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Ride in Setouchi & San-in Day 74 (28/5/19) 岡山理科大学 恐竜博物館

2019.05.29 14:08

岡山理科大学 恐竜学博物館

今日は朝から雨。こんな時は屋内の博物館が良い。行くまでは濡れるが、中に入ればじっくりと見れる。今日はあの加計学園問題の岡山理科大学のキャンパス内にある恐竜学博物館に行く。(加計学園問題はよくわからないままだが....) ここに行く理由は叔父が恐竜博物館の構想に関わっていたからだ。この叔父に会うとこの恐竜の話を目を輝かせて熱く語ってくれた。ただうまく行ったかと言うとそうでもない。しかしどこかに叔父の足跡が観れるのではと思い行く事にした。

もともとこのプロジェクトは林原の元で行なっていた。トレハロースやインターフェロンで儲かった金を当時流行りのメセナ事業として開始した。まだバブルが弾ける前だった。今でこそメセナという言葉を聞くことはあまり無いが、当時は各企業が企業価値を高める要素として、社会貢献という綺麗事に浮かれていた。今も目立たずに続けている企業も多い。美術館やコンサートホールを経営したりしている。最近の成功例はベネッセの瀬戸内芸術祭。直島はこれによりブレークした。

林原も岡山に林原美術館を経営していた。絵画などを買いあさった。次は恐竜博物館構想だった。その当時、この分野で名の知られていた叔父が館長として参加した。もう定年をむかえていた頃だったと思う。大学の閉鎖的な体質に違和感を感じていただろう頃。出世も思うようにはいかなかった。そんな時に自分のライフワークになりうるものに出会った。これに情熱を傾けた。モンゴルには何度となく行って恐竜の化石を掘り続けた。世界的な発見もあった。博物館の準備はゆっくりとではあるが進んでいた。東京で恐竜の展示会も試験的に行なっていた。その矢先に林原の経営危機が訪れた。準備室の中にも不協和音が流れ、人間関係もスムーズには行かなくなり、本人も軽い認知症が始まり晩年は辛い時期となった。林原の決断は企業再生の為メセナ事業から撤退というものだった。一万点も集めた恐竜の骨は日本の各地に譲渡されたり売却された。恐竜を目玉にしている福井県に約3億円で一部が売却。研究は林原時代のメンバーが移り岡山理科大が継続する事になった。

岡山理科大学 恐竜博物館

叔父が夢見た博物館とはかけ離れている。メインは研究なので展示方法とか文化を社会に提供しているようなものではない。研究の成果を大学の図書館の一画に展示しているだけで、見せる展示ではない。叔父の構想は見る人が、驚きやワクワク感を抱く様なものだった。それは資金的なものもあって難しいだろう。ただ見ても誰もワクワクしない展示で何のストーリーも無い。叔父の想いがどこかで消えてしまった様な気がした。叔父の元で夢を追いかけた人がここで教授をやっているのだが....  多分叔父ほどの夢は無く研究が主体なのだろう。多分福井の恐竜博物館が一番近いのではと推測出来る。福井駅前に実物大に動く恐竜がいた。少なくとも子供たちに夢は与えていた。

ここで考えさせられる事は

企業にとっての社会貢献は都合の良い時だけで良いのか?たしかに利益を追い求めるのが企業だが、社会あっての企業と考えると、一定にコストを社会貢献費として拠出して、別団体がその資金を社会文化貢献に使うということも可能だろう。

研究とはいったい何なのか?個人の興味を追求するのはそれで良いが、もっと夢を持ち社会にも夢を与える研究者がもっと必要だろうと思う。

叔父は認知症が進み、現状を見ても特別な感情は湧いては来ないだろう。成功はしなかったが、叔父が集めた1万点の恐竜の化石は日本全土に散らばり、ある人には夢が見れる可能性を与えたと思う。何らかの形で自分の存在意義を残した。この様な生き方には共感する。

今日は一日中雨とは岡山理科大での落胆でこれ以上どこかに行くのはやめてゆっくりする。