巻頭ページ掲載@KYOTO VISITOR’S GUIDE
2019.06.01 11:20
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みなさま こんばんは
神仏画家 月涛賀ゆう です
海外からの旅行者様向けの雑誌
KYOTO VISITOR’S GUIDE 様にて
月涛賀ゆうについての記事を
巻頭ページに掲載していただきました
※Webサイトにも掲載されています
(*^o^*)
@KYOTO VISITORS GUIDE
2019 June
取材してくださったA様はじめ
KYOTO VISITOR’S GUIDEの皆様に
心より感謝申し上げます!
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そして以下
大体こんな感じの日本語です
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「神仏画」と聞いてイメージするのはどんな絵だろうか?
京都を拠点に作品を制作する
「神仏画家」
月涛賀ゆうさんが描く作品は
そのどれからもかけ離れているはずだ
たくさんの困難を乗り越えて
「神仏」を描く
彼女の絵に込められた願いは
国も言語も文化も超えて
まさにユニバーサルな広がりを見せる
京都を拠点に制作に励む
自らを「神仏画家」と称する
月涛賀ゆうさん
言葉の通りにとれば
「Shinto & Buddhist artist」
であり
その言葉からは
日本の仏教や神道の世界観を表した
いわゆる古典的なものを浮かべる人も
多いのではないだろうか
が
ゆうさんの生み出す作品は
それらのどのイメージからも
かけ離れた何か
だと見る者に思わせる
若干11歳で
画家になることを人生の使命と見出し
それを見事に叶えたゆうさんが語る
これまでの道のり
そしてこれからへのビジョンとは?
画家を志した道のり
画家になることを志したのは
11歳のときだったと
今でもはっきりと覚えているゆうさん
しかし
そこから今日にいたる道のりは
決して楽しく
簡単なものではなかった
『小学5年生で芸術家としての人生を決心した私でしたが
私の夢に対して周囲は
誰も応援してくれませんでした
それでも夢は持ち続けていたものの
中学生になったころから
家庭環境などの理由から心身共に
様々な深刻な不調を引き起こし
命の危険さえ感じるほどの状態に
なってしまったのです
普通からほど遠い
寝たきりに近い毎日も経験し
本当につらい状態でした
でもそんな毎日の中でさえ
私の心を癒してくれたのが絵でした
仏像を描き始めたのはこの頃です
描いている間は
瞑想状態に陥ったかのように感じ
その時間 私はひたすら
仏像と対話をしていました』
これが
現在の神仏画家としての
ゆうさんの原点
その後
神仏をテーマにした
作品を制作していくようになり
ゆうさんの「画家」として
生きる意志はさらに固まったという
『私には 絵がある
他のものを全部捨てることになっても
絵だけ描ければそれでいい
そう思っていました
夢や目標の力はとても大きいです
どんなに先が見えない暗闇の中でも
それが希望となり 先を照らす光になる
私が生きていられたのは
絵を描くことがあったからです』
中学を卒業後
美術系の高校に入学するも
自由がなく
枠組みに囚われたような窮屈さを感じ
退学を決意する
その後
アルバイトをしながら
自分の理想の学び場を探していた
ある日
転機が訪れる
『ある日
祖母の家でなにげなく
机の上に置かれていた新聞に
日本からの生徒を募集する
メキシコの
アートアカデミーの記事がありました
私はその場ですぐ問い合わせをし
1週間後にはその学校に行くことが
決定していました
当初
家族からは大反対を受けましたが
なんとか説得し
メキシコへ旅立つことができました
メキシコでの2年間は
とても素晴らしいものでした
メキシコの文化にたくさん刺激を受け
心を分かち合える仲間ができ
私は生きる喜びを
取り戻すことが出来ました
メキシコで過ごしたことをきっかけに
帰国後