「宇田川源流」 フォロワーの水増しに対して罪悪感がない現代のインフルエンサーに見る現代日本人のプロ意識
「宇田川源流」 フォロワーの水増しに対して罪悪感がない現代のインフルエンサーに見る現代日本人のプロ意識
この問題は単純に「プロとは何か」という話ではないだろうか。
単純に、現代日本人のプロ意識というものが全くなくなってしまっているんではないかという気がしてならないことがある。実際にインターネットとSNSのおかげで、またパソコンの普及にともなって誰でもが自分の情報発信を行うことができたり、あるいは、動画などを加工することが可能になったのである。そのために技術の部分は、プロに近いと自分たちで満足できるものができたり、あるいは、見た目にもよいものができたりする。
私たちがプロになった時、このような表現をされたことがある。
「素人が見て『うまい』というのと、プロが見て『うまい』というのと、プロが見て『うまい』といわないもの、その四種類がある」というのである。
三つしか書いていないのに、四種類ということに疑問を持った方がいると思うが、プロは、様々なことを配慮するので、「何も言わない」といことは、間違いなく「二つの意味」があるのだ、一つ目はあまりに素晴らしすぎて自分の座が追われるのではないかということでの「絶句」というものと、もう一つは、あまりにも出着替えが悪く、でも相手を傷つけなかったりあるいは自分の人間関係をおかしくしないために「口をつぐむ」というものの二つの種類である。
さて、最近のSNSの流行において、「素人が見て『うまい』という」レベルのものが増えたかもしれないが、そのために、「プロが見て『うまい』というもの」は完全に少なくなったという気がする。本物のマスコミも、そのレベルでよいと思っている節があるし、また、今のマスコミの若い記者は、自分たちで新たな技術を勉強したり他人の背中を見て学ぶということを全くしないために、素人がうまいというレベルで終わってしまうことが多い。
そのような環境の中で、「インフルエンサー」といわれる「素人」はいったいどうなのであろうか。
水増しインフルエンサー「フォロワー1万人を6000円で買った」と告白 NHK「クロ現+」がブラジルまで追跡調査
いまやネット広告の主戦場となっているインスタグラムなどのSNS。フォロワー数が多いほど影響力が大きいとされ、仕事の依頼や報酬、就職で差が出ることさえある。
インスタグラムの利用規約では、アカウントの売買は禁止されているが、水面下ではフォロワーの売買が横行している。5月22日放送の「クローズアップ現代+」(NHK総合)では、フォロワー売買の実態に迫った。調査はブラジルまで及び、ネット上で「さすが(NHK)」と話題になっている。(文:okei)
日本人の、何も投稿していないアカウントを世界中の人々がフォロー
1万5000人のフォロワーがいる30代の主婦は、フォロワー数を「1万の大台に乗せるために1回使いました」と明かす。主に化粧品について投稿し、化粧品会社から月10万~20万円の報酬を得るという。「お小遣いの足しにする。いまはフォロワーを買うのが普通」と悪びれず語る。
ある読者モデルは、
「フォロワー1万人を6000円ぐらいで買いました」
「3か月ごとに買ってます。有名な先輩たちもやっているので」
と証言した。水増し分は徐々に減るため、追加購入する必要があるのだ。
フォロワーを販売する業者は、「注文数は1日100以上あり、高くて1人当たり6.5円ですね」「(フォロワー)1億は行ける。今の時代で言うと数があれば正義」などと説明。
「自分達は法律を害してないわけだし、使うか使わないかは利用者の判断。需要があってうちはやっています」
と答え、罪悪感はないという。
フォロワーは1万人につき約1万円で販売されており、番組では、検証のため3つのインスタアカウントを作成。それぞれ別の業者から、全部で3万人のフォロワーを買った。フォロワーを調査すると、1つは95%がブラジルの乗っ取りアカウントで、1つは中東が多いbot。もう1つは世界150か国からだった。日本人の、何も投稿していないアカウントを世界中の人々がフォローしていたのだ。
NHKは、勝手にフォローに利用されたアカウントの主をブラジルまで追った。連絡が取れたのは16歳の女子学生と34歳の理容師男性だ。2人とも、フォローした覚えのない100人近くの日本人アカウントが見つかり憤っていた。
驚きの利用規約 「あなたのアカウントで他人をフォローする場合があります」
さらに恐ろしいことに、購入したフォロワーには150人の日本人も含まれ「勝手にフォロー」に利用されていた。連絡先が分かった50人すべてに取材すると、海外の無料ソフトの存在が浮上。インスタをパソコンから投稿できるようにするソフトだが、英語の利用規約に、
「あなたのアカウントで他人をフォローする場合があります」
とある。フォローが勝手に増えていった人のほぼ全員がこのソフトを利用しており、地方自治体も4つあった。これらの自治体は、アカウント削除やパスワードを変更するなどして対応したという。
作家の石井光太さんは、ISなどテロ集団や反社会的な組織に、知らないうちに「いいね」してしまう危険性を指摘していた。心当たりのある人は、今すぐ何らかの対策をとったほうがいいだろう。
水増しの場合フォロワーが1日で急激に増加するため、無料のサイトですぐに見破れる。ばれたときの恥ずかしさやリスクは大きいし、情報を信頼しているSNS利用者や、宣伝効果のないものにお金を払っている広告主の企業は、大きな損害を被っている。
ツイッターでは、「フォロワー水増しなんてあるんだ」「闇が深い」といった驚きや、実際にツイッターで増やしてみて「簡単に増えたよ」とする人も続出。投稿がバズってもいない無名アカウントにフォロワー10万などがあると指摘し、「フォロワー数はアテにならない」といった声も出ていた。
もちろん多くのインフルエンサーは自分の投稿でフォロワーを増やしているが、水増しすることで、却って個人の信用もSNSへの信頼も落としかねないと、肝に銘じるべきだろう。
2019年05月24日 07時00分 キャリコネ
https://news.nifty.com/article/economy/business/12117-11242/
あまりひどいことを書くと、このブログなども炎上してしまうので、一応控えめに書くが、私が小売業の会社にいたころ、「口コミ販促」というものがあった。実際に、ここに書かれているものと同じように、金で何人かの「口うるさいボス格の主婦」を雇い、その人に店の良い評判を、場合によっては競合店の悪い評判を建ててもらうというものであった。店の評判というのは「人のうわさも75日」というようなことわざがある通り、実力が伴わなければ、どんなに噂を流しても全く意味がない。しかし、逆に「瞬間的な販売促進でよい」と異様な状況であるならば、実はチラシと口コミ販促がかなり有効的な手段であったのだ。
だいたい、小売業などというものは、基本的にはどのプライベートブランドの商品が多少違うものの、だいたいは同じようなものが売っているのである。そのような状況の中において、「口コミ販促」は、新規顧客の開拓という意味ではかなり有効であるばかりか、そのまま定着する可能性もあるということで、かなり良い内容ではなかったかという気がしているのである。
さて、しかし、それは実力が伴っていない場合に、すぐに元に戻される。いや、それ以上のマイナスを被ることになる。まさに「やらせ」がばれれば、現在でもテレビで視聴率が落ちたり信用がなくなるのと同じで「噂を使わなければならないほどひどい店だったのか」というような評価になってしまうのである。
さて、そのような人間の感情はSNSの時代でも変わらない、つまり、SNSで店を宣伝したりその宣伝マンを自称するインフルエンサーという人々が、この記事のように金で人を雇い、まったく意味がない数字で勝負していることは十分に考えられるのである。
ある読者モデルは、
「フォロワー1万人を6000円ぐらいで買いました」
「3か月ごとに買ってます。有名な先輩たちもやっているので」
と証言した。水増し分は徐々に減るため、追加購入する必要があるのだ。<上記より抜粋>
これらの行為は「信用を金で買う」というだけのことであり、実際には、それだけのフォロワーがいないにも関わらず、その数字を不当に得ていることになるので、基本的にはあまり良いものではない。ましてやそこに「販売促進の金銭が絡んでいる」といことになれば、悪質でなおかつ場合によっては「詐欺」に当たることになる。
しかし、「素人に『うまい』といわれて喜んでいるレベルの人々」にとっては、このレベルのことで十分に自己満足が得られる。単純に作られた数字でありながら、その自分で作った数字に酔ってしまい、なおかつその内容を忘れてしまったかのように、承認欲求が満たされた満足感で終わってしまうのである。まあ、日本人は自分でごまかしで使った数字や言葉にいつの間にか自分で酔ってしまうことがあるので、この人々だけが何か問題があるというものではないが、人間の信用やフォロワーという内容の信用があまりにも軽薄に扱われているのではないか。もっと言えば、「人間の信用を甘く見すぎている」という気がする。
このような状況になっても「自分は素人だから」などという言い訳をするので、はっきり言って、金をもらっておきながら素人と自称するなど、世の中を馬鹿にしすぎではないかという気がする。そして、本当にそのような数字を持っている人々の信用屋業界全体の信用を著しく棄損しているのである。
誰でもがプロになれるのではなく、このような技術やSNSの時代だからこそ「本物」が求められるのではないだろうか。