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44.日本と韓国の関係

2019.05.29 01:31

留学させていただいた大学院はアリゾナ州のフェニックスの郊外グランデールにあるアメリカ国際経営大学院(サンダーバード)で、周りは綿花畑、太平洋戦争時代には空軍のパイロットの訓練基地で、建物はすべて当時のそのままに使用されていました。教員のいる建物が旧司令塔、格納庫が本屋、バーはパブ、パイロットの寄宿舎が現在は学生用です。4人用の寄宿舎はトイレが2つ並んでドアがついていません。唯一のキャンパスの憩いの場所であるパブには、夜になると学生が三々五々集まり勉学の合間の一時を楽しんでいました。現在、学校の周りは住宅で囲まれ時間の移り変わりが感じられ、学校自体もAUS(アリゾナ州立大学)に吸収されています。

在学する1000人の学生の中で外国人が約25%、東南アジアからは韓国やインドなどからの留学生が多く、一番多かったのが韓国からの人達で「私達は日本人が大嫌いだ、しかし、貴方は個人的に好きです」と言われ驚いたのを覚えています。日韓問題を私は知りませんでした。まったく無知の状態で、この経験はシンガポールに次ぐショックで、学業を終えて帰国の機中、「日本のことをもっと知らなくてはならない、もっと日本の歴史を勉強しよう」と新たな決意をしました。

留学中は多くの韓国の学生と親交を深めました。白人とは異なり、顔のつくりや肌の色が似ている同士であり、英語も外国語だったりしたので親しくなりました。当時、キャンパスにはジェネラル・キムと呼称される韓国人がいましたが、私よりも15歳程年上の方だったでしょうか、ベトナム戦争では海兵隊の大将だったそうでたくさんの韓国人から年長ということもあって一目置かれ尊敬されていました。キムさんからは親しく日本語で声をかけていただき、興味ある話を聞きました。「日本が韓国を統治していた時代は日本語が標準語だったので、日本語を話していました。戦後27年間、まったく日本語を話す機会がなかったので忘れていたが、アリゾナに来て、私たち日本人と話をしたら、ある朝起きると、大波が襲ってくるように日本語が口からほとばしってきた」というのです。脳のメカニズムの偉大さを感じました。その他にもリーさん、ソンさん、セイジョン、シンさんたちがいましたが、皆さんとは仲良くお付き合いをさせてもらいました。日韓の問題は個人の問題ではなく、国と国との問題で解決はなかなか難しいでしょうが、個人ベースで地道に努力することが大切だと感じ入りました。

日本人は他の国々と人と比較して、自国のことに無関心すぎます。そのために相互の間に大きなギャップが生じています。日本にもいろいろ問題が山積ですが、こんなに平和な国はないということは紛れの無い事実です。この平和の国を愛し、これからも平和を継続させてゆくにはどうすればよいかを考えていかなくてはなりません。個人的にもできれば仕事を通して日韓の問題解決に貢献したいと考えていました。