トリの話しbaのこと① 〜始めるまで
2012年の7月『トリの話しba』(以下:話しba)はスタートしました。
これは小谷デザインオフィスではなく、小谷真之介個人での取り組みです。
今年で4年目であり、今月3/21(月・祝)の回で話しbaも40回目を迎えます。
そんな節目の回で、鳥取市と共催できることとなりました。
これは自分にとっても話しbaにとっても意義深いことなので、
筆が重いのだけど、書いておこうと思います。
まず今回は、話しbaを始めるまでのことや時代背景を少し。
2009年末27歳の時に8年過ごした東京から鳥取にUターンした頃は、
SNSはまだmixiが強く、Twitterが全国でもやっと普及し始めてた頃でした。
facebookは全然これから。
Uターンしたはいいけど、高校卒業と同時に上京したので、
地元の知り合いといえば、家族&親戚と、小・中・高の友人ぐらい。
でも、ずっと鳥取で生活していた友人達は、結婚してたり子どもが出来てたり、
興味あることが限定的だったりと、何だか話していても価値観が噛み合わないことも。
そうなった時、この鳥取で今の自分の価値観と合う人をどうやって探せばいいんだろう?
と思って考えてみた時、どうすればいいのかよくわからなかったのです。
とりあえず、少ないながらもTwitterで鳥取人&同世代の人をフォローしてみたり、
異業種交流会や、セミナーに参加したりしてみたり、カフェに一人で行ってみたりしました。
ただ、異業種交流会は基本ビジネスしてる人しか来ないし、セミナーは学び目的で交流機会は少ない。
カフェは友人同士のおしゃべりする場なので、一人で行ったところで知らない人と話せるわけでもない。
気軽に、普段会わない人と話せたりする場や機会を街に見つけられなかったのです・・・
同時に、Uターン前からドキュメンタリー映画を観たり、「ソトコト」や「クーリエ」といった経済誌を読み始めていました。
都市圏では、スローライフ、LOHASというキーワードで、健康的なことや、持続可能型社会を提案する動きが加速していた頃です。
そして、まちおこしや、地域、自給自足、ソーシャル、コミュニティといった言葉を多く目にすることが増えたいったのもこの時期だったように思います。
2006年に立ち上がったソーシャルグッドなことを紹介するWEBマガジン「greenz」も存在感を強めていました。
Uターンしてからの1年は、時間を持て余していたので上記のような媒体や、
キーワードの本を図書館で読み漁りつつも、自分に出来ることって何だろう?と考えていました。
そんな時、2011年3月東北地方太平洋沖地震が発生。
安全って何だろう?
本当の幸せって?
信用できる情報とは?
これからの暮らしや生き方は?
等、いろんな事が頭をめぐり、今までの価値観は津波とともに壊れて流されていきました。
日本全体が方向性を見失う中、タイムリーに2011年5月頃『幸せの経済学』というドキュメンタリー映画が公開されます。
鳥取で上映される場所を探していたところ、大山の”だちょう観光農園”で、星空の下で上映するという企画があることを知り、
企画者に会ってみたいと飛び込んでみたことから思わぬ展開がありました。
この時はだちょうはいなくて、羊だけ。
ツリーハウスがあったり。
シーツをスクリーンに上映し、焚き火を囲い感想シェアタイム。
企画者は、得田 優 氏(得やん)で石川県出身の移住者。
(現在は倉吉・関金で自然がっこう「旅をする木」を運営・話しba 22回目トークゲスト)
そこで得やんに「今度移住者が集まる会があるから来ない?」と誘われ、参加したのが、
三朝のドードー食堂(現在は閉店)で開催された、3回目の『IJUサミット』でした。
鳥取への移住者や、Uターン者が集まった30名程の参加者の中には、現在『赤まる牛肉店』代表の鳥飼さんや、
『汽水空港』店主の森くん、『ハンター民宿 BA-BAR』を営む梅ちゃん等、個性豊かなメンバーが集結。
移住者やUターン者同士なので、話しも盛り上がり鳥取にもこんな人達が居たのかと嬉しくなったのを覚えています。
そして、IJUサミットの主催の一人である福井恒美さんに、ちょっとネーミングが大げさなので、『IJUcafe』(いじゅうかふぇ)ぐらいにしませんか?と改名を提案。
その日から主催側に入り、ロゴも作り『IJUcafe』を1年ほど運営していくことになります。
初期の主催メンバーは中部の福井さん、得やん、福永さん、そして西部からは吉澤さん(ヨッシー)、東部は自分。
IJUcafeは当初、夜開催の飲み会やセミナーからスタートしたけど、
東・中・西部全域から参加者を募ったので、自然と昼間に楽しめる内容の企画へ。
倉吉公民館で映画上映&ワークショップをしたり、北栄町の浜辺のキャンプ場で持ち寄りBBQや、日南町でカフェ開業を目指す移住者の手助けのため DIY企画をしてみたり、
陶芸&餅つきや、伝統工芸のイカ(凧)作り、
トークショーを企画したりと、
開催場所や、内容も毎回変えて主催側も参加者も鳥取の魅力を再発見し開催していました。
そんな中で、移住者同士の繋がりが深まったり、別のイベントや仕事が生まれたり、
何より、集まる方の価値観が多様で、様々な気づきや、情報、知恵、価値観が交換されることがとても刺激的でした。
東京では業種は多いけど、求める生活の価値観やベクトルは似通っていたように思います。
鳥取のような地方の方が多様性はあると感じました。
ただ、"IJUcafe"というプロジェクト名だけあって、参加者は移住者に偏りがちで、
口コミでの広がりも限界があり、徐々に参加者の新陳代謝が少なくなっていったのです。
まだfacebookも普及してなかったので、開催告知はメーリングリスト頼りだったのもある。
また、どうしても中部での開催がメインとなり、東部西部メンバーの打ち合わせ等の負担も大きく、毎回の企画を考えることや、開催調整に時間がかかりました。
そして、主催メンバーもそれぞれにやりたいことが出来てきたため、
IJUcafeの継続&発展は福井さん夫妻が。
得やんは自然学校設立に向け準備へ。
福永さんは本職へ専念。
ヨッシーは、大山を拠点とした活動へ徐々にシフト。
そして、自分は予々、鳥取市でも多様な人と出会える場を創りたいと思っていたので、その準備に取り掛かることに・・
と、ここまでが、2012年春までのこと。