器を直すってなんだろう
2019.05.28 22:53
教室の後片付けをしている時、膨大な量の割れた器を眺め、
考え込んでしまいました。
気に入った器が割れた時の残念さや、欠けたことに気がついた残念な気持ち、
器に宿った悲しい思いを、漆で直すことで繕うことができます。
またそれとは違った喜びや、美しさも生まれてくるかも知れません。
蘇った器が、また一段と気に入ったものとして使うことができる。
それはとても嬉しいことだと思います。
仲の良い友人や、親戚に頼まれてその方を思いながら器を直す。
その行為も嬉しいことの連鎖になると思います。
漆継ぎが、以前よりも身近な表現として浸透し始め、
割れたものを教材用として、販売する骨董屋もあるようです。
それは何か違うと思うのです。
割れた器がないからといって、自分で割ることも好きにはなりません。
それで直った器は、もともと気に入ったものではないから使わない気もするし、
欠けや、割れに、思い出が見えないから退屈な作業になる気がします。
多分楽しめないと思うんです。
行為の先に、人や思い出が見えてくることで、
直す行為がちょっと楽しくなる。なんだかいいことをしている気分になる。
それが、漆継ぎの魅力の一つなんだと思っています。
割れてしまった器を、全て直すことは本当に良いことか、
割れてしまったことも、きっと何かのメッセージだと受け止めて、
直すかどうかを考えてみるのも、
漆継ぎをするのに大事な技術なんだと思います。
宮下智吉