北里柴三郎ってどんな人?『怒濤』連載コラム 後編
④そしてドイツへ〜世界の北里柴三郎〜
さて、中編でご紹介した通り、こうして柴三郎は乕を日本へ置いたままドイツへ旅立ったのでした。
ドイツへ到着すると、かの有名なローベルト・コッホが待っていました。
コッホはドイツの医師、細菌学者で、『近代細菌学の開祖』と言われています。
(ローベルト・コッホ)
炭疽菌に始まり、化膿菌、結核菌、コレラ菌と当時世界中で恐れられていた菌を次々と発見しました。
柴三郎が長崎のコレラについて書いた論文も、コッホ先生の論文を元に実験をしています。
柴三郎にとってコッホ先生は、最も弟子入りを望んでいた偉大な先生でした。
コッホ先生は柴三郎に様々な研究テーマを与え、実験させました。
柴三郎の才能をすぐに見抜き、当時コッホ先生自身にとっても大きな研究テーマであったコレラの感染経路、予防に関するテーマをたくさん与えました。
今でこそコレラは伝染病だと知られ、予防には公衆衛生の徹底と汚染飲料水の排除が必要だと理解されてますが、
当時はコレラが土壌を介して拡散するとか、精神性的胃腸カタルだとか様々な説がありました。
柴三郎の実験によってコレラ菌の培養や消毒について多くの知見が得られたのです。
(コレラ菌の研究の成果を上げたコッホと北里)
コレラに熱中すること3年、すでに北里の任期満了の日が迫っていました。
優秀な部下を手放したくなかったコッホ先生は日本に柴三郎の留学延期願と推薦文を書いて送り、なんとか留学期間を2年延長してもらうことに成功します。
国の留学期限に逆らって、延長してもらうなど当時はあり得ないことでした。
いかに柴三郎が優秀であり、コッホが柴三郎を気に入っていたかよく分かるエピソードですね。
さて、延長された2年間で柴三郎が取り掛かった研究は『破傷風菌』でした。これは柴三郎の功績の中でも一番有名ですね。
この破傷風という菌は、どの研究者が実験しても純粋培養ができず、特殊な菌だと考えられていました。
そこに疑問を抱いた柴三郎は純粋培養に挑戦します。
何度も試行錯誤を重ねた結果、
破傷風菌は空気を嫌う菌だということがわかり、無酸素状態で実験をし見事培養に成功しました。
世界中で誰一人できなかった破傷風菌の純粋培養を成し遂げたのです。
(度々の留学期間延長を待ち続けた妻・乕)
しかし、ここで柴三郎は終わりません。
破傷風菌を用いて、それぞれの動物に対する毒素の致死量を調べ、致死量よりかなり薄めた毒素を反復して注射すると、その動物に後日致死量以上の毒を注射しても何ら症状が出ないことを突き止めました。
この現象は、ただの『慣れ』ではなく、
『血液の中に何かしら毒素に対抗する物質ができるのではないか』と考えついたことが柴三郎の天才的な部分なのです。
この抗毒素を血液から取り出して、病にかかっている人に注射すれば、その病気が治るというわけです。
これが今日の血清療法につながります。
新時代を生きる私たちが、柴三郎の不断の努力によって大病を治療する術を持つというのは、本当にありがたいことです。
この世界的大発見はのちにジフテリアにも応用され、柴三郎はノーベル賞の候補にもあがります。
こうしてさらに結核の治療薬・ツベルクリンの研究をするためにまた留学を1年延長、晴れて6年ぶりに日本へ帰国し、妻と再会したのでした。
(北里はドイツで多くの功績を残しました。)
…ここから『怒濤』の物語は始まります。
日本の医学のために人生を捧げた北里柴三郎。
この後の彼の人生は一体どうなっていくのか。コレラ、脚気、破傷風、結核ときて次はどんな病原菌と戦うのか。
この先は舞台の上でお目にかけたいと思います!お楽しみに。
文・田村真央
絵・風間き理
【参考文献】
中公文庫 山崎光夫著 『北里柴三郎』雷と呼ばれた男 上下巻
学校法人 北里研究所 北里柴三郎 -伝染病の征圧は私の使命-
ポプラ社 コミック版世界の伝記 北里柴三郎
文学座附属演劇研究所
2019年度研修科第1回発表会『怒濤』
は、
6/7(金)~6/9(日) 文学座アトリエ
にて上演されます。
キャンセル分のチケット再販が決定いたしました!
6/5(水)19:00より、Web予約でのみ受け付け開始いたします。
満席となり次第予約が締め切られますので、お早目のご予約をお勧めいたします。