以前弊社が毎月発行しております
ニュースレター「ビーフレッシュ通信」2017年1月号にて、
弊社、代表取締役社長 松本 董生 (まつもと のぶお) のこれまでの歩みを掲載致しまして
こちらのブログにもその内容をアップさせていただきたいと思います。
会社設立から現在(2017年1月)までの歩みを是非ご覧ください!
ちなみに、来月「ビーフレッシュ通信」2019年6月号には、
幼少期から会社設立までの話を掲載致しますので、そちらも合わせてご覧ください!
洋服職人だった父母の後を継いで、「お前は技術は向いていないから営業をやれ」と言われて、サイズの測りを教わり、二回程測って、学生時代の友人の家に行って注文をいただきました。本人とお兄さんの二着。これをきっかけに顧客の数を増やして参りました。父親は、松本ビルを建てる夢が膨らんでいったようでしたが、苦労知らずの私はそのうち仕事と遊びが一緒になり、お客様との付き合い(麻雀、飲み)と遊びの区別がつかなくなり挫折。(一回目)
その生き方を断ち切って、次のチャンスが訪れました。(このころ結婚)。職人さんの紹介で、
コント55号の萩本欽一さんのスーツを作ることになりました。それからは毎日テレビ局を回り、プロデューサーさん、ディレクターさん等々多くのお客様に恵まれ、雑誌にも載り、テレビコマーシャルの仕事等も入って参りました。また、麻雀や、お酒などのお付き合いの毎日、そして挫折(二回目)
その頃から、テーラーの時代はそんなに長くないと思い始めていました。あまりにも値段が高くなり始めたのと、後継者がいないこと。自分がテーラー業を継いでから、その後30年間他を見ても跡継ぎがほとんどいない。その間、既製服にどんどん押され、技術者の仕事が無くなり始め、テーラーはパターンオーダーになり始めました。このテーラーの技術を何とか生かせないかと思い、40歳頃、洋服直しを思いつき、ビーフレッシュを共同経営(三人)で始めました。しかし、半年間で空中分解し挫折(三回目)
二人とも去り、一人で会社立て直しを図りました。その時考えたのが、直しの宅配。これが当たりはじめました。テーラー仲間からは、テーラーが直しをやるなんてとバカにされていましたが、私はお直しは二十一世紀に残る仕事だと思い自信がありました。その後、こつこつ仕事を続けていたら急に視界が開き始め、スイミングクラブのジャージ作り、マーチングバンドの衣装制作、スノーボードウェアの直しなど直しのお仕事もどんどんと入り始め、あっという間に年商一億円が見えて来ました。また有頂天になってバカをやり始めて挫折(四回目)
それから倒産スレスレの展開をして二十年あまり、少しずつ頑張って今日に至っております。株式会社にして三十年、考えてみるとよくまあ潰れなかったものと思います。第一の原因はお客様に恵まれたこと。そして、行っている事業をお客様が求めていること、真面目なスタッフに恵まれていること、そして自分の運の強さもあったと思います。もうすぐ七十歳。
今日も元気に頑張ります。