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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

F.CHOPIN、ショパンからフォンタナへ「死んではならぬ」

2019.05.31 00:42

ショパンの出版の戦いは混乱していた。ショパンは、フランス版権だけだと5曲で2000フラン、フランスとイギリスの主版社に対しては3000フランを要求していた。

ショパンにフォンタナからの会計報告が送られてきたのだ。どうやら、出版者との交渉は決着が付かず、出版社とショパンの間でフォンタナも困り果てていたのだ。

そして、マセットが1曲300フラン以下でないと買わないと値段を下げて来たのだ。

ショパンは1曲500フランを請求した時期があったが、それも却下されたため、妥協して1曲300フランに設定をしたのだ、それなのに、もっと安くないと買わないとマセットは言うのだ。

ショパンはフォンタナにいつものように吠えたのだ、「詐欺師め!ユダヤ人め!」ショパンは自分の悔しさだけでなく、これは、ショパン特有のフォンタナへの心遣いなのだ。

フォンタナには「冷静に交渉に当たるように、けれど自分には遠慮なく話してくれ、」と、フォンタナに言ってきたショパンだったが、フォンタナはどうやら感情をショパンには立場上、吐き出せないため、フォンタナが言いたいことを代わりにショパンが言い、フォンタナと気持ちを共有しようとするショパンなのだ。

フォンタナに嫌な交渉に当たらせていることはショパンも重々承知であった。フォンタナの代わりに感情を吐露するショパン。。。

「僕はもう、シュレジンガーのことも、もうどうでもいいように思えて来た。僕は自由に生きたい。」フォンタナがもう限界だと手紙に弱音を吐いてきたのであろう。(手紙は現存しない)

ショパンは300フランでとはどうにもならず危機を感じていたが、冷静に戻り「シュレジンガーやマセットとの交渉はしばらく控えよう」と、フォンタナを説得した。

それから、その他の出版社「ヴォルフにはアレグロとコンチェルトは見せない様に頼むよ。彼らは盗用して出版するからだ。そして、その仲間にも見せてはならぬ。ヴォルフの仲間が出てくるとろくなことがないからだ。」

ショパンは「11月にはパリに帰るから、その時まで交渉は控えることにしよう。」と、交渉が上手く運ばなかったフォンタナが思いつめないようにショパンは彼に提案した。

そして、ショパンは、出版社との交渉の間もノアンで新しい曲を休まず書いていたのだ。

フォンタナに新作の報告をした。ショパンは葬送行進曲の主題から始まる≪幻想曲≫を書いていたのだ。

「≪幻想曲作品49≫を今日、僕は書き上げました。天気は素敵だが、僕の心は悲しい。

僕の気持ちは重要ではないから、気にしないで。死後の生のために自分自身を救おうではないか。

ルルーの考えでは〈若ければ若い人ほど、そして賢明であればあるほど人は自殺する。〉僕はこれは間違っていると思うよ。だから、君は間違った考えを起こしてはならぬ。

僕は夕食に行くよ。

君の古くからの友人、ショパンより、マッシンスキによろしく。」

責任感が強い真面目なフォンタナ、ショパンはフォンタナからの思いつめた手紙を受け取ったのであろう(現存せず)。

「サンドが何を言ったか想像つくよ、サンドはルルーに傾倒しすぎている。フォンタナよ、君はルルーの考え方をしてはならない。

フォンタナよ死んではならぬ、」と、想いを込めてメッセージをフォンタナへ送ったショパンだった。

ピエール・ルルー(Pierre Leroux、1797年4月7日 - 1871年4月)はフランスの哲学者・政治経済学者。

1835年ルルーはジョルジュ・サンドと関係を持った。Georges Lubinによれば、「サンドはルルーだけを信仰している」という。ConsueloやRudolstadt伯爵(1843-44)、Le Meunier d'Angibault(1845)など、サンドの小説はルルーの影響を受けていると言われている。これは約15年続いた。


Caricature de Pierre Leroux par Cham シャムによるルルーの風刺画