは青基調だったが、新調したのだろうか。

 

 

国道を進み、滝スノーシェルターから廃道となったスノーシェッドの入口の柱の間から滝ダム(電源開発㈱滝発電所)を眺めた。塩沢地区と「第八只見川橋梁」の景観を創っているダムだ。

 

滝バイパス(滝トンネル)を抜け、只子沢橋を渡り只見町に入った。


この只子沢の1kmほど上流の下を只見線の滝トンネルが貫いている。「田子倉発電所建設用専用鉄道工事誌」によると沢床からトンネル工事の地表面下施工面までは14.5mで、トンネルの頂上部までは8.55mだという。

 

只子沢橋上から只見川(滝ダム湖)を眺めた。大きく蛇行しているため、只見川の一部には見えない静謐な湖だ。ただ、ここは只見線の列車は滝トンネルの中を走っているために、車内からは見られない。 

  

塩沢スノーシェッドの柱の間から塩沢地区を見ると「蒲生岳」越しに、冠雪した「浅草岳」が見えた。只見線復旧後は、滝トンネル出入口(只見側)で「浅草岳」は隠れてしまい、このままの光景を車窓から見る事はできない。

   

スノーシェッドを抜け、只見線の路盤を右手に見ながら自転車を進めた。列車が走っていてもおかしくない雰囲気だった。


 

塩沢地区に入る。戊辰役・北越戦争で長岡藩の家老で軍事総督だった河井継之助の没した地で、長岡より先に建造された「河井継之助記念館」がある。


小塩沢に掛かる中丸橋から只見川を見る。滝ダムの貯水量が少ないようで、新緑に覆われた川床が露わになっていた。


 

12:50、会津塩沢駅に到着。

  

ここは豪雨で路盤の被害があったか、レールが外されていた。

  

寄岩ヤード入口」は近くの国道沿いにあった。「第八只見川橋梁」の前後約1kmの工事区間の北側を担っているようだ。

 

ヤードから導入路が作られ、路盤には鉄板が敷かれていた。

  

国道を進み、寄岩橋上から「第八只見川橋梁」を眺めた。

橋桁の流出は無いが、橋脚洗掘・盛土崩壊・路盤沈下・土留壁変状など約1kmにわたり多くの被害を受け、復旧費用は運休区間最大の21億円となっている。

 

路盤をよく見ると、工事資材が置かれていた。

  

 

さらに国道を進み、宮原地区に入ると「蒲生ヤード入口」があった。「第八」橋梁の南側の復旧工事の拠点となるのだろう。

  

宮原地区の国道沿いにはアザキ大根が自生していて、只見線越しに「浅草岳」が見えるという良い構図の空間だった。復旧後に、ここで列車が走る姿を撮ってみたいと思った。

   

 

13:06、会津蒲生駅に着く。「蒲生岳」の登山口が近い。

 

ここも、びっくりするほど路盤とレールが露出していた。

  

 

さらに国道を進むと「八木沢SSヤード入口」があった。

豪雨で被害の大きかった八木沢地区。激しく降った雨が山の斜面を崩落させたり、沢の水が路盤に土砂を流入させたのだろうと思った。

  

ここから先は山側に工事個所が目立って多かった。  

只見線・八木沢橋梁の下に掲示されていた工事標示を見ると、ここでは申請者はJR東日本の郡山土木技術センターだった。「本名ヤード」とは違い、工事主体と同じだ。

   

この先、国道からやや入った場所に大きな工事ヤードがあった。


掲示板にはこの場所が受け持つ6つの工事個所の図が貼られていた。金山町内は橋梁の被害が大きかったが、只見町内は只見川沿い以外の被害箇所が多い事が一層実感できた。

 

 

国道を進み、叶津地区に渡る堅盤橋の手前で只見線最長の「叶津川橋梁」(372m)を眺めた。半径250mで緩やかに大きく曲がっている美しい鉄道橋だ。


 

叶津川橋梁の一部を潜り抜け、只見線の路盤を見上げながら進んだ。

 

ここも除草され、列車が走っていてもおかしくない...と思ったが、熊野神社の参道となる石段を登り、そこを横切る只見線の路盤を見ると叶津川橋梁までレールが外されていた。

この付近も山側からの土砂流入があった箇所で、擁壁設置などを含めた路盤強化をした上でレールを再敷設するのだろうと思った。

 

 

近くの国道沿いには「只見①ヤード入口」があり、国道から急な斜面にむけて鉄製の網が敷かれた導入路が作られていた。

 

国道を少し進み、開けた場所に出ると「只見②ヤード入口」があり、ここには国道から長い導入路が設置されていた。

 

この先、只見駅まで只見線復旧工事の工事ヤードは見られなかった。

  

ここまでで、私が現認した工事ヤードは9ヵ所。

金山町内は「第五」「第六」「第七」の3ヵ所。

只見町内は「第八」の南北に2ヵ所と、八木沢地区を中心に山側に4ヵ所。

 

被害の無い路盤が多いが「第六」「第七」の大規模な架橋工事やその現場状況から、工期3年という長さは妥当なように思えた。ただ、できれば2021年度中の早い段階で工事を終了させ、車窓からみえる景色が素晴らしい紅葉時に全線復旧させて欲しい。 *下記事出処:福島民報 2018年6月29日付け紙面

 

 

只見駅に向かうために国道から町道に入る。田植えの終わった畝越しに“寝観音”の山並みが見えた。

 

「猿倉山」(1455m)から「横山」(1416m)に続く稜線が、観音様が横になり眠られている姿だという。

  

只見小学校に近付くと、ここでも運動会が行われていた。

 

ちょうどリレーが始まる頃で、必死に駆ける児童の姿を見る事ができた。

 

 

 

13:36、只見に到着。ここから先、小出までは列車が運行されている。

  

会津若松方面には丈の低い草が生えていた。おそらくこの区間は被害が無く工事が必要ないからなのだろう。

   

ホームは緑に包まれた「要害山」を背景にひっそりしていた。

  

 

只見駅から約4時間のサイクリングの汗を流すために、只見川と伊南川の合流点の前にある銭湯「ひとっぷろ まち湯」に向かった。

 

ここは4度めの利用となる。駅チカで清潔感に溢れ、何より脱衣所と浴室に只見線の画(松本忠氏作)が掲げられ、只見線の旅には欠かせない施設になっている。*参考:松本忠氏「もう一つの時刻表

ジャグジー付きの湯船にゆっくりと浸かり、再び只見駅に向った。 

 

駅に着くと、ちょうど小出から列車が到着するので、許可をもらいその姿を撮影した。

   

その後、駅頭で自転車を折り畳み輪行バッグに入れ、中型車両を使った代行バスに乗った。

   

14:32、先ほどの列車からの乗り換え客を含め、9名の客を乗せて会津川口駅行きの代行バスが只見を出発。

  

 

15:22、私が自転車で進んできた国道で“各駅停車”し、会津川口に到着。他の乗客とともに駅舎を抜けてホームに行き、私はキハ40形3両編成の最後尾に乗車した。

15:27、会津若松行きの列車が会津川口を出発。

  

まもなく、大志集落が見えた。午後の陽射しを受け、午前中とは違った緑の色合いだった。

  

車内では、湯上り後に松屋商店2Fで購入した只見名物「マトンケバブ」を昼食として食べた。変わらぬ旨さに、ビールも進んだ。

 

  

列車は山間部を進み、車窓からは往路とは違った景色が流れた。

  

 

七折峠を下り、奥会津の山間部から会津平野に入ると、傾いた陽が田の水鏡を美しくしていた。

  

順光を浴びた車両を“撮る人”の姿があった。

  

 

17:19、列車は会津若松に到着。磐越西線の上り列車に乗り換えて、郡山に帰った。

  

19:29、郡山に到着。中通り最大の都市は賑わっていた。

 

郡山を含む、中通りの住民が一人でも多くが列車に乗り、福島県民が支える只見線になるようにしなければならないと、今日の旅を終えて私は思った。

 

 

(了)

  

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考

・福島県: 只見線ポータルサイト / 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」 

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、よろしくお願い申し上げます。