視野の話
いや、これは本当の話だ。
人間は、見たいものしか見ることができない。たとえそれが目の前にあったとしても、それを求めていなければ、本当に見えないのだ。
そうだそうだ。とは思っていたけれど、ここ数日で身を以て体験している。
たとえば、リンゴが欲しいとする。あなたはリンゴが欲しいと思いながら人生を生きている。毎日の暮らしの中で、時々あなたの視野に入るリンゴもあれば、自ら見つけに行ったリンゴもあるだろう。でもあなたは、リンゴを欲しがるあまり、他の果物が目の前にあることに気づかない。本当は、リンゴよりも美味しくて、リンゴと一緒に食べればよりリンゴが美味しくなる果物であったとしても、あなたはリンゴが欲しいのだから、他のものは目に入らない。目に入っても、頭には入らない。
一方で、果物を欲している者はどうだろうか。目の前に現れた全ての果物を見るととが出来る。だけど、他の食べ物が目に入ることはない。
つまり、目標や願いは、抽象的であればあるほど、いろんなものが目に入ってくるということを言いたいのだけど、寝起きすぎてあまり良い例えが見つからない。まあ、つまり、人間は自分の目標や、イメージをしている到達点、また欲しているものによって、自分の人生をつまらなくしてしまう可能性があるということだ。
自分は、こうだ。自分が欲しいのは、これだ。
と決めることは決して悪いことではない。でも、それに固執しない柔軟な姿勢と、視野を広げるストレッチは、常にやっておかないと、気づかないうちに、どんどん、どんどん、自分はリンゴだけが欲しい人間なんだと思い込み、目の前にあるリンゴよりも質の良いイチゴに気づくことができなくなってしまう。
僕はあるきっかけで求めているものが増えた瞬間に、様々な出会いが降ってきて、様々なアイデアが浮かんだ。これは不思議だけど、本当のことだ。一気に人に出会う。これは、これまでは見えていなかったものが、見えた証拠なんだ。あれ?と思うには、視野が広くないといけない。
改めて、それを感じている。
僕は別に、目標を達成したいわけではない。幸せになりたいのだ。そして誰かを幸せにしたいのだ。今から変なことをいうけど、そのために目標を達成する必要があるんだ。目標はそのためにある。自分の歩く道を狭めるためではない。
夢とか、目標とか、計画とか、そういうものによって、何か見えてないもはないだろうか?
もしそうなら、もう一つ、抽象度をあげてみてはどうだろうか、俺。