エモーション さらば「少女」の花吹雪
作品では、よく女の子が死ぬ。
特に平成末期のインターネット文化においてはそのトレンドが顕著だったと感じる。
街で、家で、闇で、樹海で、淡いタッチのセーラー服がその尊い命を落としては。
「人の命って儚い」「私こういうの大好き」「涙が止まらなくなりました」などと称賛を浴びる……。もう、嫌というほど見てきた流れだ。
少女が失われるシチュエーションも、豊富なように見えて、その全てが手垢に塗れている。
中でも一番ばっちいのが、電車のホームからの飛び降りだろう。
無理もない。
少女でなくとも、電車への飛び込みは鉄道王国ジャパンにおける自殺の代表例だ。
とかく登場人物を殺そうと思えば、線路に飛び込ませたり、車に撥ねさせたり、炭の隣で寝かせたりすることくらいは作家でなくても容易に思いつく。
だから想像力と人生経験に乏しいティーンの作家気取りたちが適当に舞台を都会にして、ホイと少女を線路に落としては涙を流して満たされているのだ。
しかし!そんな簡単な逃げ道が今、存続の危機に立たされている。
みなさんも想像してみてほしい。
其の少女は彼氏とかセフレとかなんかそういう人間関係に疲れ、たばこでも援交でも自分の心を癒すことはできず、池袋駅から山手線の電車を待っている間に頭の中で何かがプツンと切れてしまう。
こんな人生、どうだっていい。
肩に背負った何もかもを捨てて、いっそのこと楽に──
雨と泥に濡れたローファーを1歩、2歩と前に進め、遠くに電車の光が見えたその瞬間、
タッ
ゴンッ!!!
え?
じゃじゃーーーーーーーん
ホームドアでぇすwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
エモーション さらば「少女」の花吹雪
ホームドア。
2008年にJRの在来線で設置する計画が発表されてから、都市部での人身事故の増加や東京オリンピック開催決定などの背景も追い風になり、急ピッチで整備が進められている。
その効果は絶大で、少なくとも山手線でホームドアが設置された23駅においては、事故・自殺を含めた人身事故は2005年以降168件起きていたのが、設置以降は酔っ払いの男性がホームドアに寄りかかって左手を電車にぶつけた1件のみとなっている。
ホームドアは2020年までに首都圏各私鉄も設置へ乗り出し、それ以降も全国で整備されていくものと見られている。人身事故の多い日本にとって、ホームドアは救世主のような存在なのだ。
・・・と、このように現実世界においてはホームドアの未来は非常に明るいのだが、さてこのホームドア、創作の世界においてはけっこう厄介なのである。
冒頭でエモいからって適当に女の子を線路に落とす人を馬鹿にしてしまったが、あくまで創作の世界においては人身事故の果たす役割は良い意味で大きい。それについて今更詳しく説明する必要もないだろう。
皆さんの青春時代を彩ったドラマやアニメ、映画にも人が線路へ飛び込む描写の一つや二つあったはず。
近い将来ホームドアが完備され、日本で鉄道自殺が無くなったら……
私たちが中学生の頃に涙を枯らして見入ったあのシーンも、このシーンも、
なんとなく現実味のないものになってしまうのではないか?
視覚的情報が用意されているぶんドラマやアニメはまだいい。これが歌や小説だったとしたら?
今パッと思いつくものでも、RADWINPSの「DADA」とか
残念ながらこれから壱、弐の参で線路へは行けなくなるので
この歌詞を聞いた令和の少年少女が「何それ?」と思う可能性は十分にある。
サブカルに口を出すといぢめられるので控えたいが、中には、メインで鉄道自殺を歌っている歌だってある。(cali≠gariの「マグロ」など)
「昔はホームドアが無かった」という予備知識があれば理解はできるかもしれないが、その曲が「昔の曲」という烙印を押されることは避けられない。
歌や小説においては鉄道自殺の描写は自分で想像するしかないので、ホームドアの存在は必ず障害になることだろう。特に、儚い少女の描写となると。
・・・え、なに?
ホームドアなんか飛び越えればいい?
なるほど・・・
では、想像してみてください
ケース① ホームドア設置前
其の少女は彼氏とかセフレとかなんかそういう人間関係に疲れ、たばこでも援交でも自分の心を癒すことはできず、池袋駅から山手線の電車を待っている間に頭の中で何かがプツンと切れてしまう。
こんな人生、どうだっていい。
肩に背負った何もかもを捨てて、いっそのこと楽に──
雨と泥に濡れたローファーを1歩、2歩と前に進め、遠くに電車の光が見えたその瞬間、
タッ
ああああああああああああああああ(;;)
うわあああああ
うわあああああああ
おいやめろ
嘘だあああああ(;;)
悲しすぎる(´;ω;`)
死なないで~~~~(;;)
ケース② ホームドア設置後
其の少女は彼氏とかセフレとかなんかそういう人間関係に疲れ、たばこでも援交でも自分の心を癒すことはできず、池袋駅から山手線の電車を待っている間に頭の中で何かがプツンと切れてしまう。
こんな人生、どうだっていい。
肩に背負った何もかもを捨てて、いっそのこと楽に──
雨と泥に濡れたローファーを1歩、2歩と前に進め、遠くに電車の光が見えたその瞬間、
よっこいしょ
は? 草 流石に草
あほくさ 大草原不可避
草 いや草
ホームドアピョンピョンで草
流石に草 元気満々やんけ
後ろからもどうぞ
ワロタ なんぞこれwwww
テラシュールwwwwwww
ワロスwwwwww カオスwwwwww
そんな体力ないだろwww ラーメン
そこ越えるのかよwwwwwww
wwww 自重wwwwww
カッコ悪くないか?
最悪、男なら飛び越えてもまあまあ自然なので、この件はどうしても少女の描写に影響してしまう。
体重38kgくらいの病的な白い女の子が電車に轢かれる作品で気持ちよくなってきた人たちにとって、ホームドアの設置が与える打撃はそこそこ大きいのではないか、と専門家は語っているのである。
さあ。もう何年もすれば、少なくとも山手線で少女の血しぶきを描くことは非常に困難になる。
しかし、これも時代の変化。
エモ大学生の皆さんはいつまでも秒針噛んでないでこれからの環境に合った表現(ドローン自殺とか、モバイル決済自殺とか)を選び、模倣し、消費していってほしい。
たいへん名残惜しいが、少女の電車飛び降りにはここで別れを告げよう。
今までありがとう。
夢をありがとう。
涙をありがとう。
エモをありがとう~(;;)
どうしても恋しければ西武多摩川線とかを選ぶといい。自然が豊かでいいところだ。
おわりに
創作におけるホームドアくんの一番の問題は、同じシーンなのに見る人の世代によって感じ方が変わってしまう危険性がある(令和生まれに鉄道自殺の手軽さが伝わりにくい)こと……ではあるが、それと同時に手軽に女の子を殺せる選択肢が一つ減ることで、今後のアマチュア作家たちの創作がより豊かなものになることをひそかに期待している。
「ホームドアくん」は好きなように使っていいよ!