片倉城跡(かたくらじょうせき)
このページを開いて片倉城跡という名称に『あ、あそこね!!』と頷ける人はどのくらいいるのでしょうか。今回、このページを作成している私も片倉城跡へ行くまでは何も知らない状態でした。ここに関しては今までテレビや雑誌でも情報を得る機会がありませんでした。
城跡というだけに、建物が残っているわけではありません。この芝生広場に城がありました。片倉城の特徴は、大きな山の中にあるのではなく丘陵地といった平地よりも高く盛り上がった土地に建てられ、敵陣の動きを監視しやすい場所にあったといわれています。
片倉城跡は東京都指定文化財に登録されています。新編武蔵風土記稿という書記に築城主らしき人物が記録されていますが、誰が建てたか確証はありません。ただ、この書記と近辺に残る城の歴史をたどると室町時代に築城されたことが推測されています。
入口には15台の駐車場があります。利用時間は9:00~17:00で料金は無料となっています。入口から最初に向かったのは彫刻広場です。
片倉城跡の公園内には彫刻家の北村西望氏の彫刻が多く飾られています。彼の代表作は長崎県長崎市松山町の平和祈念像です。彼は文化勲章を受章した日本を代表する彫刻家であり、多くの作品をここで見ることができます。SNSだけではなく様々な撮影を目的に人が集まっていました。
次に向かったのは展望デッキとあずまやの方面です。
彫刻広場を過ぎると右側に池が見えてきます。その池の上には橋が架けられ展望デッキがあります。そこから池に咲く花々を眺めることができます。
展望デッキからあずまやへ向かうと、そこには再び北村西望氏の彫刻があります。
あずまやから先はヤマブキソウという黄色い花が多く咲いていました。
次は水車小屋という場所に到着です。水車が静かな音を立ててゆっくりと回っています。横に移動するのはここまでとなり、次は写真の右側にある階段を登って森の中へ入ります。
高い山を登っている人にとっては物足りない場所になるかもしれませんが、登山を好きな家族が小さな子どもを連れて自然を満喫できる場所にもなっています。
しばらく登っていくと奥の沢という分岐地点へ到着します。左側の橋を渡れば休憩広場への近道となります。
橋を渡らずに右側の道を進むと、森の奥の方で折り返すようにして橋の向こう側にたどり着きます。
橋を渡ったあとはさらに登って『つつじ山』を目指します。
つつじ山の上は広々としていますが三角点や標識があるわけではありません。
つつじ山の上には畑があり、農作物が栽培されてありました。標高の低さに驚いてしまいましたが、向こう側に丹沢連峰が見えていたことに驚きました。秦野・伊勢原・厚木の人たちからはつまらないものかもしれませんが、何時間も登らずに遠くの山を眺められる場所は登山をする人にとって積雪を観測するために重要な場所となります。
さらに驚いたのが、山の上でキャンプをしてる人たちがいたことです。ここのエリアは片倉城跡公園ではなく、片倉つどいの森公園というエリアになっています。キャンプ道具があるのに私のようにここまで登ってきているのではなく、この公園入口の駐車場まで自動車で登ってからキャンプすることができます。
では、再び片倉城跡公園のエリアにもどり、二の丸広場を目指します。
二の丸広場はこのような芝生広場で、写真の右の方まで大きく広がっています。ここは片倉城の西郭として記録が残っています。築城は室町時代ですが、戦国時代から安土桃山時代まで北条氏が片倉城を使用していました。
片倉城に大きく残される歴史は、北条氏照・北条氏邦が武田信玄と三増峠(みませとうげ)の戦いで小田原城の監視や武田信玄の出陣に使った場所と言われています。戦国時代の北条氏は小田原城を本拠地としていましたが、武田信玄の前にここを落とそうとしていたのは誰でしょうか。
ではその答えを話す前に、本丸広場へ本橋を使って渡ります。本橋の下には敵や動物の侵入を防ぐために作った溝があります。そのようなエリアを『空堀』といい、そこから城跡の遺構を探し出していきました。
本丸広場は片倉城の主郭・東郭が建っていました。では、例の武田信玄よりも早く北条氏を滅ぼそうとした人物とは『上杉謙信』です。何度も小田原城を攻めましたが、勝利を得ることができず、武田信玄が戦いに出ました。そのときにここから北条氏が不意打ちをかけたことで武田氏の多くの兵が討ち負かされてしまいました。
本丸広場の次は住吉神社です。本丸広場からは降りるようにして駐車場へ戻るルートになります。住吉神社は戦国時代とは違った時期に建てられたと考えられます。ここには、片倉城の腰郭という場所として記録され、本丸広場の本郭・東郭を守るための場所になっていたとされています。
でも、北条氏が武田氏を討ち負かしていたのになぜ城が残っていないのでしょうか。じつは、武田信玄は最終的に力を盛り返して逆転することができたという歴史が残されています。また、空襲によってここが壊されたという歴史も残されています。
こんなに深い歴史がある場所になっていますが、日曜の昼間でも静かな鳥の鳴き声や草木の揺れる音が聞こえてきます。
神社の入り口には大きな双子の杉の木が生えていました。富士山の近くにある浅間神社には同じくらい大きな杉の木が何本も立っていたのを思い出します。
住吉神社から彫刻広場までは階段で降りれるようになっています。片倉城跡は公園内を1周してみないと地図との位置関係がよく分からないかもしれません。
決して長いルートではないため、1周だけで終わらそうとするのではなく、2周してみると公園内・外の地理と城の歴史が理解できるかもしれません。
登山をしていると、山に神社や遺跡が多くあることも分かります。とくに関東周辺は色んな歴史を持った場所が存在するため、小学生や中学生の教科書でよく分からなかったものを理解できるチャンスになるかもしれません。次は、どこの歴史を勉強しましょうか。登山や歴史や健康のことでも、ご意見や質問をお待ちしてます。