ZIPANG-3 TOKIO 2020 記念物100年「文化庁 史蹟名勝天然記念物保存法100周年」のご案内
はじめに 記事をお届けするに当たり、先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
平城宮跡「大極殿」奈良県 夏 燈花会
奈良時代の日本の首都「平城京」の北端部に造営された宮殿の遺跡です。元明天皇の和銅3年(710)から桓武天皇の延暦3年(784)までの約70年間、八代の天皇の宮となり、天平文化繁栄の舞台となりました。宮の規模は約1㎞四方の区画とその東側の張り出し部(東院 )からなり、正門である朱雀門をはじめとする宮城門が開いていました。天皇が儀式や政務を執り行った大極殿は、奈良時代前半は中央区に、同後半は東区に建てられ、政務や饗宴の場となった朝堂院は中央区・東区双方にあり、その周囲には式部省や兵部省等の曹司(ぞうし) 群が置かれました。東院では庭園が見つかっています。多数の遺物が出土し、特に木簡は当時の生の文字史料として貴重です。
世界文化遺産「古都奈良の文化財」(平成10年記載)の構成資産の一つです。
毛越寺浄土庭園
毛越寺常行堂・法華堂跡
毛越寺 ご本尊薬師如来様の前で早朝坐禅会
毛越寺
浄土庭園とは仏堂と苑池とが一体として配された庭園で、毛越寺では北に塔山と呼ばれる小山を背景として、広々とした苑地美観が展開します。
大泉が池は浄水をたたえ、その周辺には、州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、枯山水風の築山といった石組みや、池に水を引き入れる遣水など、自然の景観が表されています。
日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園として、800有余年を経た現在も、四囲の樹木の景観と相まって、なお変わらぬ美しさを見せています。
「特別史跡」・「特別名勝」と、その文化価値を国から二重に指定されている毛越寺。
境内には平安時代の堂塔伽藍を偲ばせる、礎石等の遺構が多数残っています。
また、大泉が池を中心とした庭園も、平安時代の優美な作庭造園の形状を如実にとどめており、日本庭園史上にも特に貴重な遺構として、発掘調査が行われ、旧観に復されています。
北海道 冬の五稜郭 五稜郭タワーからの眺め
徳川幕府が200年以上にわたって行っていた「鎖国政策」は、嘉永6年(1853)のアメリカ合衆国からのペリー艦隊の来航、いわゆる「黒船来航」によって崩れ去りました。巨大な蒸気軍艦の威容を背景にしたアメリカ側の開国要求に屈し、アメリカ大統領からの親書を受け取った幕府は、翌安政元年(1854)、食糧・薪水などの欠乏品の補給や遭難民の保護・引き渡しを保障する「日米和親条約」を締結し、伊豆の下田と蝦夷地の箱館(江戸時代まで、「函館」は「箱館」と表記されていた)を「開港場」とし、同年、アメリカに続いてイギリス、ロシアとも同様の和親条約を締結。
開港を前にした徳川幕府は、開港場となる箱館での外国との交渉や蝦夷地の防衛などを担当する「箱館奉行」を配置したが、その役所や役宅が密集した市街地にあることや港に近く寒気が厳しいなどの生活環境、並びに上陸した外国人による市街地の遊歩に伴い役所が見透かされるといった幕府の威厳の問題、そして港に至近の位置のため艦船からの標的になりやすいといった防衛上の危機感などの理由から、役所、役宅ともに内陸の平坦地へ移転させることとなりました。移転に際しては、四方に土塁を巡らした中に役所を建設し、附近の河川から水流を引き込み周囲を水堀で囲む形態が計画されたのでした。
当時、箱館には、幕府による蝦夷地巡検に同行し、その後、箱館奉行の支配下となった「蘭学者」武田斐三郎が在勤していたが、幕府は、移転計画にある役所の外郭施設である土塁の設計を武田に命じ、武田は箱館に入港していたフランス軍艦の軍人からの情報・教授をもとに、ヨーロッパで発達した「城郭都市」をモデルとした土塁を設計。これは、近世ヨーロッパに於いて銃や大砲などの火器の発達に対抗するために考案された土木技術で、武田は、フランス軍人からの助言に独自の工夫も加えたのです。
安政4年(1857)に着工した築造工事は、堀・石垣などの土木工事、附近の河川から水流を引き込むための治水工事、土塁内への役所や附属施設の建築、土塁北側一帯への役宅の建築などが進められ、ほぼ工事が完成した元治元年(1864)、箱館山の山麓市街地にある旧役所が移転し、「箱館御役所」(通称「箱館奉行所」)として蝦夷地の政治を担う場所となった。現在、一般的に使われている「五稜郭」という呼称は、近世ヨーロッパ式城郭に特徴的な構造である「稜堡」が五か所設置されている五稜星形の平面形状からの通称であり、また、当時の築造場所の地名「柳野」から「柳野城」という別称もあったのでした。
※ 赤丸 № は、特別史跡
※ 特別名勝(特名)、特別天然記念物(特天)との重複指定の場合、
指定年月日にその旨記載。
「記念物100年」について
趣旨
「記念物」(史跡名勝天然記念物)保護の取組が始まってから,令和元年で100年を迎える(史蹟名勝天然紀念物保存法成立施行(大正8年6月1日)から100年)。文化庁では,この節目に当たって,『発掘された日本列島展2019』において「記念物100年」の特集展示を行います。また,広く国民に「記念物」について改めて周知し,その保護の重要性について理解してもらうため,3年間(令和元年度~3年度)にわたって「記念物100年」事業を実施予定。これまで100年間,どのような形で保護が図られてきたかを振り返りながら,多様性豊かな「記念物」のこれからの100年に向けた保護の取組の形を創造していくものです。
実施事業内容(令和元年5月28日現在)
キックオフイベントの開催
『発掘された日本列島展2019』における「記念物100年」の特集展示
地方公共団体との共催による「記念物100年」参加事業の実施(準備中)
史跡名勝天然記念物を活用した民間事業者とのコラボレーション事業の実施(準備中)
記念物とは
記念物とは※
史跡とは(準備中)
名勝とは(準備中)
天然記念物とは(準備中)
※記念物とは以下の文化財の総称です。
1.貝塚,古墳,都城跡,城跡旧宅等の遺跡で我が国にとって歴史上または学術上価値の高いもの
2.庭園,橋梁,峡谷,海浜,山岳等の名勝地で我が国にとって芸術上または鑑賞上価値の高いもの
3.動物,植物及び地質鉱物で我が国にとって学術上価値の高いもの
国は,これらの記念物のうち重要なものをこの種類に従って,「史跡」,「名勝」,「天然記念物」に指定し,これらの保護を図っています。そのうち特に重要なものについては,それぞれ「特別史跡」,「特別名勝」,「特別天然記念物」に指定しています。
史跡等に指定されたものについては,現状を変更し,あるいはその保存に影響を及ぼす行為をしようとする場合,文化財保護法により,文化庁長官の許可を要することとされています。規制により財産権につき一定限度を超える損失を生じた場合には補償を要することとされているが,通例,地方公共団体が国庫補助を受けてその土地等を買い取ることにより実質的な補償に配慮しています。また,史跡等の活用を広く図るため,国庫補助によりその整備を行っています。
高梨氏館跡
高梨氏館跡は、長野県の北東部に位置し、長野盆地の北端、南西に向かって発達する中野扇状地の扇央部の東端、標高約380mの平地に立地する、15世紀中頃から16世紀末の方形居館跡です。館跡の約1km東側の山地には、標高688mの頂部を中心に郭、空堀が展開する鴨ヶ嶺城跡、鎌ヶ嶺城跡があります。
館跡は東西約130m、南北約100mの規模で、四方に土塁と堀が巡る、北信地方で最大規模の館跡です。昭和61年から平成4年にかけて実施した、公園整備に伴う発掘調査によって、門跡1棟、礎石建物跡5棟、掘立柱建物跡7棟、庭園跡が検出され、遺存状態は良好。土塁は幅約10m、高さは1mから3m。堀は幅約10m、深さ3mで、断面形はV字状を呈しています。
方形館跡に伴う庭園遺構は長野県内で唯一の事例です。東西約8m、南北約6mの規模で、池の汀は岩および川原石、滝口は3個の立石で構成されています。川原石を用いた洲浜状の遺構も認められた。池の中央にはやや大きめの岩が3個配されており、中島を形成していた可能性もあり、給排水に関する明確な遺構が確認されなかったことから、枯山水様式であったと推定されています。
館跡内部の発掘調査は最終遺構面の調査にとどめたが、土塁の断割り調査によって、①築地塀、②版築状の土塁、③版築状土塁を土砂で覆った土塁、の少なくとも3段階の変遷過程が確認。出土遺物の年代幅は、14世紀後半から16世紀末までの約250年間です。現在の方形館跡とは別の形態の高梨氏以前の段階から始まり、15世紀中頃から方形館の形態で3段階の変遷をたどった。
高梨氏は、平安末期に始まる頼季流信濃源氏の北信地方の有力な武士団で、14世紀末には善光寺周辺を本拠地としていました。その後徐々に北進し、15世紀中頃には中野地方に進出。以後、越後の上杉氏、長尾氏との関係を強め、中野市を中心とする一帯に勢力を扶植。16世紀中頃に甲斐武田氏の勢力が北信地方に及ぶと、高梨氏も上杉氏を頼り、越後に退去したのです。16世紀末に北信地方が上杉景勝領になると、高梨氏も本領の一部を回復。慶長3年(1598)の上杉景勝の会津に移封に伴い、高梨氏も会津へ移り、館は廃絶。
高梨氏の庶流に、16世紀後半に東海地方に移り、尾張藩士となった尾張高梨氏があります。17世紀後半に、高梨氏の旧譜代家臣と伝える畦上六兵衛らが、尾張高梨氏に館跡を献上。以後、館跡は同氏の管理するところとなり、同氏は明治9年(1876)に館跡に移住。昭和61年に館跡が同氏から中野市に寄贈され、平成3年には居宅部分も寄贈。中野市は平成5年から13年にかけて、発掘調査等の成果に基づいて、史跡公園整備を実施し、13年11月から公開活用しています。
高梨氏館跡は、北信地方を代表する有力国人領主の本拠地の大規模な方形館跡であり、枯山水様式の庭園を持ち、3段階以上の土塁の変遷過程が把握された極めて重要な城館遺跡です。よって史跡に指定、保護されています。
男神岩・女神岩・鳥越山
北上高地の北部に水源を発し、北流して太平洋へと注ぐ馬渕川は、岩手県二戸市と一戸町の境界付近において支流である安比川と合流しています。その沿岸は、川の左右から丘陵が迫り、断崖と渓流・淵などから成る美しい峡谷地形を成しています。
この峡谷地形は「馬仙峡」と呼ばれ、左岸の急傾斜面に約280mの間隔で男神岩と女神岩が屹立し、直下の明神ヶ淵や大淵などを挟んで対岸に鳥越山(標高375.1m)がなだらかな山容を見せて広がっています。男神岩・女神岩の周辺の地域は安山岩から成り、爆発を繰り返しつつ隆起した海底火山の火口の一部が残存したものと考えられています。また、鳥越山の頂上付近の南面崖地には、火成岩の脆弱な部分が空洞化して形成された洞穴があり、内部に観音像が祀られて糠部三十三所観音巡礼の札所として今なお多くの参詣者の崇敬を集めています。
補足
このように、男神岩・女神岩・鳥越山は馬淵川沿岸における独特の地形・地質を表し、特に男神岩・女神岩は夫婦岩にも準えられ、男神・女神にまつわる伝説を生んみ、その観賞上の価値は高い。
男神岩・女神岩・鳥越山は岩手県最北部の二戸市と一戸町との境界付近に位置しています。
馬淵川とその支流の安比川との合流点近くにあり、東岸で東西に連なっているのが鳥越山、西岸で川に面しているのが男神岩、女神岩です。
その独特の景観から観賞上の価値を認められ平成18年7月28日に国指定名勝に指定されました。
この付近の地形は安山岩から成り、爆発の繰り返しにより隆起した海底火山の火口の一部が残存したものと考えられています。
岩手県内では「厳美渓」「毛越寺庭園」「高田松原」など6件の国指定名勝がありますが、県央から県南に限られており、県北では初めての指定となっています。
万之瀬川河口域のハマボウ群落及び干潟生物群集
指定予定地は万之瀬川河口から約1.5km上流の左岸、準用河川荒田川が万之瀬川に注ぐ合流地点から万之瀬川左岸沿いに約1km上流まで、幅約100mの範囲です。万之瀬川は南さつま市北部に位置する薩摩半島最大の河川で、鹿児島市の山地に源を発し、東シナ海の吹上浜海岸に至る二級河川です。延長は36kmと短いものの流域は薩摩半島南部に広がり、流域面積は381k平方メートルとなっています。河口域では川幅が400mほどにもなり、南九州で最大規模の河口干潟が発達しています。
指定予定地周辺から上流にかけては泥質や砂泥質の干潟がよく発達。万之瀬川左岸沿いにある石積護岸付近の泥質干潟を中心に、ハマボウが1km以上にわたり1000株以上が生育し、日本最大規模の群落を形成しています。中州近くの砂泥質の干潟付近では疎らになり、アイアシやナガミノオニシバなどからなる塩沼地植生が広がり、砂質の部分ではハマゴウやコウボウムギなどの砂丘植生も発達しています。
ハマボウはアオイ科に属する落葉低木で、樹高2~5mに達し地際から屈曲した幹を多く出して大きな株をつくります。7月前後に直径5cmほどの黄色い美しい花を咲かせるが、一日花で朝に咲いて夜にはしぼんでしまう。分布は関東南部(三浦半島)以西の本州西部、四国、九州で、本州では太平洋側が中心となり、日本海側では山口県が北限となります。九州には広く分布しており、南限は奄美大島です。奄美大島以南から沖縄にかけては近縁種で常緑のオオハマボウが分布しており、かつては北限に近い静岡県や三重県、和歌山県などの本州にも大きな群落が発達していたものの、護岸工事や埋立などにより生育地が失われ、近年では絶滅が危惧される群落の一つに挙げられています。
さらにハマボウ群落周辺の干潟には、日本最大規模の生息地として知られるハクセンシオマネキをはじめとして、コメツキガ二、チゴガニなどのカニ類が群生し、河口付近では自然分布のハマグリの南限個体群、イソシジミ、ソトオリガイ、ハザクラガイ、ヤマトシジミなどの二枚貝も多く、地元の人々の漁獲対象となっているものも多い。これらの二枚貝の殻中にはフタハピンノという小型のカニが共生しており、フタハピンノの数少ない健在産地となっています。それ以外にも、多毛類・貧毛類などの環形動物、紐形動物、腹足類、甲殻類など多くの干潟生物が生息。これらの干潟動物を餌として、渡り鳥をはじめとした鳥類の重要な生息地にもなっています。クロツラヘラサギなどの希少種を含めこれまでに130種以上の野鳥が確認されています。
対象地はハマボウ群落が群生する地域ほぼ全域を含んでいます。万之瀬川河口の干潟地域の中では、底質が泥質から砂質までにわたり、塩沼地植生、砂丘植生を含み、多くの干潟動物が生息。動植物の多様性が高い地域であります。 このように、最大規模のハマボウ群落やハクセンシオマネキ群集が発達し、多様な干潟生物が成育する地域として学術的価値が高いことから、天然記念物として指定し保護が図られています。
キックオフイベントの開催
「発掘された日本列島2019」展の開催のお知らせ
1 趣旨
全国で毎年約8,000件を超える発掘調査が実施されておりますが,国民がその成果に実際に触れる機会は,極めて限られています。このため,平成7年度から,近年発掘され特に注目された出土品を中心とした展示を構成し,全国を巡回することにより,国民が埋蔵文化財に親しみ,その保護の重要性に関する理解を深めることを目的として始めました。今回で第25回となります。
2 主催
文化庁,東京都江戸東京博物館,花巻市博物館,三内丸山遺跡センター,名古屋市博物館,大野城心のふるさと館,全国新聞社事業協議会,東京新聞,岩手日報社,東奥日報社, 中日新聞社,西日本新聞社
3 協力
全国公立埋蔵文化財センター連絡協議会,全国埋蔵文化財法人連絡協議会,公益財団法人元興寺文化財研究所,共同通信社
4 後援
全国史跡整備市町村協議会
5 会場及び会期
東京都江戸東京博物館 令和元年6月1日(土)~令和元年7月21日(日)
花巻市博物館 令和元年8月2日(金)~令和元年9月10日(火)
三内丸山遺跡センター 令和元年9月21日(土)~令和元年11月4日(月・休)
名古屋市博物館 令和元年11月16日(土)~令和元年12月28日(土)
大野城心のふるさと館 令和2年1月18日(土)~令和2年2月26日(水)
6 展示内容
(1)新発見考古速報展
(2)特集1福島の復旧・復興と埋蔵文化財
(2)特集2記念物100年
7 展示図録
『発掘された日本列島2019新発見考古速報』文化庁編共同通信社発行
記念物100年事業キックオフイベントについて
<概要> 3名による対談
日 時:6月1日(土)10:30~11:30
場 所:東京都江戸東京博物館 5階常設展示室 中村座前
出演者:
佐藤 信
(東京大学名誉教授・人間文化研究機構理事・博士(文学))
1952年東京生まれ。1976年東京大学文学部卒業。1978年東京大学大学院人文
科学研究科博士課程中退。奈良国立文化財研究所研究員,文化庁文化財調査官,聖心女子
大学文学部助教授,東京大学文学部助教授をへて,1996年東京大学大学院人文社会系
研究科教授となる。2018年東京大学を定年退職,現職となる。
著書に,『出土史料の古代史』東京大学出版会,2002年,『律令国家と天平文化』(日本
の時代史4)吉川弘文館,2002年,『古代の地方官衙と社会』山川出版社,2007年,
『大学の日本史①古代』山川出版社,2016年,『古代史講義』ちくま新書,2018年,
など。
葦木ヒロカ
(シンガー・アーティスト・長和町黒曜石のふるさと親善大使・茅野市縄文ふるさと大使)
長野県を拠点に活動するシンガー(ソングライター)。「歴史を癒す」をテーマに全国の歴史遺産・遺跡コンサートに力を入れている。また,「歌姫たちをつなぎ応援をする歌姫」とし
ての活動を活発に行っている。活動15周年に当たる2018年は2つのクラウドファンディングプロジェクトを成功させた。現在,アジア・世界をまたにかけるグローバルで常識にとらわれない音楽プロジェクトを推進中。
宮田 亮平
(文化庁長官・金工作家)
新潟県佐渡に蝋型鋳金作家の2代目宮田藍堂の3男として生まれる。イルカをモチーフと
した「シュプリンゲン」シリーズなどの作品で,「宮田亮平展」をはじめとして,国内外で
多数の展覧会に参加。「日展」及び「日本現代工芸美術展」にて内閣総理大臣賞など数々の
賞を受賞し,2012年に日本芸術院賞を受賞。東京藝術大学の学長を10年務めた後,
2016年4月より文化庁長官に就任。
※3名による対談が中心。対談の前後に,史跡などをフィールドとして活動を続
ける葦木ヒロカさんの歌を挟みます。
今回の100周年記念事業は、なんと令和元年~3年にわたって「記念物100年」と題し事業が展開されます。これからの日本文化の礎となる、一体どんな文化的イベントが開催されるのか楽しみに致しましょう。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
天台宗 別格本山 毛越寺
〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58 TEL:0191-46-2331
五稜郭タワー 〒040-0001 北海道函館市五稜郭町43-9 TEL 0138-51-4785
文化庁〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話(代表)03(5253)4111
文部科学省 〒100-8959 東京都千代田区霞が関三丁目2番2号 電話 03-5253-4111(代表)
経済産業省〒100-8901 東京都千代田区霞が関1-3-1 代表電話 03-3501-1511
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