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風とたね

奪われないわたし

2019.05.30 05:21

今日は空を見上げると、「凶暴」レベルのわくわくが沸き起こってきました。

このわくわくを感じると、自分が10歳くらいに戻ったような氣がするの!

目にちからが宿るというか。

未来を見据える目、いまを見つめ切る目になる。

からだにちからがみなぎって、そう、宮崎駿監督の描く子どもたちの目の輝き。

あの輝きが、自分の中にあることを、改めて思い出す。


今日もブログへのご訪問ありがとうございます♡

たくさん書きたいことが沸き起こって、大変ですが(笑)、ホットなうちに書きたいと思います。

なので、短めに。表現したいことだけを。




「〇〇によって奪われた半生」だとかっていう記事の見出しを時々目にする。

でもね、私は、自分の人生を何かによって奪われることはないと思っている。

それは私に限らず、みんなが。


以前ね、ある人からこんなことを言われたことがあります。

「俺のせいで、人生めちゃくちゃになったって思ってるやろう?」と。

私は即答したよ。

「私の人生をめちゃくちゃにできる人間は私だけだ」って。


これね、頭で考えて出した言葉じゃないの。

肚(子宮)から出てきた言葉だった。


いじめ

離婚

ハラスメント

リストラ

DV

病気

怪我

などなど・・・

これらのせいで「人生がめちゃくちゃになった」「人生が奪われた」と言う人もいる。

でもね、本当にそうかな?


「わたし」の人生をめちゃくちゃにできるのは、「わたし」しかいないんじゃないかな。

わたしを「被害者」にするのは、加害者ではない。

「わたしは被害者だ」という、自分自身の意識だ。



私はあの時、子宮の声に救われた。

そして、肚に決めた。


私は、「被害者」にはならない。

私は、決して奪われない。と。


世間的にネガティブな意味合いを持つ経験は、その人から「ちから」を奪おうとする。

(それは、集合意識が、「奪われる」ということを信じているからなんだけど。)

そのちからとは、自分の人生は自分で舵を取っている、自分のことは自分で決めることができるという事実(真実)だ。

だけど、そのちからは、実は決して奪われない

なくなったように見えても、絶対にある。からだはそれを失わない


どんな物事でも、ポジティブに見てこ~♪なんていう明るい話ではないの。

ポジティブであろうとネガティブであろうと、関係ない。

もっと力強く、根底にあるちから。

ポジもネガも。

陰も陽も。

すべてを統合し、内包するちから。

そして、そのちからは、他者に対して発動するものではない。

あくまでも自分自神に発動する、いのちのちから。

私は、その「いのちのちから」を、肚の底から信じている。

それが人間のもつ本当の意味での「尊厳」であると思う。


Love,

Shoko