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青川素丸 表参道の父

中国最古の農事暦~「夏小正」

2019.05.27 15:45

~『夏小正』の新解釈~

 中国《大戴礼記(だたいらいき)》という書の一篇に「夏小正(かしょうせい)」があります。大戴礼(だいたいれい)は漢代に、戴徳(たいとく)によって古い礼(儀)についての記述(古文記204篇)がまとめたものですが、その中の「夏小正」は12ヶ月の時候を動植物によって表した庶民の農業暦で、夏暦(かれき)とも呼ばれます。書かれた時代は不明ですが(春秋時代「詩経(しきょう)」より古いと言われています。)、夏代の暦を記したものと伝えられます。 

 その真偽はさておいても古人が暦に高い関心を寄せていたことを感じさせます。夏暦は、月の朔望で一ヶ月を測ったり、1年=12ヶ月、閏年を13ヶ月、大月を30日、小月は29日とする方法も備わっており、後に述べる太陰太陽暦の原型が太古に既に出来上がっていたことを窺える資料です。その他、古い農業暦には「月令(がつりょう)」、詩経の「国風(こくふう)・豳風(ひんぷう)」に収められた「七月」などがあります。


【原文】

1.夏小生:正月:

啟蟄。言始發蟄也。

雁北鄉。先言雁而後言鄉者,何也?見雁而後數其鄉也。鄉者,何也?鄉其居也,雁以北方為居。何以謂之居?生且長焉爾。“九月遰鴻雁”,先言遰而後言鴻雁,何也?見遰而後數之,則鴻雁也。何不謂南鄉也?曰:非其居也,故不謂南鄉。記鴻雁之遰也,如不記其鄉,何也?曰:鴻不必當小正之遰者也。

雉震呴。震也者,鳴也。呴也者,鼓其翼也。正月必雷,雷不必聞,惟雉為必聞。何以謂之雷?則雉震呴,相識以雷。

魚陟負冰。陟,升也。負冰云者,言解蟄也。

農緯厥耒。緯,束也。束其耒云爾者,用是見君之亦有耒也。

初歲祭耒始用骝。初歲祭耒,始用骝也。骝也者,終歲之用祭也。其曰“初”云爾者,言是月始用之也。初者,始也。或曰:祭韭也。

囿有見韭。囿也者,園之燕者也。

時有俊風。俊者,大也。大風,南風也。何大於南風也?曰:合冰必於南風,解冰必於南風;生必於南風,收必於南風;故大之也。

寒日滌凍塗。滌也者,變也,變而煖也。凍塗也者,凍下而澤上多也。

田鼠出。田鼠者,嗛鼠也,記時也。

農率均田。率者,循也。均田者,始除田也,言農夫急除田也。

獺獻魚。獺祭魚,其必與之獻,何也?曰:非其類也。祭也者,得多也,善其祭而後食之。“十月豺祭獸”,謂之“祭”;“獺祭魚”,謂之“獻”;何也?豺祭其類,獺祭非其類,故謂之“獻”,大之也。

鷹則為鳩。鷹也者,其殺之時也。鳩也者,非其殺之時也。善變而之仁也,故其言之也,曰“則”,盡其辭也。

農及雪澤。言雪澤之無高下也。

初服於公田。古有公田焉者。古者先服公田,而後服其田也。

采芸。為廟采也。

鞠則見。鞠者何?星名也。鞠則見者,歲再見爾。

初昏參中。蓋記時也云。

斗柄縣在下。言斗柄者,所以著參之中也。

柳稊。稊也者,發孚也。

梅、杏、杝桃則華。杝桃,山桃也。

緹縞。縞也者,莎隨也。緹也者,其實也。先言緹而後言縞,何也?緹先見者也。何以謂之?小正以著名也。

雞桴粥。粥也者,相粥之時也。或曰:桴,嫗伏也。粥,養也。

【新釈】

●夏小生:正月:

▽啓蟄(蟄(ちつ)を啓(ひら)く)。これは「始めて蟄を発(ひら)く」の意味です。※蟄=土中での虫の冬籠り。

▽鴈(かり)が北に郷(むか)います。先に雁を言い、後に郷を言うのはなぜか?雁を見てから、その郷を数(はか)るからです。郷とは何か?その居が郷です。雁は北方を以って自分の居とします。どうしてそこを居と言うのか?雁がそこで生まれ育った所だからです。「九月に遰(ゆ)く鴻雁(大きい雁)」は先に遰くと言い、後に鴻雁と言うはなぜか?9月に遰くのを見て後に、これを数(はか=慮)れば、則ち鴻雁だったからです。では、なぜ南へ郷って行くとは言わないのか?郷う先が居でないからです。だから南に郷うとは言わないのです。鴻雁が遰くと記しているが、郷うと記さないのはどうしてか?鴻雁は必ずしも夏小正に記すように遰く訳ではないからです。

▽雉(きじ)が震呴(しんく)し(=けたたましく鳴き)ます。震は声高に鳴くことです。呴(く・はうつ)とはその翼を鼓(う)つように鳴くことです。正月に決まって雷がありますが、雷鳴が必ずしも聞こえる訳ではありません。ただ雉には必ず雷が聞こえます。どうしてそう言えるのか?雉の震呴の音の振動と、雷鳴の振動とは同じようなものであり、雉はその両方を相(あい)識(し)ることができるからです。

▽魚がこの季節、川を陟(のぼ)ることを氷を背負って泳ぐと言います。陟(ちょく)は升(のぼ)るの意味です。氷を背負うとは、冬眠から目覚めて蟄を解くことを指します。

▽農耕に用いる耒(すき)を緯(い)す。緯すとは、束(たば)ねる意味で、耒を束ねます。これが用いられるのは、君(=天子)が耒で田を耕し治める農耕の儀礼があるからです。

▽初歳に耒を祭り、(栗毛)馬を用い始めます。これは歳の初め耒を祭り、馬を用い始めることを意味します。馬は終歳の祭りに用いた馬でもあります。これを「初」と言うのは月の始めに馬を用い始めるからです。初は始と同義です。或いは韭(きう=ニラ)を祭ります。

▽囿(いう=園)に韭を見つけます。囿とは安らかな園の意味です。

▽時に俊風があります。俊は大の意味です。大風とは南風です。なぜ南風を大と表すのか?氷を張らせるのは必ず南風です。氷を解くのも必ず南風です。つまり、生じるも収めるのも必ず南風によるのです。故に大と言います。

▽寒日(寒い冬の日差し)は凍塗(とうと)を滌(あら)います。滌(でき)は、変を意味します。変じて煖めます。凍塗は地下が凍り、地上は潤い塗(ぬかる)むことが多いのです。

▽田鼠(でんそ)が出ます。田鼠は嗛(けん=頬袋を持つ)鼠です。これが(祭りの)時を記す(表す)のです。

▽農は率(したが)って田を均(なら)す。率は循と同じで、順(したが)うの意です。均田は始めて田を除(のぞ)く(=田を耕し均し除草する)意味です。農夫が忙しく田を均す様です。

▽獺(かわうそ)の魚を献じます。獺が獲った魚を祭ります。必ずこの献に与(あずか)るとはどういうことなのか?それはこうです。その生物の類を異にすることによります。祭は得るものが多いです。祭を善(よ)くして後これを食します。十月に豺(やまいぬ)が獲った獸を祭ります。これを祭と言います。獺が獲った魚を祭るを献と言うのはなぜか?豺はその類を祭り、獺はその類を祭りません。故に献と言うのです。正にこうして区別したのです。

▽鷹は則ち鳩と為します。鷹はその殺される時です。鳩は殺されない時です。鷹は善(うま)く鳩に変じて、仁へと之(ゆ)くことができます。だから「則」の語を用いてその辞を盡(つく)すことができるのです。

▽農は雪澤(=雪解け)に及びます。これは雪澤が(身分の)高下に(関係の)無き状況を言うのです。

▽初めに公田(こうでん)に服します。古く公田の有る農家は、まず公田の農耕に服し、後に私田を耕すのです。

▽芸(うん)を采(と)ります。芸という香草を廟(祖廟)のために採取し祀るのです。

▽鞠(=噣のこと)が則ち見えます。鞠とは何か?星の名前です。鞠則見とは、歳ごと(毎年)に噣の星が再び見えるのです。

▽初昏(日没)に参(さん)という星が西に中(ちゅう)します。蓋(けだし)し(考えれば)時を記すことを言っているのです。

▽斗柄(北斗七星の柄の部分)が懸(かか)って下にあります。斗柄(とへい)は参という星が西に中し、現われる時候を著す所以となります。

▽柳稊(てい)す。稊すとは、孚(ふ)(=芽)を生じ発すること、芽生えることを言い表しています。

▽梅、杏、杝桃(いとう)則ち華咲く。杝桃は山桃の類です。

▽縞(こう)緹(てい)があります。縞は莎隨(さずい)=カヤツリ草です。緹はその実です。先に緹を言い、後に縞を言うのはなぜか?緹が先に現れるからです。それはどういうことなのか?夏小生は出現の後先の先のものから名を著しているのです。

▽雞(けい)桴(ふ)を粥(しゅく)す。粥は相粥(やしな)う時です。或る人は、桴は嫗伏(うふく)=自らの体温で卵を温め、養い雛を孵すと言います。粥はそのための養いです。


(夏小正の考察)

 「夏小正」の内容から察するに夏代の暦は高い水準にあったと考えられます。それは農耕経験の毎年の積み重ねがベースにあって、それら歳時記を天体観測から得た規律で補強する形で暦へ完成されているからです。また、それとは別に、夏代には六十干支(後述)により日付を記す方法(干支紀日法)まで存在したことが明らかになっています。その根拠として夏代の王の名に甲、乙、癸など天干(てんかん)の文字が用いられていたことが後の史から明らかになっています。夏代そのものの、その時代の記述は今でこそ残ってませんが、その後の記述から先代(夏代)の文明を垣間見ることもできます。春秋代に孔子は「夏代の四時(しじ)の書」とする《夏時(かじ)》(=夏の暦法書)を見たことがあると語っています。恐らく今に残る「夏小正」もその当時の暦の一端が表されていると言って過言ではないでしょう。現に「夏小正」には夏代か、それ以前から蓄積されたであろう天象知識や、生物と気候との関わりなど多くの自然科学の知識が含まれています。《夏時》は既に失われてしまいましたが、《大戴礼記》に保存された「夏小正」は現存する「夏暦(かれき)」についての重要な文献と言えるのです。

 「夏小正」の中で特筆すべき点は、人々が北斗星の柄杓(ひしゃく)の指す方位で時を定めていたことです。これが中国最古の暦の実態です。そして、夏暦は12ヶ月の順序に従って、毎月の星の運行、気象、気候、事物現象、それに伴って従事すべき農業や祀(まつ)り事を記録しているのです。ここから、高度に自然界の規律をまとめ、暦を生活の中に応用してきた様がわかるのです。古く暦はその時代時代の技術の集積でもありました。ですから「夏小正」は確かに短い文ではありますが、そこから夏代の農業レベルや風俗、習俗、科学的な水準に至るまで、古代中国の生活をイメージすることができます。夏代において既に月や星の運行を取り込んだ農事暦が作られていたことは驚くべき事実であり、今でも天文学に対し、古代天体に関する貴重な情報を提供し続けているのです。


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